「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

もっと時間をかけて真剣な審議を!入管難民改正法案

2018-10-31 06:23:33 | 2012・1・1
中米ホンジュラスなどからの難民キャラバンが、幾波にも渡って1000キロもの陸路をメキシコ経由米国に向かって押し寄せている。その数はSNSで知り,雪だるま式に増えており、これに対処して米国は国境沿いにフェンスを強化し、8000人もの軍隊を派遣している。テレビの画面を見ているとキャラバン隊は子供連れも多く橋もない川を渡ったりして人道問題である。

国会で「入管難民改正法案」が審議されている。連日、間断的だが、テレビの国会中継を見ているが、僕が見ている限りあまり盛り上がらない、野党各派の質問に対して、安倍総理は”改正法案は移民に通ずるものではい”と通り一片な答弁をしているが、具体的な法案の内容がが判らない。このまま来週には法案は閣議決定されるそうだが、拙速すぎないだろうか

安倍総理は、改正案では”労働環境の整備、日本語教育の充実、住宅へ入居支援、社会保障への加入促進”(枝野幸男立憲民主党代表への答弁)と述べているが、総理は技術研修制度による実習生が年間7000人も職場から失踪、中国人だけで5年間に5万人もが不法滞在しているのをご存じなのか。それにつれて治安も悪くなり、先日も中国人実習生(女性)同士の殺人事件が新聞に出ていた。

「入管難民改正法案」は研修実習ではなくて、即戦力としての外国人労働力である。来年度から実施する方針のようだが、受け入れ態勢は大丈夫なのか。たしかに建設、農業、介護、サービスなどの分野では極度の人不足が問題になっている。しかし、入管法が緩和されれば、SNS時代である。済州島のイエメン人難民のようなことが起こるとも限らない。もっと時間をかけて検討したほうがよい。
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墜落したパンカル.ピナン行機と榎本武揚の遭難した島

2018-10-30 05:50:23 | 2012・1・1
ジャカルタ空港発パンカル.ピナン行、インドネシアのライオン航空機が29日、離陸直後、ジャワ海に墜落189人が死亡した。パンカル.ピナンの名前を聞いてもあまり、日本人は知らないが、スマトラ沖のバンカ島の首都である。僕は24年前、遭難機と同じ、ジャカルタ空港からプロペラ機に乘ってパンカル.ピナンへ出かけた時のことを想い出した。

平成6年1月、僕は幕末の文久2年11月、幕府の和蘭行御軍艦方一行15人が乗った和蘭商船が座礁したバンカ島沖の小島レーパール島を訪ねて旅行した。レパール島はパンカル.ピナンから郡役場のトボアリまで陸路125キロ、さらにサダイという船着場まで40キロ、サダイから小舟に乗って4時間の旅だった。

遭難した和蘭行御軍艦方の代表は内田恒次郎で、乗組員の中には榎本武揚、沢太郎左衛門、西周など幕末期に活躍したそうそうたる人物がいた。僕は祖祖父が遭難した一行の面倒を見たという村長宅に泊まり島を調査したが、一行が宿泊した家がそのまま残っていたし、一行が滞在中食べたというコイ二―という果物もあったし、悩まされたというニャモック(蚊)もそのままだった。

ユネスコの歴史文化遺産が注目されているが、こういった外国にある文化遺産が放置されているのは残念である。僕が半世紀前滞在していた当時ののジャカルタには一行がレパール島から救出されて滞在した、ホテル.デス.インドスの建物がまだあった。じゃがたらお春時代の墓碑もあったが今はない。関係する国同士が歴史を掘り起こして保存するのもムダではないと思うのだが。
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渋谷のハロウィン節度が必要だ

2018-10-29 05:31:02 | 2012・1・1
今年は、ハロウィンの祝日がウィークデイの水曜日に当たるため、最近年中行事化してきた東京渋谷の「ハロウィン」の催しは週末の夜から繰り上げられて行われた。ネットの動画でこれを見たが、コスプレなどで仮装した若い男女の数は、年々増え、参加できない80老には羨ましき限りだが、一方、いくらお祭りでも、やりすぎ、節度が欲しいと思う。

戦前からの渋谷を知っている。昔はハチ公が駅前で主人を待っていたような田舎駅で、せいぜい、日曜日には青山の兵舎の兵隊さんで賑わいをみせる程度の町だった。戦後も焼け跡に焼け残った東急のビルだけが目立ち、駅前には都電が走っていた。もちろん、今や国際的な名所になっているスクランブル交差点は小さな四つ角の信号に過ぎなかった。一方、僕ら世代にとっては駅前広場は、火炎瓶が飛び交う町の記憶がである。昭和46年11月の「暴動」では中核派がをを交番に火炎瓶を投げ込み機動隊員一人が死亡している。戦後すぐの昭和27年のサンフランシスコ条約反対デモの集会でも日本共産党の指導する全学連が火炎瓶を投げている現場を僕は目撃している。

1964年の東京五輪後、NHKが渋谷に移転してきた直後から町は若者の町に変容を続けており、かって”おじさんたち”が安焼酎を飲み焼き鳥を食べていた屋台は姿を消した。かわってファッション.ビルが林立し始めてきた。渋谷は「ハロウィン」のコスプレの似合う町である。動画を見たら軽自動車が若者たちによってひっくり返されている。やはり節度が必要である。警察の取り締まりが強くなれば、お祭りも魅力がなくある。
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対中国ODAは戦後最大級の失敗か?

2018-10-28 05:07:30 | 2012・1・1
中国訪問中、安倍晋三総理は日中友好条約締結40周年記念パーティの席上”中国は世界第二の経済大国に発展した。わが国からのODA(政府開発援助)は歴史的使命を終えた”と述べた。これに関連して産経新聞(10月27日付首都圏版三面)のワシントン駐在の客員特派員、古森義之記者は「対中ODAは戦後最大級の失敗だった」という記事を書いているが、果たしてそうだろうか。

古森記者は1998年,産経新聞の支局長として北京にいた方だが,自分の体験を含めて、あわせて3兆6千億円にのぼる対中ODA援助は、中国では何の認知もされていない。ほとんどの国民が北京国際空港や北京地下鉄2号線、南京母子センターなどが、ODAで建てられたこと知っていない、と書いている。

日本の対中国ODA援助は1979年から始まっているが、1980年代、僕はJICA(国際協力機構)の技術協力の一つである研修事業の仕事をしていたが、当時の北京は、天安門前の大通りを人民服を着た市民が自転車で通行していたように思う。まだ、文革命の失政の余燼が残っていた。78年に友好条約が締結された当時を回顧すれば、戦時賠償を要求しない中国に対する補償としては、僕からみればベストの案に思われるのだが。

中国でのODAのも認知度が低いのは、一つにはJICAを含めて日本側のPR不足があるのではないか。中国に限らず性格、せっかくの友好事業が相手国に伝わっていないのは残念である。日本人の性格なのだろうか。
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安倍総理のタイミング 紆余曲折の日中関係7年

2018-10-27 06:06:29 | 2012・1・1
中国訪問中の安倍晋三総理は昨夕、習近平国家主席との首脳会談を終えた。日本の首相の中国公式訪問は7年ぶりとのこと。一瞬、7年前に北京を訪れたのは誰だったか思い出せなかっが、3年余続いた民主党政権最後の野田佳彦首相で、それも辞任する末期も末期の1か月前の2012年12月、何を話あったのだろうか記憶にない。

今回の首脳会談で、習近平主席は”紆余曲折の日中関係だが、やっと正常に戻った“と挨拶していたが、まさにその通りだ。野田首相が北京を訪れた2012年は、両国が”一衣帯水をうたった日中共同宣言40周年記念の年だったが、それとは裏腹に両国関係は、日本側の尖閣国有化宣言をめぐって反発、、中国では9月、反日運動が全土に盛り上がり、駐北京日本大使の車まで襲撃を受け日の丸まで略奪されている。

民主党政権が発足した2009年、当時幹事長だった小沢一郎氏は、”一族郎党”626人を連れ、当時の胡錦涛国家主席に一人一人握手させ”朝貢外交”と批判された。以来、民主党政権は、菅直人首相時代の尖閣沖中国船衝突事件の事後処理でも一貫して中国に媚びる姿勢だったが、野田首相は、3日前に中国の要人に会いながら、突如、尖閣国有化を宣言した。

外交にはタイミングがある。今年は日中両国平和条約締結40周年である。安倍総理は就任以来、149か国を訪問しているが、中国への公式訪問はない。おりしもトランプ政権の通商政策をめぐって中米関係がギクシャクしている。「競争から協調へ」「脅威ではなくパートナー」「自由で公正な貿易体制の発展」の3原則によって新しい日中関係を構築するにはベスト.タイミングであった。
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安田さんの生還と「国際テロ情報収集ユニット」

2018-10-26 05:33:11 | 2012・1・1
内戦のシリアへ取材に行き消息をたったフリー.ジャナリスト安田純平さん(44)が中東のカタールやトルコ政府の協力で拘束先から解放され、昨日無事帰国した。人命に関することだ。同胞の一人としてご同慶の至りだが、迷惑男である。政府の何回もの勧告にも関わらず、それを無視しして危険地入りしていた。自己責任と言いながら結局、国の世話になっている。

自分のことから話を初めて恐縮だが、安田さんが生れる12年前、1962年、僕は安田さんが拘束されたシリアから救出で世話になったカタールなど中東7か国を移動特派員として取材している。当時も中東地域は政治的に不安定だったが、むしろカタールなど湾岸諸国は、一般日本人には秘境の地で、国際的なテロなどなかった。

今回の安田さんの釈放に当たって、政府の「国際テロ情報収集ユニット」の働きがあったという。初めて聞く、名前だが、新聞報道によれば3年前に組織され、言語や地域情勢に詳しい外務省や警察庁の出向80人からなっているという。正直言って僕は、ここまで国際テロの脅威があるのかと驚いた。2004年の米国の同時多発テロ以来世界は急変してきているのだ。安田さんを拘束していたとみられうISULも国際テロの産物である。

安田さんは家族を通じて、お詫びのコメンとを出しているが、多大な迷惑を国にかけている。当然、「国際テロ情報収集ユニット」からの聴取もあると思うが、3年余りの貴重な体験を語ってほしい。折から、国会では国際テロにも関係してくる「難民入管法」が審議される。半世紀前、僕が取材した中東とは大変わりしてきたが、変わらないものもある。それは、アラブ人世界の理解である。
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サウジ.ジャナリスト殺人事件 理解しにくいアラブ人の気質と性格

2018-10-25 06:13:29 | 2012・1・1
サウジアラビアの反体制派のジャナリストがトルコ.イスタンブールの総領事館内で行方不明になった事件について、トルコのエルドアン大統領は”凶悪な計画殺人事件だ”と公言、米国のトランプ大統領も”史上最悪な隠蔽だ”とサウジ政府を強く批判している。事件はサウジの情報機関の犯行だが、背後にサウジのムハマンド皇太子が関与しているという情報が依然強く、国際社会に波紋が広がっている。

今のサウジ情勢については知らないが、1950年代から60年代、サウド国王時代の中東情勢を新聞社で取材したことがある。その後1980年代、国際協力機構時代のJICAで、研修監理員として、来日したサウジの研修員の面倒を複数回、担当したことがあり、一般の日本人よりはサウジについて知識があるが、極東のわが国とは生活習慣、宗教歴史すべてが違い、研修監理員を困らせらものだ。一例、当時新宿の三井ビルにあったJICAの事務所へ行くのに、目の先のホテルから車を用意せよ,とか、京都観光はしたくない(宗教上の理由)言った具合だ.

イスラムの本山、メッカの地の王国なのだろうとか、それとも後年の石油発掘による驕りなのかわからないが、僕の手元に「アラブ人気質と性格」(差ニア.ハマデイ著、笠原佳雄訳 サイマル出版)があリ、サウジの解かり難い一面が書いてある。参考までに紹介してみる。「アラブは自分にとって大事なことは秘密裏にやることが多い」「誰も知らない国に行ったら、着物をあげ、必要wみたす(小用をする)」「アラブ人は社会とのかかわりあいの中で、しばしば敵意を示す。これは主として、密着しすぎる社会から生まれる摩擦からくる}


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米寿の同期会 インターネットと長寿との関係 

2018-10-24 05:34:44 | 2012・1・1
75年前の昭和18年4月、中学(旧制)の校門を一緒にこぐった同期会に昨日参加した。入学時には180人いた学友も連絡がつき参加したのは7人、多いのか少ないのかー。でも、集まった”7人の侍”は米寿(80歳)を迎えたにも関わらず、みな元気だ。

僕らの学年は、戦争の旗色が悪くなり始めた年に入学、3年時の20年8月敗戦、戦後の23年、一部は旧制中学5年で卒業、一部は翌24年新制高校第一期生として卒業している。戦争中は2年の3学期から学業を捨て、軍需工場へ学徒動員され、東京の空襲で工場や学校が焼けると家を離れ、千葉県の利根川運河の拡幅工事や鉄道の線路工夫の仕事に従事したりした。7人のうち4人までが城南の空襲で自宅まで消失している。

7人は元気だといっても3人までが杖の世話になっており、一人は隔日に病院で人口透析を受けるなど、みな病院通いをしている。しかし、みな頭はしっかりしていて認知症はいない。日本人の男性平均寿命は81.84歳、健康寿命は一番長生きの山梨県でも73.2歳に過ぎない。僕らはとっくに平均寿命も健康寿命もクリア―している。何か共通の原因があるのだろうか,考えてみた。

偶然かも知れないが、7人中6人までが、パソコン、スマホなどのインターネットを利用していた。総務省の統計によると、80歳以上のネット利用者は20.2%にすぎない。それから見ると、僕らの7人中6人は高率だ。長寿とインターネットとの間に相関関係があるのかもしれない。同期会に参加出来なかった仲間のうちには、認知症も出てきたようだが、パソコンもスマホも持っていない者が多い。
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”縁かいな”信州池田町の「てるてる坊主」展

2018-10-23 05:30:11 | 2012・1・1
北アルプスが展望できる信州安曇野の人口1万人足らずの小さな池田町で24,25日第12回「てるてる坊主アート」展が、町内の「あづみ野池田クラフトパーク」で催され、全国から応募のあったてるてる坊主が大集合する。

僕の亡き親友の夫人(85)もこれに応募し、観光方々、池田町を訪れる旨メールで連絡があった。親友夫妻はイタリア在住が多く、1994年サンレモで開催されたい国際童謡祭りで、日本の童謡「てるてる坊主」が歌われ入賞したことを知り、わざわざサンレモまで行き、現地で制作されたレコードを入手した。夫人は親友が亡きあと、遺品を整理し、レコードは北海道新冠町のレコード博物館に寄贈、同時にそのテープを、親友の育った同じ長野県(長野市)の池田町の「てるてる坊主の館」に贈った。

池田町は童謡「てるてる坊主」を作曲した浅原六朗の出身地であり、「てるてる坊主の館」はその記念館である。夫人はそれが縁で毎年、アート展に出品して池田町を訪れている。老妻も偶然、長野市の生まれである。その関係もあって親しくさせてもらっているのだが、江戸時代の端唄”縁かいな”ではないが、池田町には老妻の旧制女学校時代の友達が結婚して住んでおり、「てるてる坊主の館」の関係者と申し訳ない知り合いであることが判った。

歳を重ねると、新しい人間関係が出来にくく寂しいものだが、こうして「てるてる坊主」の歌が奇縁となって人と人との輪が広がって行く。とかく殺風景になりがちな老後の生活である。夫人のメールは僕ら夫婦にとっても、心温ませる朗報だ。
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難問山積の臨時国会と大臣の資質の追求

2018-10-22 06:06:05 | 2012・1・1
安倍晋三総理が昨日、8月以来、2か月ぶりに秘書官とゴルフを楽しんだあと記者団に”時差ボケもなく体調は十分”と語った。総理は欧州歴訪から帰国したばかりだが、24日からは臨時国会、そのあとすぐ25日からは中国、まさに南船北馬の忙しさだ。ご苦労さまだが、身体だけは気を付けて頂きたい。その臨時国会だが、天災続発による補正予算の成立が第一だが、政府与党側は、「入管難民法」など重要法案の審議を望んでいるが、マスコミを通じて聞こえてくる野党側の声は、依然として”モリカケ”問題に絡む大臣の資質の追求である。

そのやり玉の第一に上がっているのは麻生太郎副総理兼財務大臣である。一般の国民感情としては、安倍総理がなんとはなく”モリカケ”問題に幕を引きたいのはある程度理解出きるが、あれほど騒がせた財務省高官の不祥事に対して監督責任のある麻生大臣が不問にふされたのは納得できない。十年一昔というが、10年前の今頃は、麻生内閣が発足したばかりであったが、麻生総理が毎晩のように高級ホテルのバーに通っているとか、国会での”未曽有”の漢字誤読が追及されていた。

野党六党首は臨時国会審議を前に結束することで一致しているそうだ。一致とは”安倍おろし”に過ぎない。国の将来を決定づける「入管難民法」の審議ではない。”モリカケ”問題がまたぞろ持ち出され、それに絡んで麻生大臣の追求、新閣僚の週刊誌報道スキャンダルが始まるかと思うと、この国は大丈夫かと“老爺心”ながら心配だ。
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