「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ドゥテルテ大統領の来日と日比友好の記念碑

2017-10-31 05:25:49 | 2012・1・1
フィリピンのドゥテルテ大統領が来日、天皇陛下ともお会いになる。大統領の来日は昨年に次いで2度目だが、今回は来月13日、マニラで開かれるアセアン会議を前にしての訪日で、日本への会議成功への協力要請の意味合いもある。小ブログは昨年10月の大統領訪日の際、連続3回にわたって歓迎の一文を書いたが、改めてその概略を紹介したい。

東京のど真ん中にある日比谷公園に日比友好の碑が二つもあることを都民でもあまり知らない。一つはフィリピンの”建国の父”といわれるホセ.リサールが明治の初め訪日、東京に長期滞在した際、宿泊したホテルの近くに建立された記念碑とブロンズ像。もう一つは、戦後”戦犯”としてモンテンルパ刑務所に抑留中だった日本人千名の釈放に尽力してくれたキリノ大統領への顕彰碑である。このほか、横浜の山下公園には、”独立の志士”リカルテが戦前日本に亡命していた地を記念した象もある。また千葉県銚子市の”地球が丸く見える公園の岬の丘の上には日比友好の浄火を型度った記念碑が遠く海を隔てた比国に向かって建てられている。

わが国とフィリピンとの関係は遠く呂宋助左衛門や高山右近の時代までさかのぼれるほど古い。しかし、残念ながら先の戦争で戦場になり、最大の犠牲者を出し、さらには戦後、連合軍裁判で”戦犯者”が処刑されたこともあって、一般の日本人のフィリピンへのイメージは悪い。しかし、一方では友好の記念碑の例のように、お互いに親しい関係がある。ドゥテルテ大統領二も一度時間を見て友好碑を訪れていただきたい。

日本の特産品 柿をもっと世界に売りこもう

2017-10-30 05:56:25 | 2012・1・1
今年は全国的に柿の当たり年のようで安い。先日も近所のスーパーで立派な柿が一個50円で売っていたので、つい6個300円で買って帰ったら”年寄りがこんな重い物を買ってくるな”と老妻から叱られた。僕が住む町は「柿の木坂」と名前がついているが、今は開発されて、町中にはほとんど柿の木は見当たらない。昭和30年代、青木光一が歌ってヒットした「柿の木坂の家」は、作曲家石本美由記が故郷の広島県大竹市を回想したものでわが町ではないが、何か柿には親しみがある。

”柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺”の子規の句で代表される柿は日本の国民的な果物で、英語ではパーシモン(perasimmon)というそうだが、物の本によると。パーシモンと柿は別物で、柿はあくまで柿であるという。20年前、僕は北スマトラのメダンに長期滞在していたが、メダンの果物店で売られていた、ブラスタギ産の柿も”kaki "の名前で売られていた。余談になるがインドネシアの初代大統領は大の柿好きだった。彼の自伝には、いつも日本へ行くと柿を所望したと書いてある。

数ある柿の中も僕は勤務したことがる会津の身知らずの柿が一番すきだ。渋柿を上手に処理した大型の柿だがその味は絶品だ。その身知らずの柿が東日本大震災の原発事故で被災したという風評の影響を受けているという。同じ福島県といっても原發のある太平洋岸の浜通りと会津とでは100キロ以上も離れている。にも拘らず、現地では6年経った今でも、出荷のさいセシウムの量の明記を求められているとのことだ。

”柿が熟せば医者いらず”という諺が昔からあるぐらいだ。こんなに滋養に富んだ柿だ。それに”桃栗三年柿八年”と比較的成長も早い。国土の三分の二が山国のわが国である。もっと国土を活用して、柿を日本の特産品として世界に売り込んだらどうだろうか。







激動だった時代の職場の旧友会に参加して

2017-10-29 05:39:06 | 2012・1・1
半世紀以上前、13年間勤務した新聞社の外信部の旧友会に昨日参加した。僕が勤務していたのは1956年(昭和31年)10月から68年12月だったが、振り返ると激動の時代であった。僕が社会部から外信部に異動して最初に翻訳した外電は、ハンガリー事件であった。首都ブダペストで市民が非スターリン、反ソ(ソ連)を叫んで蜂起した暴動である。世界が転換期にあったのであろうか。ハンガリー事件と並行したかのようにスエズ戦争(第二次中東戦争)が発生した。

それから13年間、僕は途中2年間(1966年―67年)のジャカルタ勤務を除いて外信部に勤務した。当時の外信部の主な仕事は外国通信社からテレタイプで流れてくる外電を翻訳することと、在外特派員が打電してくるローマ字電を「原稿」化することであった。”切った張った”の派手な事件を取材してきた社会部と違って、正直いって僕には何か物足りなかった。

スエズ戦争を機に僕は中東担当となり、主として中東地域のニュースを追ってきたが、世界は激動期であった。62年のキューバ危機で象徴される東西冷戦が、やがて崩れ、一方米ソ間の宇宙開発競争が激化し、アジアではベトナム戦争が起こり、中国では文化革命がはじまった。こういったニュースを13年間、僕はテレックスを前にしたデスクで取材してきた。ケネデイ大統領暗殺事件の朝、緊急召集で会社に駆け付けたのが、昨日のように思われるが、もう53年も昔になった。

時の流れである。昨日の旧友会では、僕は参加者の中で最長老になってしまった。現役を卒業したばかりの若いOBの一人が僕の挨拶を聞いた後、しげじげと僕の顏をみて”私は1951年生まれです”と語りかけてきた。。僕が外信部勤務になったのは、彼が5歳の時なのである。感無量である。

日産、スバルの安全検査 職業教育蔑視のツケ

2017-10-28 05:47:47 | 2012・1・1
”技術の日産が人生を面白くする”という日産のホームページを開いたら「お客様へお詫び」に変っていた。同社が日本国内6工場で生産していた21車種の車の完成時検査が、無資格の従業員の手によって行われていたのが発覚、116万台がリコールされるという。技術力を売り物にしている日産である。信じられない話と思っていいたら、スバルでも同じことが30年に渡って慣行として行われていたそうで、25万台がリコールされるとのことだ。他のメーカーは大丈夫なのか、日本の自動車産業全体の信用にかかわる話だ。折りから日本自動車ショーが東京で開催中である。他国の陰謀とも思いたくなるような不祥事である。

昭和60年(1985年)から3年間、僕は当時相模原市にあった職業訓練大学校(現在の職業能力開発大学校)で、JICA(国際協力機構)からの委託の途上国からの研修員の面倒をみていた。自動車工学というコースの研修コーディネ―ターで、1年間研修員につきそって自動車メーカーの工場実習にも同行した。日産の横浜の研修施設にもお世話になったが、立派な施設と内容で研修員を喜ばせた。日産だけでなく全国のメーカーでも、世界のトップを行く技術に目を触れ、研修員だけでなく僕も目をみはった。

3年間の職業訓練大学での経験で、僕は日本の職業訓練教育(Polytechnic)の一端を学んだが、戦後の日本の復興を担ってきたのは職業訓練教育にあると実感した。全国の職業訓練施設があり、地方でも若者が基礎的な職業訓練を学んでいた。当時は職業五輪の入賞者もマスコミが大きく取り上げた。昭和の時代は日本人が謙虚に技術を学んだ時代であった。その謙虚さがバブル期を経て、平成の時代に入り、蔑視され、失われてきたのではないだろうか。

「全世代間福祉」と高齢者医療

2017-10-27 06:04:13 | 2012・1・1
厚労省の今年度「厚生労働白書」が先日の閣議に報告された。その骨子を新聞で読んだが、従来の高齢者中心の福祉政策を全世代対応の政策に転換しようというものらしい。その理由の一つとして、例えば世帯主が40歳代の家庭の年間所得300万円未満の層が増加し、一方、65歳以上の高齢者の100万以下の層が減り、200万―500万円の中間所得層が増加してきている点をあげている。

この具体策として、高齢者医療の不均衡を取り上げ、65歳以上現行1割の窓口負担を2割に引き上げ、75歳以上の後期高齢者も将来適用されるらしい。確かに80歳代の僕が見ても1割負担では社会一般の物価からみて安すぎる感じがする。僕の場合は、家屋と土地が自分のもので、地方税を納入しているという理由から窓口3割負担だが、3割と1割とでは随分と違う、老妻がこぼしていたが、整形外科病院で電気治療をすると、3割負担では、一回830円も支払うが、一割負担では300円で済むらしい。一事が万事で、病院の待合室は老人の談話室化しているという指摘もある。

しかし、高齢者医療を一律に2割に引き上げた場合、低額所得者は”医者に行けなくなる”かも知れない。わが家の場合をあげて恐縮だが、年金収入は僕の厚生年金が中心で、二人の老齢基礎年金併せて、240万円程度だが、後期高齢者医療保険、介護保険を併せると、50万円近く納入している。二人ともガン手術をしているが、今は日常的には健康で、月に1回、通院する程度ですんでいる。しかし、老妻が冗談で言っているが、これ以上医療費があがれば、足の電気治療を止めなくなるかもしれない。政府に望みたいのは、均衡の取れたきめ細かい福祉政策である。

大腸ガンの腫瘍マーク値をクリアー

2017-10-26 05:17:51 | 2012・1・1
大腸ガン手術後3か月ごとの検診に昨日、国立病院へ行き血液検査をしたが、すべて正常値、腫瘍マーク値(CEA,CA19-9)も問題なかった。次回の検査は来年1月、今年はまだ11,12月と2か月残っているが、これで今年の通院は終わり、無事年を越せそうだというのが正直な気持ちだ。

僕の大腸ガン歴は、最初の発見が3年前の2014年前の12月、区の定期診断で見つかり、ステージⅡで腹腔手術して患部を切除した。ところが、手術後約1年後の16年1月の事後チェックで、切除した付近に再度ガンが発見され、、今度は開腹手術でこれを取り除いた。主治医の話では珍しいケースだとのことだ。

僕は大腸ガンのほかに膀胱ガン歴もあり、2000年に最初の手術で切除し、その後5年間、事後チェックしたが再発はなかった。ところが、07年に再発、さらに13年には二度も再々発、入院している、今このチェックは4年目に入っているが、また、先日の内視鏡検査で小さなポリーブらしいものが映った。

大腸ガンの腫瘍マーク値が正常なので主治医にこのことを告げたが、医師からは納得のできる返事はなかった。大腸ガンと膀胱ガンとの間には因果関係はないのかもしれない。平均寿命も健康寿命もとっくにクリアーしている老人である。多少、高目であった血糖値も食事療法で下がり、今月から医者から薬も飲まずによいと言われた。すべて、このまま健康で推移してくれればと、ただただ願うだけである。

東京メトロ(地下鉄)の窓ガラス破損 WI-F設置Iより安全対策を

2017-10-25 06:16:50 | 2012・1・1
昨日昼すぎ、東京メトロ(地下鉄)日比谷線の茅場町―八丁堀間を走行中の先頭車両の窓ガラスが突然破損した。幸い乗客にはケガがなく、車両もそのまま、終着の中目黒駅まで運行したそうだが、今の時点では原因不明だとのこと。ラッシュの満員時で起きたならばと思うとぞっとする。日比谷線では17年前の2000年3月、終点の中目黒駅手前の急カーブで、すれ違う電車同士が接触、競合脱線し死者5人を出しているが、当時、競合脱線など想定外の事であり、僕はその当時の事を想い起こした。

実はこの事故の起きる前、僕は東京メトロが東京五輪パラリンピックを前に、路線全部に無料でWI-FIを設置するという新聞報道をみて、それより以前に、駅構内のバリアーフリーをもっと進めるべきだとして、日比谷線の広尾駅の例を用意した。広尾駅は一日6万人以上の乗降客ガり、付近にはドイツ、フランスなど23もの大使館もあるが、地上へのエレベーターは一つしかなく、身障者用のトイレもない。僕は広尾駅の不便さは氷山に一角で、都営地下鉄と東京メトロと二つの路線が絡み合う東京の地下鉄路線は世界一不便だと書こうと思っていた。

首都圏では先月、JR東海道線と東横線でも走行中の電車の窓ガラスが割れ、東海道線ではけが人が出ているが、まだ原因は特定されていないそうだが、世界でも有数の捜査力を誇るわが国の事だ。とくに今回の日比谷線の場合は地下内であり、投石は考えられない。すれ違う際の風圧によるものであろうか。17年前の中目黒の競合脱線みたいな想定外とみられていた事故もある。WI-FIサービス以前、人命に関する事故(事件?)である。、懸命の原因究明をお願いしたい。

小沢一郎氏を当選させた”脳がおかしい”有権者

2017-10-24 05:35:26 | 2012・1・1
新聞の片隅に自由党の代表小沢一郎氏が無所属でたち、16選されたと小さな記事があった。選挙期間中、自民党候補の”の応援者から、名指しではないが”(小沢氏に投票する)有権者は脳がおかしい”とまで言われていたが、選挙結果をみると、なんと13万人の人が小沢氏に投票していた。僕から見れば、小沢一郎氏は過去の人であり、あまり政治家として期待できないように思えるのだが。

立憲民主党の躍進とともに無所属で立候補して当選した民進党出身者が多い。希望の党への合流を勧めた、代表の前原誠司氏を初め、野田佳彦元首相、岡田克也元代表、安住淳元財務相、玄葉光一郎元外務大臣、平野博文元官房長官、江田憲司元代表など十数人いる。立憲民主党は、これら無所属議員との間で合流を含めて協議するという。前原氏は民進党の代表を辞任し、希望の党と協力するらしいが、他の人たちはどうするのか。

民進党出身の無所属議員は”ビッグネーム”が多く、無所属でも当選の自信もあったのだろうが、立憲民主党と同じように、小池百合子氏から”排除”された”有権者の判官びいき”がプラスに作用したことは間違いない。しかし、有権者にとっては人迷惑な話である。たった50日前に代表を選んだのに、その代表が他党との合流を企て、選挙に負けたからといって解党する。こんな連中に一票を投じる有権者は”脳がおかしい”とまではゆかなくとも、それに近いかもしれない。税金のムダ使いである。

自民党の圧勝 小池百合子氏の功罪

2017-10-23 06:03:03 | 2012・1・1
衆院選挙の結果は自民党の圧勝で終った。昨夜、開票早々から優勢が伝えられ、僕は台風の進路を心配しながらもいつかラジオをつけたまま安心して眠ってしまった。今朝起きて新聞で結果を確認したら、自公与党だけで、憲法改正発議に必要な3分の2を超える312議席を獲得した。これに、憲法改正には反対ではない希望の党が、敗北したとはいえ32議席も加わった。安倍内閣にとっては大万歳だ。

小池百合子氏の希望の党は予想以上の敗北だった。小池氏の側近中の側近の若狭勝氏の落選が象徴的だ。都知事選挙から「都民ファースト」結成時のあの小池ブームの頃では考えられないことだ。小池知事は出張先のパリで、敗戦の原因は自分の(排除)失言だと語ったそうだが、失言より最大の原因は、民進党の前原誠司代表の誘いにのって、民進党との合流を勧めたことだ。これで一変に小池カラーの新銭さが失われた。

しかし、逆説的だが、小池氏にも功績もある。それは結果として民進党を解党させたことだ。立憲民主党は選挙で躍進したというが、選挙前の民主党の衆院議席数は87あったが、今度の選挙で立憲民主党の獲得した議席数は54にすぎない。逆に民進党から希望の党に移籍した議員数は30数名もいる。

小池百合子氏がこれからも党の代表を続けるのかどうか不明だが、注目されるのはこれからの希望の党の国政活動だ。安倍内閣に対する姿勢である、その結果によっては、日本の将来にとって好結果をもたらすことになろう。それを期待したい。

国政選挙 学徒出陣と反戦デモを想う

2017-10-22 04:54:12 | 2012・1・1
NHKラジオの「今日はなんの日」によると、3月21日は1943年(昭和18年)明治神宮外苑競技場で学徒出陣壮行会のあった日であった。当時中学生であった僕は、雨の中を校旗を先頭に軍歌「抜刀隊」の勇ましいメロディにのって行進する、当時のニュース映画が今でも脳裏にある。一方、1969年(昭和44年)のこの日には、新宿駅を中心に全学連新左翼などによってベトナム反戦集会が全国で起き、電車がとまるなど大騒ぎになった日でもあった。

今日は今後の国政を問う、衆院選挙の投票日である。残念ながら台風の襲来で、全国的に雨であり、投票率の低下が心配される。老輩の僕は悪天候を予想して自民党に一票を投じてきた。安保法案の改正や憲法改正は戦争への道と、野党は叫ぶが日本人の叡智を信じたい。学徒出陣による戦争の悲劇や、反戦デモのむなしさを体験してきた世代である。とても国益より私益を考えて離合集散する党には投票できない。老輩の僕には共産党の火炎びん戦術が忘れられない。

昨年の選挙法改正で選挙権が20歳から18歳に引き下げれてから初めての衆院選挙だが、ネット情報では棄権者や白紙投票が多いという。確かに、誰が見ても安倍内閣の「森友」「加計」問題の処理はおかしい。僕もこの点では自民党に投票したくないのだが、次善の策である。野党が余にもお粗末すぎる。安倍総理は勝利しても奢ることなく、自戒して国難に対処してもらいたい。学徒出陣だけはもうこりごりである。