「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           見直すな後期高齢者医療

2008-09-30 05:34:39 | Weblog
昨日、麻生総理の所信表明演説をテレビ中継で視聴した。野党との対決姿勢ははっき
りみえたが、内容は総花的で、僕には妙に時代がかった言辞が気になった。長寿医療
制度(後期高齢者という言葉は避けた)については1年以内に見直すと述べていた。が
失礼ながら総理は長寿医療制度をどの程度理解しているのだろうか。

先日あるテレビ番組をみていたら麻生総理が「長寿医療」に触れて、年齢によって”後期”
と線引きするのは失礼だとして、相沢英之・自民党衆院議員(司葉子さんのご主人)(89)
を引き合いに出していた。確かに人間は高齢でも相沢氏みたいな人もいるし、前期高齢
者でもボケている人もいる。が、いま見直すべきだとされているのは、年齢の線引による
改正ではないと思う。

後期高齢者医療制度について若い世代は、勉強不足で実態がわかっていない。例えば
10月15日の年金支給日から、実施の遅れていた地域の対象者最大325万人(NHK報道
は600万人)の保険金が年金から”天引き”され、また、大騒ぎになるという報道がある。
しかし、対象者(僕もその一人)の保険金は、すでに4月ー9月分については役所から送られ
てきた払込書によって支払っている。年金からの天引が反対ならそれなりの方法がとれる 
ようになっていて4月の時のような混乱は少ない。

後期高齢者の寿命は若い世代に比べて短い。後期高齢者医療はすでにスタートしており、
一番問題だった低所得者からの徴収も救済されている。年齢による線引きの改正なら見
直しなど必要ない。前期高齢者への納付金改正で民間の健保組合の解散が続いているそ
うだが、そのほうが問題だ。後期高齢者医療の論議はもういい。次世代の問題に取り込ん
で欲しい。

           ”好戦的なナショナリスト”

2008-09-29 05:45:17 | Weblog
一昨日、昔の同僚の「公開時局講演会」を聴きに行った。東京のある区が後援して
いる生涯教育の一環として行われているもので、年に一回の催しだが、今年で19
回目を数えている。が、同僚が80歳を迎えるに当り、今年でピリオドを打った。人気
の催しだけにもったいない気がする。

友人は現役時代,ドイツとソ連(当時)の特派員をした経験をもつ。その体験をふまえ
て日本の外交の危機」について話をした。彼はモスクワ時代「北方領土」問題につい
て勉強しており深い見識をもっている。その持論から最近の竹島,尖閣、東シナ海
の”線引き”問題にふれ、日本の外交のヘナヘナ振りを批判した。学識に裏づけされ
ているだけに説得力があった。

会場の区の施設は満員、この種の講演会にしては珍しい。「生涯教育」の行事なため
かもしらないが、聴衆は前期高齢者以上の年寄りばかり、女性も多かった。講演後質
疑の時間があったが、質問の内容から、聴衆は日本の外交に疑問をもち、とくに福田
内閣の”ことなかれ”主義にイライラ感を持っている方が多いと見受けた。

折りから発足した麻生内閣について麻生氏は”好戦的なナショナリスト”だとNYタイムス
が報じたことが話題になっている。そして「外交政策を近代化して隣国を対等に扱え」と
論じているそうだ。ことほど左様に、わが国の外交については誤解されている。誤解の
原因は、何をいわれても黙っているからだ。

多少逆説的にいえば”好戦的なナショナリスト”は、辞任を申し出た大臣を徹底的にか
ばい、続々と押し寄せる中国有害産品に対して抗議し、まずは”毒ギョーザ”事件の真
相を国民に明らかにすべきだ。


           中山国交相の「正論」

2008-09-28 04:35:44 | Weblog
中山成彬国土交通相の三点セットー「成田反対ゴネ得」「日本は単一民族」「大分
県教委の体たらく」がまた大臣の失言として問題になっている。戦前"お国のため
に”の教育を受けた僕にとっては、いずれも"ご説ごもっとも”であって騒ぐほどの
ことはないと思うのだが、やはり時代が変わった。大臣は責任を取って辞任した。

大臣の失言、マスコミの過剰反応、野党の責任追及、国会の空転ーといった馬鹿
な構図がまたぞろ始まりそうだ。国民はもううんざりである。政治家たちは何を考え
ているのか。大事な国会審議が始まる前に一人の大臣の失言をめぐって大騒ぎし
ているようだが、大臣は辞任した。この問題はここで幕を閉じるべきだ。

中山国交相の発言は一部の記者との会見の席でのものらしい。どのような設定の
下で行われたのか知らないが、自分の所管以外の問題について誤解を呼ぶ発言
をしている。親しい記者だと思って気を許したのか、あるいははめられたのか、いず
れにしても過去の閣僚経験者としてはワキが甘かった。

僕は成田空港を利用するたびに、過去の色々の事情があるにせよ、大臣と同じよう
な気持ちになる。空港の発展、ひいては国益が一部の人たちによって損なわれてい
るという単純な気持ちである。単一民族発言にしても悪意のものではない。まして
日教組発言は正鴻を得ており、僕は共感する。

問題があるとすれば、大臣が自分の所管以外の問題にについて、自説を公の場で
語りすぎたことだ。やはり”口は災いの源だ”

            百一歳残留者の帰国

2008-09-27 05:17:05 | Weblog
戦後インドネシアに残留した一人が近く日本に一時帰国するという電話を知人から
貰った。1907年生れというから誕生日がくれば百一歳の高齢である。文字通り波乱
万丈の人生、明治から平成までの四代を日本とインドネシア両国で生きてきた,もの
すごい生命力に改めて感服する。

ジャカルタのYWP(残留者福祉友の会)が編纂した冊子によると、一時帰国するT氏
は、戦前、旧蘭印で商社員をしていたが、昭和17年、戦争とともに再び民間人として
ジャワに渡った。仕事は当時軍需物資だった屑鉄の収拾であったが、敗戦で軍人と
一緒に収容所に入れられた。T氏は敗戦の日本に帰ってもという気持ちから、収容所
を脱走、以来今日までインドネシア社会で暮してきた。ここ数十年はジョクジャカルタ
のメラピ山麓でインドネシア式旅館を経営している。

戦後インドネシア各地に残留した日本人は千人ぐらいいたようだが、その後帰国した
り、死亡したりして昭和54年にYWPが残留者の福祉と助け合いの会を作ったときの
参加者は240名だった。が、今はT氏ほか数名しか残っていない。残留理由について
は、それぞれ異なるが戦争によってインドネシアに来たことにはまちがいない。「流れ
流れて落ち行く先がジャワ」(流浪の旅)であったわけではない。

残留した日本人のうち独立戦争に参加した人は、各地の英雄墓地に埋葬されている。
T氏も独立戦争に”斥候”として参加しているが、軍事作戦には従軍していない。日本
では、残留者は大日本帝国の軍隊からの脱走者扱いであったが、軍人恩給の規定を
満たす一部の人には一時金が支給されている。戦争とは冷酷だ。人の一生を狂わさせ
しまう。

      小泉引退 ロックンロール政治の終焉

2008-09-26 06:05:47 | Weblog
小泉純一郎・元首相が突然,次期選挙に出ないと言い出した。まだ67才、日本では
政治家としては”旬”の年齢である。彼が総裁のさい決めた自民党73歳定年制(比例
代表)まで相当時間があるのにだ。石原都知事の言葉を借りれば”純ちゃんらしい”と
いうことだが、いろいろな反響と憶測を呼んでいる。

小泉政治の5年余については毀誉褒貶だ。将来歴史がどのように判断するか判らな
いが、ミーハーにも似た国民的人気があった。それは彼が誕生日が同じで、熱狂的
ファンであったエルヴィス・プレスリーのロックンロール時代のアメリカの若者的な浮か
れ方にも似ていたーと今思えばそんな感じもする。

”男の美学”という言葉をよく聞く。小泉氏の引退を聞いた時、瞬間的にこの言葉を思
い出したが、必ずしもそうではないらしい。政治からは引退しないし、次男を後釜に
たてるらしい。僕ら一般人の社会では60歳が定年、第二の人生もせいぜい65歳まで。
その後余生を楽しめるものだが、政治家という商売は一回やったら辞められないものの
ようだ。

小泉改革路線を継いだという小池百合子氏が、さきの総裁選挙で予想外の議員票を
獲得したという指摘もある。僕個人も今の自民党が民主党に対抗できるとすれば、小
池総裁以外にはないと思っていた。戦後の政治家の中で、最も”戦後派”的な政治家
は小泉氏だと僕は思う。好い意味でも悪い意味でも彼は僕らの世代にはないものを
持っていた。

時代は動いている。改革路線は必要である。しかしロックンロールのような浮かれ方
は小泉氏の引退で終わりにして欲しい。


          世襲 家柄内閣 貴族趣味

2008-09-25 05:10:52 | Weblog
第92代の日本の首相、麻生太郎氏が誕生、24日深夜認証式を終えた。安倍内閣
がスタートしたのが一昨年の9月26日、福田内閣が発足したのが昨年の同じ26日
だった。かりに麻生内閣が2日後の26日に成立していたとすれば、とんだジンクス
にもなりかねなかった。

麻生新内閣の顔ぶれを見て驚いたのは毎度のことながら世襲政治家の多いことだ。
総理を含めて18人のうちなんと12人が世襲政治家なのだ。さらに念が入っているの
は3人も総理経験者の御曹司や孫が入っていることだ。世襲政治家が悪いというこ
とではないが、国民にとっては安倍、福田と二代にわたり総理の御曹司が、無責任
に政権を放棄をした記憶がまだ新しい。

麻生総理の母方の祖父は、戦後の日本の政治を動かした吉田茂氏である。敗戦の
日本をここまで復興させた名宰相だったが、当時の世論は彼に対する風当たりが強
かった。”白足袋宰相”"ワンマン首相”などなど。国民が生活に苦しんでいた時代に
キューバ産の高級葉巻をくわえ、英国製の三つ揃いの背広を着ていた。その貴族趣
味に対する批判だった。

麻生総理が祖父の血筋をひいた貴族趣味の持主であるかどうかはしらない。しかし
ひねくり者の僕には、新内閣の顔ぶれをみて、無意識のうちにそれが働いているよう
にみえてならない。かっての総理の娘を組閣の目玉のように任命しているが、彼女は
10年前にはテレビ局の駆け出しのディレクター。テレビ界では考えられない重用だ。
選挙管理内閣だからガタガタいうな、ということなのかもしれないがー。



        秋がきても”秋”を感じない東京

2008-09-24 04:52:05 | Weblog
”暑さ寒さも彼岸まで”-というが、昨日の東京はまだ残暑が厳しく秋の気配は
感じなかった。でも夜になれば、さすがに虫の声が聞こえてくる。▽あれ松虫が
鳴いている。チンチロチンチロ チンチロリン あれ鈴虫も鳴き出した。リンリンリ
ンリンリンーあの風情はないのだがやはり秋である。

東京でも昔は彼岸の頃になると、街にも赤トンボが現れ、子供たちは竿をもって
追いかけまわしたものだ。が、今年はわが家の周りにはその姿がみえない。”秋
の日ざしを浴びて軽く羽を休ませる野辺の花”がなくなってしまったからかもしれ
ない。

メールの普及からか、あまり関係のないはずの僕らの世代でも手紙のやり取りが
少なくなってきた。昔は”灯下親しむの候”とか”柿の実が日ごとに色ずき”とか”天
高く馬肥ゆ”といった手紙の常套句があったが、すっかり使われなくなってしまった。

明治の日本にはこんな秋もあった。
          ○ 田舎の四季(堀沢周安 作詞 尋常唱歌)
        二百十日もことなく済んで 村の祭りの太鼓がひびく
       稲は実がいる日よりはつづく 刈って広げて日に乾かして
       米にこなして俵に詰めて 家内そろって笑顔に笑顔

こんな風景は今でも日本に残っているのだろうか。”食の安全”なんていわなかった
時代である。

             働くお母さんの悲劇

2008-09-23 06:23:14 | Weblog
千葉県東金市の住宅街の路上で昼間、五歳の保育園児の遺体が発見された。幼女は
看護師をしている母親(37)とマンションで二人暮らし。前夜は夜勤の母親と共に母親の
実家の病院に泊まり、朝、祖母と町の清掃活動に参加したあと友達の家に行くといった
まま行方が判らなくなっていた。

僕の周囲にはいないが、母子家庭、父子家庭が最近増えている。これは裏返せば結婚し
てすぐ別れてしまう若いカップルが多くなっていることなのだろう。僕らの若い時と違って
社会環境は激変している。昔は”共稼ぎ”夫婦は限れれていたが、今は"共稼ぎ”という言
葉自体が死語に近いほど当たり前になってきた。”共稼ぎ”が即離婚につながるとは思わ
ないが一つの要因にはなっているかもしれない。

福岡市西区の公園で死体で発見された小学一年の男児は、”共稼ぎ”の母親(35)が病気
を苦にしての犯行らしいが、やはり仕事と育児が負担になっていたのだろう。"共稼ぎ”が
こんなに日本の社会に定着しているのに、このような福岡の母親のような痛ましい事件が
後をたたないのは悲しい。

家の周囲を散歩すると、ヨチヨチ歩きの幼児たちが保母さんたちに手をひかれ、あるいは手
押し車に乗せられて散歩している。これを見ると、僕は馬齢を重ねたためだろう。目頭があつ
くなる。まだ母親のあとを追う年齢なのに。

”共稼ぎ”夫婦や母子家庭、父子家庭の増加で、託児所や学童保育は、学校教育と同じぐらい
日本の社会では重要な役割を担っている。が、その割りに行政側の関心は低く、支援も十分
ではない。都会の託児所では子供を遊ばせる庭すらない。学童保育といっても正規の職員は
何人いるのか。これではお母さんたちも安心して働けない。

          ”急場”しのぎの民主党政策

2008-09-22 05:38:10 | Weblog
昨日の民主党臨時党大会での小沢一郎代表の再選された所信演説をNHKテレビで
見た。内容はよいことづくめ、実現できれば、こんなに好い事はない。僕も次の選挙で
一票を投じたくなる。だけど小沢代表の口から出た”(今の混乱に対しては)大場では
なくて急場をを逃さない政策だ””相手(自民党)への影響力が大きいところを優先すれ
ば主導権をとれる”という戦略である。

”急場”も”大場”も囲碁の専門用語である。僕は囲碁については素人だが、なんとなく
漢字から意味は解る。急場は一般的には”急場をしのぐ”と使われたりする。広辞苑に
よると「一時の間に合わせでなんとなくその場を切り抜ける”とある。

岡目八目で国の政治を眺めるのは不見識だが、小沢氏の”国取り”戦略が、大場(大局)
を見ないで急場しのぎであるならば、大変危険である。国家百年の計を脇において急場
しのぎのものであるならば無責任きわまわる。とても民主党へ一票投ずるわけにはゆか
ない。一時的にはよくても、将来の国のビジョンはどうなるのか。

自民党の総裁選挙で麻生太郎氏が予想通り5人の候補の中から選出された。24日の国
会で日本国首相に選ばれる予定だ。麻生氏の所信演説は聞いていないが、ぜひ急場しの
ぎ、総選挙目当てだけのものであっては困る。小沢氏の”碁敵”与謝野馨氏もいることであ
る。くれぐれも”筋読み”を間違えないようお願いする。



          神輿がかつげなかった世代

2008-09-21 05:34:17 | Weblog
台風一過とまでは行かなかったが、東京にも秋空が戻り、昨日今日、わが町も秋祭り
で湧いている。朝早く僕より背の高くなった孫が北海道から着いたばかりのカボチャを
届けにやってきて”今日からお祭りだよ”と老妻の前にぬーっと手を出した。小遣いの
せびりである。

齢をとると、残念ながら祭りの笛太鼓を聞いても心はあまり”勇み”たたなくなってきた。
想い出の中でのお祭りだけだ。それも幼児だったころ、山車をひいて菓子の入った紙袋
を貰ったぐらいだ。考えてみると、僕らの世代はお神輿をかついたことがない。子供御輿
の頃は戦争の真っ最中、戦後の青年期には食糧難で御輿を担ぐ元気などなかった。

老妻が昼間、神社を参拝すると、千円の小遣いを貰った孫が、商店街の肉屋の前で友
だちと一個30円の揚げたてのコロッケを食べていた。境内で売っているお祭りらしいソー
セージなど食べればよいものをと思うが、そこがやはり子供なのだろう。あるいは”食の
安全”に賢くなったのかー。

本殿までの境内の両側には、昔ながらの露天が並んでいた。が、僕らが子供のときには
人気のあったハッカ・パイプ屋や、女の子が口で鳴らしていた海ほおづきを売る店もなか
った。金魚すくいの店はあったが、一回500円では、ただ眺めていることにした。お神楽の
舞いを眺めながら、御輿の担げなかった、あの過酷の時代を回想し、平和の有り難さに
改めて感謝した。