「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

平均寿命は延びても 認知症 脳ドック

2015-07-31 05:25:27 | 2012・1・1
厚労省から2014年度の日本人の平均寿命が発表された。女性の平均寿命は86.83歳で3年連続世界一、男性も香港、アイスランドに次いで3位ながら80.50歳で、これは過去最高だという。ご同慶の至りだが、果たして喜んでばかりいてよいのであろうか。同じ厚労省の昨年度の「健康寿命」の統計では女性は74.21歳、男性も71.19歳にすぎない。「健康寿命」とは健康で、認知症にもならず、他人の介護なしに日常生活が送れる年齢である。平均寿命との格差が10歳近くもある。これが日本の高齢者医療福祉の現実なのだ。

僕ら年寄りが集まると、話題の一つは認知症だ。先日も知り合いの80歳代の女性が、冗談ともつかず、「脳ドック」へ行ったら貴女の脳年齢はら20歳だと診断されたと笑われていた。「脳ドック」とは、認知症かどうかの事前診断のため、専門医に行って脳のMRI(磁気共鳴画像診断)やCT{コンピューター画像診断)検査を受ける制度で、都会の高齢者の間で最近流行しているとのことだ。ネットの検索で調べると、健康保険の対象外なのか結構高い。

幸い僕の場合大病(膀胱ガン4回、大腸ガン1回、人工関節置換手術)をしたが、今のところ介護4、身障者1の認定を受けているが日常生活には支障がなく福祉のサービスも受けていない。ボケは年々激しくなってきているが、認知症ではないと自分ではは思っている。寝たきりにならないように、人工関節ながら医師の診断に従って出来るだけ毎日歩行することに努めている。

どんなに平均寿命が延びても健康で他人の世話にならずに日常生活が送れなければ幸せではない。「脳ドック」によって事前に認知症が発見でき、治療が出来るのならば、国の健康診断の項目の一つにレントゲンと同じように追加したらどうなのだろうか・

昭和10年代東京の夏の想い出

2015-07-30 04:44:15 | 2012・1・1
昨夕、東京23区のわが家の周りで今夏初めて蝉の鳴き声を聞いた。戦前、東京の小学校の夏休みは7月21日から始まったが、ニイニイ蝉は梅雨の最中から鳴きだし、休みに入る頃には街中でもアブラ蝉は大合唱、すこし木が茂っている場所では、ミンミン蝉やツクツクボウシの鳴き声さえ聞こえた。トンボの姿もまだ今年は目にしていないが、昭和10年代の東京では、ムギワラ、シオカラは至る所におり、子供たち憧れのギンやチャンと東京では呼ばれていた大型のヤンマさえいた。

僕らは「日射病」に気をつけろと母親に注意されたが、麦わら帽子をかぶり一日、もち竿と篭をもって外を駆けずり回っていた。のどが乾くと崖下の湧水に口を当て飲んだりした。まだ23区内にも原っぱが残っていた。家の近くに青物市場があり、八百屋さんが坂をリヤカーで登って来ると、後押しして貰ったおカネでアイスキャンデイを買ったりした。

長い夏の日が終わり陽が沈んでも、子供たちはよく遊んだ。路地に竹の縁台を持ち出して”まわり将棋”をしたり、花火遊びをした。数があって一番安い”線香花火”や”ネズミ花火や、時には紙筒に入った”音のする”花火に興じた。縁台に座った足元には渦巻状の蚊取り線香がたかれてあった。

早朝の学校でのラジオ体操も懐かしい、カードに出席の「出」の判を押して貰い、最終日にご褒美の文房具を貰うのが嬉しかった。ラジオ体操には子供たちだけでなく、”ステテコ”姿のおじさんも沢山参加していた。学校から休み中毎日つける夏休み手帳が渡されていたが、気温をつけ忘れ、休みの終りになって大慌てした記憶が苦い想い出として残っている。考えると、もう70年以上も昔のことだ。

個人攻撃より本論審議を 民主党

2015-07-29 06:28:15 | 2012・1・1
昨日もテレビで参議院特別委の安全保障関連法の審議の模様に一日おつきあいした。案の定といっては悪いが、民主党が得意の個人攻撃作戦に出てきた。質疑のトップに立った福山哲郎委員が礒崎陽輔首相補佐官の失言をとらえてた。磯崎補佐官が記者会見で”安保関連法は法的安全性には関係がない”といったのが問題だというのだ。政治にも法律にも素人の僕にはよく解からないが、せっかく会期いっぱい丁寧に審議しようというのに、またぞろ、国会が個人攻撃の場にきしてしまうのでは国民はたまったものではない。

福山哲郎委員は、民主党の要職にありながら、質疑のマナーに欠けている。磯崎補佐官への本格的攻撃の予行なのかもしれないが、昨日の横畠裕介法制局長官に対する参考質疑も礼に欠けていた。いやしくも政府の高官である。僕らからみれば、政治家が必ずしも役人より偉いとは思えない。福山委員の長官に対する態度は傍若無人、さらに自分の意見と違うと罵詈雑言、それでも東大を出ているのかと子供のケンカである。

磯崎失言問題は、すでに安倍総理も本人も失言を認め謝罪している。委員会は30日から集中審議にはいるが、民主党が失言にこだわり続けるのならば。会期がいくらあっても足りない。参議院は”良識の府”と言われ、中立公正な審議をする場である。僕の目にはすでに法案は衆議院で審議が尽くされたように見えるが、猛暑の中ご苦労さんだが”良識の府”でも「良識」を持って審議していただきたいものだ。福山委員のように、感情的に走れば、かみ合あわない議論は、ますますかみあわなくなる。

覚めてしまった参院の「安保関連法案」審議

2015-07-28 05:54:39 | 2012・1・1
安全保障関連法案審議が参議院入りした初日の27日、テレビ中継でその模様を見たが、正直いって質疑はもう出しつくされた形。冷房の中のお茶の間”観戦”と言いながら長時間これを見るのは、かなり苦行である。たまたま首都圏は、高校野球の決勝戦を放送をやっており、総理には申し訳ないが、総理の答弁になると、チャンネルを回したりした。僕にはもう政府の提案理由は理解出来ているからだ。

マスコミの最近の世論調査によると、政府の安保関連法案については反対が過半数を占め、安倍内閣の不支持率も支持率を上回っているという、しかし、国民は本当に理解しているのだろうか。どうも僕の目には、真意が判らずに民主党の「戦争法案」「独裁の道」といった感情的なレッテル張りに惑わされている気がしてならない。徴兵制度が復活して若者が戦場へ行く時代が来るといった類の妄言だ。

安倍総理は法案説明に当たって”丁寧に”丁寧に”を繰り返ししているが、初めから「反対」で聞く耳を持たない勢力には効き目がない。これから会期一杯、猛暑の中、議員先生にはご苦労さんだが、結局今のままでは、「60日ルール」が適用され、法案は衆院の戻されて可決されることになろう。どうも結論が見えていると審議を見る目が覚めてしまう。

安保関連法案は最重要だが、今のように野党が反対のための反対では政治は前進しない。申し訳ないが、3年3か月の民主党政権の失政が僕には頭にこびりついている。安保関連法案だけが政治ではない。重要法案だけに会期一杯の審議は必要だが、その他の法案審議がおろそかにされては、国民はたまらない。TPP交渉も最終段階に来ている。拉致問題はどうなっているのか。この法案審議で政治が混乱、停滞するのを国民は一番恐れている。

今なぜ謝罪ばかりするのか 三菱マテリアル

2015-07-27 05:26:17 | 2012・1・1
三菱マテリアル社が戦時中の米軍捕虜に対する謝罪に次いで今度は戦時中日本で強制労働させられたとする中国人にも総額80億円に上る補償金を支払う旨裁判で係争中の相手側交渉団に提示したという。相手側は、これを否定しているが、もし事実とすれば、総て戦時中のこの種の問題はみな解決済みとする日本政府の立場(昭和47年日中共同声明)に反するものだ。今、何故三菱マテリアルは、謝罪し補償に応ずるのだろうか。

戦後70年節目の年だとして安倍総理が発表する「談話」が内外から注目されている。なかでも総理が先の戦争について”反省”するか”謝罪”するかについて言葉は悪いがかしましすぎる。総理ははっきりと「村山談話」や「小泉談話」の精神を引き継ぐと公言している。にもかかわらず、一部のマスコミは安倍総理が「侵略」を否定し、戦争賛歌の談話を発表するかのように、世論をリードしている。まさか三菱マテリアルの一連の「謝罪」は、この風潮に関係あるとは思いたくないのだが気になる。

戦争の”ケジメ”の年となれば、今年70年が多分最後の年であろう。直接戦争に従軍した世代もまだおられるし、僕ら小国民世代も健在である。しかし、10年後の80年では、おそらく直接戦争を体験した日本人が数少なくなってしまう。そして、今以上に戦争体験が風化したり、誤り伝えられるかもしれない。そこで、小さな戦争体験者の一人として後世に残したいのは、我々の先人たちは,決して謝罪するほど悪者ではなかったということだ。すべて「戦争」がなせる罪悪なのである。

戦後70年、われわれは先の戦争の反省に立って新しい日本を築き上げてきた。安倍総理は率直に70年談話でこれを世界に訴えればよい。外野席からこれに妨害するような動きは慎むベきである。

インドネシアの慰安所と”戦時性暴力” TBSの劣悪番組

2015-07-26 05:16:48 | 2012・1・1
安倍総理の「戦後70年」談話を意識しているのどうか解らないが、最近、マスコミで戦時中の旧日本軍の事を扱う記事や番組が多い。しかし、その中には、今、何故この時期に、すでに解決済みの問題を蒸し返すのかー理解に苦しむものもある。昨夕TBS系列で放送された報道特集「戦時下の性暴力とインドネシアもその一つだ。

結論から言って、いわゆる「従軍慰安婦」問題は2006年すでに日イ両国間で解決を見ている。1990年代に日本の一部弁護士と学者がインドネシアにも戦時中”従軍慰安婦”が存在したとして騒ぎだし、これに呼応するかのように「アジアのための女性基金」(村山富市理事長)がインドネシア政府にその解決のための補償を申し出た。が、インドネシア政府は慰安婦は特定できないとして断り、国内の老人施設建設として日本側の援助申し出を受け、06年、施設も完成解結している。

昨日のTBSの番組を見て、幾つか疑問と誤りがあった。最大の疑問は「従軍慰安婦」問題と慰安所を混同していることだ。戦時中インドネシア地域に日本軍兵士を対象にした慰安所があったのは事実である。番組でも取り上げていたが、旧海軍主計将校であった中曽根康弘元総理ががバリックパパン(カリマンタン)で”土人女を集めて慰安所を開設した”のは「陣中日記」にも記載されているのだから事実である。。もう一つの疑問は、この問題については「アジア女性基金」の歴史考証委員で、何回も現地調査まをしている第一人者の著名大学の女性教授がいでいるが、番組では何故か、彼女から何も意見を求めず、オランダの女性ジャーナリストを通訳、案内人として起用していることだ。

最後に日本軍によって強姦されたという女性が兵隊は「サムライ」を持っていたと証言、番組ではわざわざテロップを出して「サムライ」はインドネシアでは銃剣だとしているが、これは誤り、「サムライ」は日本刀の事を指す。それより、戦時中一、刀を差すことが出来たのは一部の下士官以上だけで、第一、刀をさして慰安所通いをするだろうか。とにかく、売春が法で許された時代の話である。いまさら、こんな番組を作っても百害あって一利なし。あえて劣悪番組と呼ばせて貰おう。

墓島(ブーゲンビル島)と村山富市元総理

2015-07-25 05:45:42 | 2012・1・1
先日、日本記者クラブで村山富市(元総理)と河野洋平(元官房長官)二人の”従軍慰安婦”謝罪発言当事者のW妄言を新聞で読んだ。80歳半ばの僕が読んでも、二人の戦争認識はおかしい。とくに卒寿(90歳)を過ぎた村山氏の認識は老害である。年齢からみて戦争体験者、軍歴もある世代なのに、これでは、お国ために戦った数百万人の英霊が浮かばれない。

村山氏は昭和20年、宮崎県都城の陸軍歩兵第23連隊に入隊、熊本で幹部候補生として訓練を受け、終戦で任官した軍曹だと軍歴にある。従って戦地へは赴いていないが、第23連隊の主力は大東亜戦争中、パプア.ニューギニアのソロモン群島の一つブーゲンビル島攻防戦で、壮烈な戦闘を展開、兵力の過半数が犠牲になっている、連合艦隊司令長官、山本五十六元帥が敵の戦闘機で撃ち落され戦死されたのたのもこの地である。

当時、ブーゲンビルは「ボーゲンビル」と呼ばれ、戦闘による死者が多いことから「ボ―ゲンビル」の‘ボ”を取って「墓島」と呼ばれていた。最近読んだ丸谷元人氏の「日本の南洋戦略」の中に戦時中のブーゲンビルの事が出てくるが、戦闘で現地人たちは、村を追われ、生活が破壊されたが、何故か、現地人たちは日本に恨みを持たず、親日的だそうである。それは丸谷氏によれば、日本兵が”同じ人間”として扱ったからだという。

ブーゲンビル島は、長い内戦の後、2005年、パプア共和国の自治政府として独立し、初代の大統領カブイ氏が06年来日、靖国神社を参拝したことが話題になったが、村山元総理が靖国神社を参拝した話は聞いたことがない。僕は丸谷氏の本を読んで、村山氏が謝罪するならブーゲンビルの現地人であり、歴史認識で妄言をはくより、同じ連隊の先輩兵士が眠る慰霊碑に参拝したほうがよいのにと思ったりした。

老人の「土用」実感

2015-07-24 04:46:00 | 2012・1・1
昨日は暦の上で大暑、今日は「土用」である。と、いっても僕ら都会居住者にとっては文字通り”暦の上”だけであって、生活と結びついていないし、知識もない。僕もつい最近まで、「土用」とは”ウナギを食べる日”ぐらいで深く考えていなかった。しかし、調べると暦の四立(立夏、立秋、、立冬、立春)の一つで、その直前約18日間をいうのだという。だから「土用」は年に4回あるのだが、立秋まで18日間、それも最初の1日だけが、日本では「土用の日」と呼ばれており、僕もそうだと思っていた。

戦中戦後の食糧難時代に子供だった僕らの世代はウナギに対してあまり郷愁がない。昨日、老妻が大手スーパーへ出かけたら売り場に一匹1000円もする蒲焼きがうず高く積まれていて”果たして売れるのかしら”と心配していた。駅前のウナギ屋さんからも店の中から美味しそうな匂いがただよっていたが、二人とも食べに出かけようとはいわない。

子供の時、海水浴に行くと”土用波が立っているから気をつけろ”と言われたものだ。多分、この時期になると台風が接近し、その影響だったのだろう。しかし、今のように「土用」が暑くて耐えられなかったという記憶がない。たまたま昭和16年(1941年)の亡父の日記帳に、この年だけ毎日の最高温度が記述してあった。この年の「土用」は7月20日から8月7日までであったが、30℃を超す真夏日は4日、35℃以上の猛暑日は一日もない。この年が冷夏だったのかどうか判らないが、昔は今のように暑くて耐えられない日はなかった気がする。

毎日、テレビで今日は熱中症が何人出たと伝えている。わが家でもこのところ夜中、冷房をつけ水を欠かさないことにしている。しかし「土用」にウナギを食べなかったからといって、栄養失調になることはあるまい。やせ我慢して、じっとこの暑さに耐えることにしよう。

戦争中の孤島での虐殺事件で思うこと

2015-07-23 06:47:49 | 2012・1・1
先日(7月19日)小ブログで北スラウェシ(インドネシア)のサギヘ列島での戦時中の住民虐殺事件を扱った昭和史研究家の記事を紹介したところ、早速、知り合いの先輩からサギヘ列島の地図に添えた手紙をを頂いた。先輩は戦時中マカッサル(南スラウェシ)にあった海軍民政部の軍属だった方だが、やはり虐殺事件については知らなかったし、戦後の和蘭の峻烈を極めた裁判からみて不問なのはおかしいという意見であった。

10数年前だが、僕は上智大学の村井吉敬教授(故人)が書いた「サジとアジアと海世界」という本の中で、教授がアラフラ海の孤島ババル島を訪れ、現地で戦時中、日本軍が400人とも500人ともいえる住民を虐殺した事件につて聴き取り調査をした記事を読んだ。村井教授の調査のきっかけも、元軍人Tさんの秘密文書によるもので、サギヘ島の虐殺と似ている。また、両事件とも戦後の連合軍裁判で問題にされていない。

ババル島虐殺について当時僕は知り合いを通じて同島を管轄していた第五軍の参謀から話を聞き、島の隊長だった方を紹介された。隊長は僕のお会いしたいという申し出に対し、昔の事を想い出したくないと丁重な断りがあった。僕が当時受けたこの事件についての印象は,虐殺といより、狭い島の中での煙草を巡る日本兵と島民と争いであり、襲撃された日本軍の自己防衛色が強かった。

本格的に調査した訳ではないが、もしかすると歴史の表面から消えてしまった、このような事件がほかにもあるかもしれない。しかし、戦後70年に当たって、新しくこのような事件を掘り起こすよりは、戦争の反省に立って、もっと未来志向ですることが他にあるのではないだろうか。


何故この時期に捕虜への謝罪なのか

2015-07-22 05:40:09 | 2012・1・1
戦時中米軍捕虜を強制労働させたとして三菱マテリアルが、わざわざ役員をロサンゼルスへ派遣して謝罪した。日本の大企業が捕虜問題で謝罪したのはこれが初めてのこととかで国際的な話題を提供している。先日、小ブログは、すでに一度、この問題を扱っているが、今、安倍総理の戦後70年談話で「謝罪」をいれるべきかどうか注目を浴びているときだ。タイミングとしては如何なるものだろうか。

早速、予測された通り韓国や中国から”アジアの国々への謝罪を差し置いて米国にだけ謝罪するのか”抗議の大合唱である。すでに連合軍捕虜への謝罪問題はサンフランシスコ平和条約で解結済みである。また、韓国や中国が抗議する強制連行問題とは別問題だ。三菱マテリアルは、当然、社外役員に元外交官で、小泉内閣の首相補佐官であった岡本行夫氏を抱えており、このことは承知のことだ。それでも、この時期に謝罪するのは”謝罪よりも商行為”だと(Record China)評されても仕方がない。

敗戦後、南方軍隷下部隊、10万人の軍人軍属はポツダム条約で、速やかに復員帰国する規定になっていたにも関わらず、JSP(Japanese surenders Personel)=日本人降伏軍人軍属=という資格で長い人は2年間近く使役労働に従事させられた。このうち約1万人近くが、酷使により死亡している。この数は泰緬鉄道建設で犠牲になった捕虜の数より多い。シンガポールの近くのインドネシア領の孤島レムパン、ガランでは、連合軍の給与不足から164人が栄養不足でなくなっている。戦後70年、すでに解決済みの問題に謝罪するよりも、祖国のために生命を落したJSPの方々の霊に想いをはせよう。