「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

“ださい”言葉“”やばい”解釈

2019-10-31 05:01:55 | 2012・1・1
言葉は時代と共に変化するもの。あえて目くじらたてる問題ではないかもしれないが、卒寿に近い老人にとって近頃気になるイヤな日本語が二つある。”ださい”と”やばい”だ。手元にある広辞苑第4版(岩波書店1993年)によると、”ださい”は「野暮ったい、洗練されていない意味の俗語」。「やばいは危険な状態の隠語」とある。出版年から見て、すでに20年以前から使われている。

文化庁の平成30年度「国語に関する世論調査」の結果が新聞に出ていたが、その例の一つとして56.7%の人が"憮然”という言葉について、ただ腹を立てている様子”と誤解していたという。僕はこれを知って憮然としてしまった。”憮然”のほか”砂を噛む”、”御の字”の誤解が例としてあがっていたが、幸い僕には誤解がなかった。

政治家の中には本当の意味を知らずに昔の言葉を使いたくなるものらしい。大学入試の英語共通テストをめぐって萩生田光一文科相が”身の丈にあって”と失言した。今のこの時代、あまり”身の丈”などといった言葉は使わない。安倍総理にも”津々浦々”的なその癖がある。日常的な言葉以外は、やばい”から気を付けたほうがよい。


バグダーデイの死で中東の混乱はおさまるか

2019-10-30 04:48:26 | 2012・1・1
中東の過激派組織IS(イスラム国)の指導者、バグダーデイが米国の特殊部隊によってシリア秘密隠れ家のトンネルに追い込まれ自爆した、テレビでトランプ大統領が感情ををあらわに勝利を宣言していたが、果たして中東の混乱は治まるのだろうか。米国の有志国オーストラリアのモリソン首相は”幾つも頭のある怪物の頭の一つが落ちたに過ぎない”と醒めた見方をしている。

僕は新聞社の外信部記者として1956年の第ニ次中東戦争(スエズ戦争)から67年の第三次戦争(六日戦争)を東京で取材しているが、あの時代も中東は混乱していた。イラク、イエメンの王制が倒れ、エジプトとシリアが、合邦したり離れたり, その間、イラク、シリア両国にまたがるバース党の抗争、クーデターなどなど。今の混乱と変わりがない。

中東の政治オブザーバーには、悲観論者が多い。8年前の2011年5月、9.11の米国同時多発テロの犯人、ビン.ラーデインがパキスタンで米国の秘密部隊によって殺害されているが、小ブログは"ビン.ラーディンの死でテロは収まるか”との一文(4日)でテロの再発を危惧している。

中東の政治混乱は第一次世界大戦のさい欧州諸国とオスマン.トルコとの間で戦後の国境画定したサイコス.ピコ秘密協定ににあるとされている。「国家」を失ったクルド族問題も一つだが、外部から持ち込んンんだハシミテ王国も原因の一つだ。それよりも戦後、米国がこの地に介入して来たのが最大の問題だ。軍隊をシリアから引き揚げたぐらいでは済まない。全面的に中東から手をひくべきである。宗主国として経験のない国の介入は無理でる。





イワシ子 ひこイワシ 江戸前の味

2019-10-29 05:51:15 | 2012・1・1
娘婿が先日横須賀の佐島港に上がったばかりのひこイワシを買ってきてそのお裾分けを貰った。早速しょうがで甘辛く煮て食べたが、新鮮で絶品である(写真)、東京では、イワシというと一般にはひこイワシのことをいう。戦前、江戸前(東京湾)で新鮮な魚が沢山とれた頃、朝早く、江戸の街には”イワシ子やイワシ子”と行商人が売り歩いた。その独特の売り回しの言葉は何故か今でも僕はいえる。

僕は恥ずかしながら最近までマイワシとひこイワシとの区別を知らなかった。30年ほど前札幌に在住、よく薄野の居酒屋で゛七つ星”という背に七つ”星””がついた焼き魚を食べたが、これはマイワシで、子供の頃、母親がよく料理してくれた東京湾で獲れたひこイワシと同じで形が大きいぐらいにしか思わなかった。

安ウイスキーがサラリマンの間で全盛の頃、僕は格好をつけて、輸入品のアンチョビの缶詰を食べた。このアンチョビがひこイワシであることも、これまた僕は最近まで知らなかった。老妻がイワシ子は「し」と「ひ」の判別がつかない江戸っ子が「ひこイワシ」を「イワシ子」となまったのではないかと珍説を述べていたが、これはどうも。ひこイワシは美味なわりに、あまり東京では食卓に上がらない。何故なのだろうか。見栄えが悪いからだろうか。もったいない。




配給時代のレガシー 玉子パンの味

2019-10-28 05:12:17 | 2012・1・1
戦中から戦後の昭和20年代初めにかけて、米、味噌、醤油、酒、タバコ、衣料品に至るまで配給制であった。”勝つまでは欲しがりません"-銃後の生活は耐乏を強いられた。「少国民」だった僕らも、お菓子が配給品だった。といってもなんでも買えるわけではなく、一定のものしかなかった。そのうちの一つに何故か僕には玉子パン(写真)の記憶がある。

戦争の名前が支那事変から大東亜戦争に変わった昭和16年頃から,銃後には次第に菓子類が消えてきた。″オセン(煎餅)にキャラメル”と映画館で売られていた、代表的な当時のスイーツ、キャラメル、板チョコは完全に姿を消した。昔は町のどこにでもあった駄菓子屋の店先からも駄菓子が消え、売っているのは南方の戦地からの乾燥バナナとニッキ(肉桂)だけだった。

昭和17年10月、当時東京の国民学校(小学校)6年生だった僕らは緒戦の勝利の”ご褒美”に関西へ参宮(修学)旅行へ出かけているが、その時にもお菓子が特別配給になった。しかし、校長先生の一言で、全部食べずに持ち帰った。旅行中、菓子を食べて病気になってはという”親心”からだが、時代を感じさせる。

敗戦後、横浜の大桟橋で、家から持ち出した人形とExchangeした、何年振りかで食べたチョコレートの味も忘れられない。今は何でもある時代だが、久しぶりに食べた玉子パンの簡素な味から過酷だったあの時代が色々と想い出される。


鳩山由紀夫 日本共和党「棟梁」の”物差”

2019-10-26 07:50:10 | 2012・1・1
またまた日本国第93代総理大臣だった鳩山由紀夫氏(72)がおかしな言動をしている。”日本の政治に一言、二言申し上げたい”とて「日本共和党」という政治団体を設立する準備会を持ちたいという。そして、自分が新党の”棟梁”に就任し、政治に“物差し”を当てたいとのことだ。ゴシップとしては面白いが、国民にとってはいい迷惑だ。

鳩山氏が総理在任中、沖縄の普天間基地移転をめぐっいるが、て”最低でも(沖縄)県外といって政治が迷走したのはまだ記憶に新しいが、退任後も”沖縄は日本が中国から奪ったもので、尖閣と同様,係争の地だ”と売国奴発言をしている。さらに、韓国ではソウルの旧西大門刑務所跡の記念碑前にひざまずき、”植民地支配”を詫びたりしている。”宇宙人”とも呼ばれているが、おかしな危険な政治の持ち主だ。

「日本共和党」と聞いて、僕は鳩山氏の旧民主党時代の僚友、小沢一郎氏を思い浮かべた。小沢氏は自民党から始まって新生,新進、自由、民主、国民の生活第一、再び自由と七つの党を遍歴している。政党交付金が狙いといわれても仕方がない。鳩山氏の共和党の動きを知って、”てぐすね”ひいて待っているのは小沢一郎氏ではないだろうか。鳩山、小沢両氏は過去の人である。マスコミもまともに扱うべきではない。






仏教伝統文化の美しさ お十夜

2019-10-26 06:23:05 | 2012・1・1
昨日、東京は大雨だったが、その中を老妻が娘の同伴で、東上野にある浄土宗の菩提寺、源空寺のお十夜法会に参加した。お十夜とは浄土宗の「十日十夜別時念仏会」のことで、昔は旧暦の10月5日から10日間にわたってお念仏を唱える仏事だったが、今は10月から11月にかけての一日,門下の各寺で別々に催されている。

僕は初めてお十夜に参加したのは13年前で、小ブログ(2006年10月26日)でも書いているが、その華麗な儀式に感激”十数人の僧侶が唱える読経の中でカネ鉦、散華する華やかな儀式がよくぞ今の世に伝承されてきた”と書いている。葬儀の席での僧侶の読経のあの”暗い”イメージとはほど遠い。

僕ら昭和1ケタ世代は、戦争は最後には神風が吹いて勝利すると固く信じていたただけに、敗戦によるその反動、”神も仏もない”というショックは大きい。そのためもあってか、一般に宗教心が薄いのではないか。ここ30年近くになる葬儀の簡素化もこれに関係あるのではないだろうか。

わが家では善光寺のお膝元で育った老妻のお陰もあって先祖代々のお寺さんとの関係は引き継がれ、春秋のお彼岸,お盆のほかに、春のお施餓鬼供養、お十夜の念仏会に参加している。しかし、一般的にはお寺と檀家との関係は薄れてきているのではないか。

足腰が弱り、ここ数年お施餓鬼、お十夜の儀式に参加していないが、先日の天皇陛下御即位の一連の儀式を見て、改めてわが国の伝統文化の尊さを再認識した。こういった仏事も後世に残してゆきたいものだ。

被害地の生活情報を伝えない新聞

2019-10-25 04:35:54 | 2012・1・1
台風19号が東日本を中心に大きな被害をもたらしてから2週間近くなるが、首都圏のNHK総合テレビは依然被害地の生活情報をスポットで流している。内容は災害ゴミや土砂の収集、入浴施設の案内、ボランテイアの募集など、いずれも被害地住民にとって必要なものだ。

不思議なのは、こいった情報が新聞に載っていないことだ。テレビ.スポットで瞬間的に流しても、老人には電話番号など必要な情報がメモできない。詳しくはホームページをといってもPCやスマホを操作できない。頼れるのは新聞だけなのだが。

先日秋の新聞週間が終わったが、今年の提言の一つは”新聞を開いて世界を知る”だったそうだが、最近、わが家で購読している新聞だけなのだろうか、自分の住んでいる地域のニュースが少なくなってきたような気がする。今朝の新聞で、東京で断水地域がなくなったと報道していたが、読者が知りたいのは、断水地域の給水場所や入浴場所である。

速報性では、ほかのメデイアに負けるが、記録性など新聞の持つ特性がある。天下国家を論じるのもよいが被災地の生活情報はより重要である。

ラグビー人気は本物か 南ア戦41.6%の視聴率

2019-10-24 05:02:33 | 2012・1・1
産経新聞(首都圏版)によると、先週の関東地区のテレビ視聴率(ビデオリサーチ調べ)で日本対南アフリカとのラグビー準々決勝の中継(NHK地上波)が41.6%という高視聴率だった。このほか、ベスト30の中に、同じ世界ラグビーのアイルランド対ニュージーランド戦が16.5%(6位)、ウェルズ対フランス戦が13.9%(16位)を記録した。(いずれも日テレ地上波)日本代表が絡む試合ではないのにだ。

41.6%という視聴率は今年になって最高だという。1970年代から80年代にかけて地方民放の営業に携わった僕だが、毎週発表される視聴率の上下にに一喜一憂したものだが、全般的に高かった当時でも40%を越える番組はNHKの暮の紅白歌合戦や欽ちゃんの番組や特定の野球番組しかなかったように思う。

NHKは当初、このワールドカップ.ラグビー戦をBSで放送する予定だったが、急激なラグビー人気で地上波に切り替えたのだという。たしかに、今回のラグビー日本大会の人気は期待以上のもおがる。ラグビーといえば大学の日本一を決める東西大会や暮から新年にかけての花園の高校選手権は知られているが、サッカーほどではなかった。

今までラグビ―の試合などテレビで見たこともなかった老妻までが、スクラムの組み方にまで関心を持つようになった。サッカーより点の取り方に変化があり、見るほうも面白い.これを契機にラグビー人気は日本でも定着するかもしれない。




皇紀2679年 新天皇の即位

2019-10-23 04:35:09 | 2012・1・1
新天皇の即位を宣言する「賢所大前の儀」と「即位礼正殿の儀」とこれを祝う饗宴を国民の祝日の昨日、テレビも前にくぎ付けされるように見た。戦前、皇国史観の教育を受けた僕ら昭和1ケタ世代は今でもジンム,アンネイ、イトク,コウショウ、コウアン…と歴代の天皇のお名前を10代ぐらいまでは今でもソラで覚えている。それだけに皇室の行事には戦後生まれの世代より関心が深いのかもしれない。

平安時代の絵巻を繰り広げたような美しい厳かな儀式を見て僕は改めて皇紀2679年のわが国の長い歴史を感じた。ただ一つ気になったのは画面構成であった。「賢所大前の儀」中継の画面の上面に台風19号被災地のゴミ収集のテロップが流れていたことだ。緊急避難なら当然だが、ゴミ収集の場所と時間である。

政府は台風被害に配慮して即位祝賀パレードを11月10日まで延期した。NHKも被災地だけでなく,沖縄戦や東日本大震災の犠牲者まで配慮した番組編成していた。
僕は昔修身で習った仁徳天皇の故事”高き屋にのぼりてみれば、煙たつ民の煙の賑わいけり”(日本書紀)を思い返した。災害地の一日も早い復興を望む。



万歩計なし800歩の散歩

2019-10-22 05:27:13 | 2012・1・1
すっかり秋色濃くなってきた昨日、近くの呑川緑道(散歩道)沿いに野菜の無人スタンドができたと聞き散歩に出かけた。10年ほど前までは、毎日腰に万歩計をぶら下げ5000歩は歩いていたものだが、昨日は頭の中で歩数を数えたら往復800歩に過ぎない。月日の経過を感じる。

残念ながら無人スタンドは閉店していたが、緑道や、家々の庭には秋の野草やポットの花が咲いていた。なかに夏の朝顔が一輪、小さく恥づかしげに咲いていた。(写真上から2番目)