「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「半夏生」(はんげしょう) 「蛸(たこ)の日」

2016-07-03 06:03:55 | 2012・1・1
昨日7月2日は72侯の一つ「半夏生」で、「蛸の日」であった。東京生まれ、東京育ちの僕には初めて聞く言葉であり風習である。新聞に入ってきたスーパーの折込広告によると、「半夏生」とは、昔、稲作が生活の中心だった時代、重要な節目の日で、農家はをこの日までに田植えを終わらせ、稲が蛸の足のようにしっかり大地に根をはるように願い、蛸の足を食べた、とあった。

蛸を食べる食文化は関西圏ではないだろうか。江戸前(東京湾)のサカナで育った江戸っ子はそれほど蛸には執着はない。昭和の10年代の初め頃まで、大森海岸で獲れた新鮮なサカナは小舟に載せられ、目黒川を遡って、今の五反田駅(JR)附近まで売りに来てたが、江戸前のシャコはあったが、蛸はなかった。”たこ焼き”屋が東京に出来たのは戦後の事である。

善光寺の門前町に生まれて育った老妻も「半夏生」も「蛸の日」も知らなかった。田植えには戸隠の山から、農家の人が馬を曳いて耕うんの手伝いに来ていた時代である。お祝いごとの料理には、するめを水に戻して料理していた山国である。そういえば、するめは東京でも酒のつまみとして、よく食べられた。

戦後、それもこの2,30年だが、関西の食文化が東京首都圏に進出してきた。節分のさいの「恵方巻」がその代表だが、若者の間には最近、「蛸の日」に”たこ焼き”パーティを開く習慣も出てきたそうだ。和食が世界的に食べられようになってきたが、その推進リード役は、やはり古い伝統食文化を持つ関西のようだ。