「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

              わが家のルーツと家紋

2012-09-07 06:31:14 | Weblog
「ルーツ」という言葉が日本で一般的に使われるようになったのは、そんなに古くはない。昭和52年(1977年)米国の作家、アレックス.ヘイリーの自伝小説がテレビ化され放映されてからだ。この黒人奴隷の末裔の自伝は、テレビで連続にわたって放送されたが、日本でも高視聴率を取り、一躍有名となった。

先日、10年ほど前に亡くなった親友の奥方から「ルーツを探る」という冊子の寄贈を受けた。彼女の結婚前の旧姓「松平」のルーツを求めて初めて新潟県糸魚川を訪ね、それから触発されて全国の「松平」について調べ上げた異色の作品だ。彼女の父親は糸魚川十代藩主、松平直静(なおやす)の三男で、世が世ならばお殿様のお姫様であった。しかし、糸魚川藩は定府大名で、しかも三男の分家ということもあって、維新後は一般人として暮らし、サラリーマンの夫と結婚、団地暮らしをしていた。

ここ数年、ご先祖のルーツ探しが静かなブームだという。僕もやってみたいと思いながらまだ手掛けていない。彼女の「ルーツを探る」を読んだ後、僕は改めて古文書の中から家系図を引っ張りだしてみた。もちろん写しだが、B5版半裁位の和紙に、几帳面な筆字で書かれてある。わが家のルーツは、人皇31代敏達天皇から始まり、ご先祖の中には小野妹子も登場する。どこまで由緒あるものか不明だが、江戸時代初期頃からは、埼玉県深谷市の先祖の地の歴史は現実味を帯びてくる。

友人の松平家の家紋は、徳川家と同じ三つ葵である。これに対して、わが家の家紋は下がり薔薇藤で、藤の下に苗字の漢字の一つの「加」の字が入っている。何故なのか判らないが興味深い。ご先祖のルーツ探しの流行は何を意味するのだろうか。
(定府大名=江戸時代参勤交代を行わず、江戸城に詰めていた大名)