「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           インドネシア家庭料理店のジュークボックス

2012-09-28 07:48:36 | Weblog
昨日46年前、インドネシアの政治混乱期に現地で苦労を一緒にした仲間と目黒のインドネシア料理店「せでるはな」で久しぶりに会食した。「せでるはな」はインドネシア語sederhanaからきていて”ほどほどに”とか”質素な”という意味である。この店はインドネシア家庭料理を売り物にしているが、文字どり”せでるはな”である。

「せでるはな」は東京で一番古いインドネシア料理店だ。昭和30年代の初めに六本木でオープン、今は白金の自然教育園近くの高速道路交差点の角にある。戦争中バリの海軍民政部の軍属だった田中さんが、現地で結ばれた奥さんを連れて復員、苦労して開店した。ご夫妻ともすでに亡くなられており、現在は次女の方が、メナド人だった”おふくろの味”を引き継いでいる。

半世紀ほど前、僕らがジャカルタに駐在していた時代は、毎日のようにデモがあり、日本人はほとんど単身赴任だった。市内には日本料理店は一軒もなく”日本の味”恋しく外港のタンジュンプリオクまで遠征、華僑の店でイカの刺身を造って貰ったりした。時々、招待を受けた大使館員の家での日本料理の味は今でも忘れられない。

「せでるはな」はその当時から東京にあったが、今のようにエスニック料理は普及しておらず、お客は戦時中南方にいた元日本軍関係者が中心だった。現在はバリ島に観光に行った若い人たち多いが、今一つ「せでるはな」の店の雰囲気や味が解らないらしい。グルメ系の書き込みの中には酷評がある。が、雑然とした店内の雰囲気はインドネシア的であり味も”おふくろの味”だ。店の片隅には今も「ジューク.ボックス」が置いてある。昭和30年代、まだCDやカラオケがなかった頃、若者が愛用した音楽の”自動販売機”である。「せでるはな」のジューク.ボックスには珍しくインドネシアのクロンチョンが内臓してある。頼めば昔の音色を聞くことができる。先代がキリスト教徒だったから、インドネシ料理には珍しく豚肉料理もある。通だけが知っている店だ。