プログラミング言語には、「命数」があると言われます。
運命的なものを含んだ命の限りがあって、永遠に使い続けられる言葉とは違うようです。
言葉は一つひとつが生まれたり使われなくなったりしますが、ごそっと一斉に入れ替わることはありません。
しかし、プログラム言語は、時代に合ったものがほかにできれば、ひと塊の言語がそっくり使われなくなり、あまり長い時間を経ずに消えてゆく運命を修正することはできません。
ある時代時しか通用しない言語を、小学校で教えたところで、生徒が社会に出るころにはもう寿命が尽きているかもしれません。
基本は同じだからと唱える人がいるかもしれませんが、ある言語がそれを使って通じるかどうか、未来の予測などはそう思いたいだけのことでしかありません。
役に立たない小学プログラミング教育と、小学英語教育は、無意味さという点でどこか共通のとこるとがあるようです。