パソコンは、いったんこうしようと決めておけば、起動したときそのとおりに動き出します。
何百回に一回ぐらいはおかしな寝覚め方をすることもありますが、そのときは奥の手でも何でもない、「再起動」という戻って出直しの方法で直ります。
パソコンは自律性を備えているようにみえます。
近ごろは、なんでも自動で動かそうと、その方面の技術が目立つようになりました。
自動車は、車の側からすれば自分で動く車ですが、使う人間の側からすれば自分で動かす車です。
元来は乗って動かすものでしたから、それに適した構造に作られています。
この自動車を、乗らずに動かすには、高度の自律性を持たせなければなりません。
自律というのは、人間が自分を律することなので、人間が自動車になったつもりで自動車の自律性を考えても、おそらく見当違いになるでしょう。
自動車の自律性は、人間の頭であれこれ考えても、完全なものにはなりにくいのです。
動かすものの自律性について、「自律技術の成長に伴い、今後数年間の大きな課題は技術ではなく、この技術で何ができるかを見極めるための法的枠組みになるだろう」と唱える人もいます。
しかし、人間の頭と心で考えても、どこかに及ばないところがあるはずのことを、法律を作ったところで自律性を完璧に近づけることはできません。
法律は、失敗したとき罰を受けない用心の足しにしかならないような気がしますが、どうなのでしょうか。