正面入り口からは入れてくれないのに、脇の路地からなら入れるサイトがあります。
入れるということは、そこを通れるということ、通れるということは、何者であるかが確かめられていることです。
ログインしますとあらたまって行くとダメ、特別のページだけは見せる、この様式は今に始まったことではありません。
見世物小屋の「ちょっとだけよ」は、昔からありました。
そう言っておいて、署名だけはさせられる、しかし覗いてしまえば引き返すことはできません。
嫌だと言って逃げ出しても、あたかも署名を自分でしたかのように、いつの間にか自動で行われて、どこかに登録されています。
いったん登録されれば、アンダーコントロールの状態になり、一見やわらかな管理下に置かれます。
こちらのアドレスを書き込まなければ、こちらがだれかを知られることはないと思いでしょう。
しかし、管理するほうは、こちらがだれであるかを知る必要はないのです。
知っておいて面倒を見なければならないお役所の管理とは、まったく目的が違いますから。
底引き網にかかった魚に、お前はだれだと聞く漁師はいません。
しかし、天地神明に恥じない行為をしていれば、何も怖がることはありません。
ただ、正面からでなかった通り道を、向こうから逆にたどればこちらに通じることは想像できます。
細い路地でも、通れさえすれば、大勢のお友達が次々にやってくるというだけのことです。
サイトによっては、押し掛ける一人ひとりにお断りをしなければならないのがやっかいではありますが。