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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

旧の十六日

2008-02-23 00:24:29 | 生活・文化
 昨日(22日)は旧の十六日なので墓掃除に行った。父方の墓は二十年ほど前に建てたもので、当時は周りにまだ墓は少なかったのだが、この数年で次々と新しい墓ができている。沖縄の墓は敷地面積をかなり取るので、あと十年もしないうちに一帯が墓で埋まりかねない様相になっている。元もとのはずれで、近くのシジムイという森には古い墓がならび、火葬場も近いから、墓が多くなるのも無理はないが。
 祖父が墓を作った時、厨子瓶を移す前に、川で捕ってきたエビとカニを墓の中に入れたのを思い出す。本当は抱卵したエビとカニを入れるべきだと祖父は言っていたが、あいにく冬だったため卵のないエビとカニを入れた。抱卵したのを入れるのは子孫繁栄を願ってのことだと祖父は話していた。エビやカニは脱皮するので、再生の象徴でもあるのだろう、とこれは私の考え。
 母方の墓は戦前からの古い墓で、ハッチャという場所にある。玉城の昔からの墓地で、父方の墓も元はそこにあった。道路のすぐそばなのだが、木々に覆われた空間は静謐で冷気が漂い、独特の雰囲気がある。墓は横穴式の掘り抜き墓で、表面を緑の苔が覆っていてとても美しい。新しい墓を作って骨を移した家も多く、一帯は空き墓が増えている。父方の墓はその先駆けでもあった。この古い墓は叔父が管理しているのだが、大切に残してほしいものだと思っている。
 沖縄の墓というと亀甲墓が有名だが、ヤンバルで戦前に亀甲墓が造れたのは、ごく少数の裕福な家だった。私が子どもの頃は祖父母や両親と数カ所の墓を回ったが、すべて横穴式の掘り抜き墓だった。
 二〇〇四年に上映された『風音』という映画で、子供たちがテラピアを釣る場面がある。あの川はゥプンジャーガーラ(大井川)といい、私が小学生の頃によく釣りをした場所である。後ろの森はアパンナムイといい、下の方はずっと掘り抜いた墓が続いている。管理する人がいなくなって、前を塞いでいた石積みが崩れ、白骨が露わになっている墓もある。子どもの頃、そういう白骨を目にしながら釣りをしていた。人骨というのはそれくらい身近にあったので、特に怖いとも感じなかった。といっても、日が暮れて一人で帰る時は、さすがに走って帰ったが。
 思い出すままに書き留めておくと、祖父が元気だった頃だから、もう三十年近く前になる。祖父が、なぜ沖縄では墓や仏壇に向かって、ウートートゥ、アートートゥと言うか、その理由を私に説明した。昔は亡くなった人の遺体をみんなで食べた。家族から先に食べていって親戚まで食べると、村の人たちの分がなくなってしまう。それで代わりに牛や豚(ゥワー)を食べたので、ウシトートゥ、ゥワートートゥと言った。それがなまってウートートゥ、アートートゥになった。そう祖父は話していた。何年か経って伊波普猶の文章を読んでいたら、同じ話が出てきたので、あっと思った。祖父が伊波の文章を読んでいたとは思えないので、今帰仁にも同じ話が古くから伝わっていたのだろう。

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