海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

書評:田仲康博著『風景の裂け目 沖縄、占領の今』

2010-06-01 15:30:42 | 読書/書評
 2010年5月29日付沖縄タイムスの書評欄に掲載されたものです。

 1995年6月、著者は17年の米国生活を終えて沖縄に戻る。そこで著者が目にしたのは、80年代から90年代前半にかけて、バブル経済や西銘保守県政、音楽、芸能、サブカルチャーでの沖縄ブームなどを経て、大きな変容を遂げた沖縄の風景だった。
 17年の空白がもたらした沖縄との衝撃的な再会。〈七〇年代の身体が九〇年代という時空間に突然投げ出されたことで起きた不協和音〉に戸惑いながら、著者は社会学者として沖縄の変容の内実を見極めようとする。
 かつて、祖国復帰運動の中で標準語励行や生活改善が取り組まれ、日本への「同化」に邁進していたのに、今では沖縄の言葉や料理が持て囃され、エイサーは年中踊られている。「同化」から「異化」へと人々の指向が反転したかのように見える沖縄で、〈実はより巧妙な形で同化が進行している〉ことを著者は見抜く。
 沖縄ブームに浮かれる中、いつしかメディアが作り出す沖縄イメージを沖縄の人々までもが模倣し、他者のまなざしに同一化して、優しい沖縄人を演じてしまう。そして、「癒しの島」として沖縄が持ち上げられ、文化が前景化する一方で、「基地の島」の過酷な政治は後景化していく。
 虚像と実像が交錯し、その境目すら曖昧になってしまった沖縄の風景。しかし、その風景には繰り返し裂け目が生じる。著者が沖縄に戻ってまもなく発生した米兵による少女レイプ事件や、著者が勤めていた沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件。そこに生じた風景の裂け目から著者が見たのは、いまだ継続する日米合作の沖縄占領という現実であり、それがもたらす暴力であった。
 本書において著者は、そのような沖縄の現実、暴力を覆い隠す文化による政治の構造を分析、検証し、批判している。南島論とヤポネシア論、琉球大学、米留制度、九州沖縄サミットとクリントン演説、観光、メディア、コザ、反復帰論、監視……。多様な切り口から沖縄の風景や身体に書き込まれた〈意味〉を読み解き、私たちを自発的隷従へと導こうとする〈罠〉を、著者は鋭く批判している。
 時あたかも普天間基地の返還問題が大きな焦点となっている。沖縄の現実と向き合い、自らの個人史を振り返りながら沖縄の〈占領の今〉を考察する本書は、「復帰」38年目の沖縄をより広く深く捉え直すために有用である。 

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