海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

安和の琉球セメント新桟橋で、ガット船・第八高砂丸への土砂積み込みに抗議

2020-07-03 23:59:52 | 米軍・自衛隊・基地問題

 上の3枚の写真は、今日3日(金)午前7時11分頃の大浦湾の写真だ。K9護岸に接岸しているものをはじめ、湾内には7隻のランプウェイ台船があったが、土砂を積んでいる船はなかった。ガット船による土砂の補給が間に合っていないのだ。

 本来なら、始業とともに土砂の陸揚げができるように、前日のうちに最低2隻分は台船に土砂を用意しておきたかったはずだ。しかし、安和や塩川での土砂積み込みが遅れ、大浦湾まで運んで用意することができなかったのだ。

 この日は朝、ガット船が3隻(聖嘉、清明、第八丸喜丸)が大浦湾に入ったが、台船への積み替えが終わるまで土砂の陸揚げ、埋め立て工区への投入はできなかっただろう。

 3日はカヌー13艇とゴムボート1隻(ハクイ)を名護市安和の琉球セメント新桟橋に運び、海上から土砂積み込みに抗議した。

 午前8時53分頃、安和の現場に着くと新桟橋では、ガット船・第八高砂丸が土砂の積み込みを行っていた。大浦湾に来るなかでは、最も大きな船なので積み込みに時間がかかる。海に出る時間が来るまでカヌーチームは、出入り口で行われているダンプカーへの抗議行動に参加した。

 午前10時25分頃、カヌー13艇で海に出ると、まっすぐに新桟橋を目指した。ネットや鎖にカヌーを固定し、陸上で抗議している皆さんと連帯しながら、ガット船の出航を遅らせるために力を尽くした。

 午前11時38分頃から、海保による強制排除が始まった。すべてのカヌーが新桟橋の下から外に出されたのが午後12時27分頃。そのあと、自由に漕いでいたカヌーメンバーも海保に拘束されて、第八高砂丸が離岸して沖に向かったのが、午後12時40分頃だった。

 2隻目のガット船・marumasa1号が新桟橋に接岸し、午後1時頃から土砂の積み込みを始めた。海上行動メンバーは昼食をとったあと、出入り口前で行われている抗議行動に参加したり、ロープや紐の整理などを行ない、午後3時過ぎに引き揚げた。

 辺野古に戻ってカヌーを片付けたあと、午後4時16分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。K8護岸にはランプウェイ台船・屋部3号が接岸し、土砂の陸揚げを行っていた。

 大浦湾のK9護岸でも土砂の陸揚げが行なわれていて、ダンプカーが頻繁に行き来し、②工区の仮設道路の中央部付近やK2護岸付近から土砂を投入していた。

 緑のネットで覆われた岩の前付近から、土砂の投入が行われていた。上空から見ると岩までは、まだ距離があるのだろうが、埋め立て面積はじわじわと広がっている。

 K2~K4護岸上の型枠は、L字型の壁で護岸をかさ上げするためのようだ。今日もその作業が進められていた。

 K4護岸とK3護岸の角付近の土砂に団粒化剤が散布されていた。各護岸沿いの内側には、大型クレーンをはじめ重機類が移動する道が造られているので、法面を保護したようだ。

 中谷元防衛大臣が玉城知事と面談している。辺野古新基地の自衛隊との共同使用は、自衛隊が最初から狙っていることだ。自衛隊からすれば滑走路に加えて、港湾施設を利用できるメリットが大きく、共同訓練で海兵隊化を進めることができる。さらに、米軍専用施設ではなくなるので、数字上の沖縄の「負担軽減」というごまかしもできる。

 「軍民共用」もかつて稲嶺恵一知事の時代に言われていたことで、何を今さら、という目くらましでしかない。中西にしろ石破にしろ、しょせんは安倍と同じ穴のムジナであり、沖縄のために何か変化をもたらしてくれるかも…、という幻想を持つなら愚かである。

 


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