海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

有志による抗議行動と辺野古側埋め立て工区の様子

2021-02-26 23:12:44 | 米軍・自衛隊・基地問題

 26日(金)の名護市は明け方まで強い雨が降り、海上行動は中止となったので、キャンプ・シュワブゲート前に行き、1回目の資材搬入に抗議する座り込みに参加した。2月も残り少なくなったが、市民有志による抗議行動が続けられている。今日も10数人が座り込み、新基地建設反対の意思を示した。

 生コンのミキサー車のほかに砂や砂利、バラスなどを積んだトラックや空トラック、クレーン車などがゲートに入っていった。

 護岸の嵩上げ工事も残りわずかになったせいか、荷台に乗った型枠用の鉄筋は量が少なかった。

 午前8時18分頃と10時4分頃に、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。明け方までの雨のせいで埋め立て工区は水浸しになっていた。雨で地盤が緩み土砂投入に問題が生じるのか、午前中はK8・K9護岸からのダンプカーの動きがなく、土砂投入は行われなかった。

 複数個所に排水管が置かれているが、機体の洗浄で生じる大量の汚染水の処理にも対応するのだろう。洗浄水には辺野古ダムの水が利用される、ということも早くから指摘されてきた。貯水槽や浄化施設の建設なども準備されているはずだ。

 K4護岸の辺野古崎側では、根固め袋材の移動が行われていた。大量の根固め用袋材は、高波を防ぐためにK1~K4護岸上に置かれていたものだ。護岸の嵩上げでL字型擁壁ができたので、護岸上の根固め用袋材は高波防止の役割を終え、撤去されている。埋め立て地に大量に積まれていが、いずれ再利用されるのだろう。

 K3護岸では、完成したL字型擁壁の前に消波ブロックの設置が進められていた。

 辺野古崎の映画館近くに建設中の倉庫という建物は、アーチ状の屋根が海側に伸ばされ、豊原の高台からも見えるようになっている。

 下の写真は瀬嵩側から撮ったものだが、倉庫の陸側は壁が造られていた。沖縄防衛局はフロートなどを保管するとしている。

 午前10時53分頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。K9・K8護岸ともに前日と同じランプウェイ台船が接岸していたが、土砂にはブルーシートがかぶせられ、運搬用のダンプカーの姿もなく、土砂の陸揚げは行われていなかった。

 大浦湾の波は穏やかだったので、雨で水浸しとなった辺野古側埋め立て工区が乾くのを待っていたと思われる。午後も監視していた海上行動メンバーによれば、午後は両護岸とも土砂の陸揚げが行われていたとのこと。

 同メンバーによれば午前9時10分頃、ガット船・marumasa2号と鶴美丸が大浦湾を出て、入れ替わりで第八高砂丸と國喜8が入ったとのこと。前日から残っている栄雄丸と清明を合わせて4隻のガット船が大浦湾に停泊していた。午前11時頃には、第八高砂丸と栄雄丸がランプウェイ台船に土砂を移し替えていた。

 県内メディアでは連日、沖縄島南部の土砂が辺野古新基地建設に利用されることについて、遺骨が混じった土砂を使用するのは死者を冒涜する、という批判をのせている。その通りだと思うが、遺骨が混じっているのは南部の激戦地だけではあるまい。

 北部でも戦闘はあり、本部半島でも地元住民や中南部からの避難民、防衛隊、学徒隊、護郷隊に動員された住民、朝鮮人軍夫、日米両軍の兵士などが戦死している。「慰安婦」を強いられた沖縄や朝鮮の女性たちの中にも犠牲となった人がいるかもしれない。

 本部半島や国頭村から運ばれる土砂に、そういう人たちの遺骨が混じっている可能性はある。また、遺骨が混じっていないから問題がない、わけでもあるまい。新基地建設のため辺野古の海・大浦湾を埋め立てること自体が許されないことであり、沖縄やヤマトゥのどこから採掘した土砂であっても、使ってはならないはずだ。

 長年にわたり遺骨を収集してきた人たちは尊敬するし、戦死者の遺骨の上に軍事基地を作るのは、私も我慢がならない。ただ、これから使用される予定の南部の土砂が話題になる一方で、北部の土砂を使って現に進められている辺野古の埋め立てには、どれだけの関心が向けられているか、と日々疑問が湧き起こる。止めることができないまま、埋め立てが進行している現場(現実)から目をそらしているのではないか。

 沖縄タイムスは日々の辺野古の状況を記事にすることをやめた。日替わりでやってくる記者たちには、毎日同じことの繰り返しにしか見えないのだろう。しかし、継続的に細かく見ていれば、実際には日々変化があり、新たな事実を発見する。

 それは工事の進行を直視することであり、高江でもそうだったが、見たくない現実を見続けることだ。大きな変化の時だけやって来て、話題になり注目される記事を書く。マスコミはそれでいいかもしれないが、工事を止めようと思うなら、そんな甘い姿勢では話にもなるまい。辺野古でも安和、塩川でも、何とか工事を止めたいと思う人たちが、緊急事態宣言下でも抗議行動を続けてきた。やろうと思えば、できることはいくらでもあるのだ。


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