jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

惜しい!!!・・・・・ EAST BROADWAY RUN DOWN / SONNY ROLLINS

2016-07-16 | ジャズ・ts

 

 

先日、Daysに寄った際の事。

アイラーのラスト・レコーディングが流れると、先に居た一人から「ロリンズのイースト・ブロードウェイ・・・・・の方がいいよ」と。

マスターは次にコルトレーンの「クレッセント」を予定していたが、急遽、本作に変更。

自分はこのレコードがあまり解らないので、流れる前に「どのあたりが良いのですか?A面?B面?ですか」と、その方に訊ねると「なんか、グッとくるんだよね」とだけ。確かに、いきなり訊かれると返答に困りますよね。失礼しました。

このレコードはまだコルトレーンが生きている1966年に録音、リリースされ、メンバーも強力で、当時、コルトレーンに対抗した「ロリンズ流フリー・ジャズ」と話題にもなった。

 

本作が果してフリー・ジャズなのか?は兎も角、自分がよく解らないと思う点は、A面の1曲しか参加していないハバードの使い方。全曲参加させた方がよかったのでは?ハバードの破天荒でコントロールが利いたソロを聴くと、勿体ないなぁ、と思う。それか、全曲トリオのほうが統一感があったのでは。

コルトレーンはフリー・ジャズと心中する覚悟を決めていたが、ロリンズにはそこまでの覚悟はなく、その象徴的なスタンスが本作と言える。

 

話がわき道に逸れますが、61年にロリンズが再起した時のジャズ・クラブの演奏をコルトレーンの夫人はその模様をテープに録音し、ヨーロッパを巡演中のコルトレーンに送り、ロリンズの動向を常にチェックしていたそうです。ただ、当時、既にポータブル・レコーダーが有ったのか、と疑問が残りますが、その位、コルトレーンは的を絞っていた事が容易に想像できます。

また、コルトレーンが61年にインパルスと契約する際、マイルスのやり方を見習い代理人を立て、しかもマイルスと同じ代理人で高額の契約金(3年・5万ドル)を獲得している。更に64年の再契約時にはアルバム作り~リリースまで、ほぼ全権を得たようです。確かに、翌65年になると、夥しいほど録音している。学習能力に長け、強かですね。

その点、ロリンズは「お坊ちゃん」ですかね。RCAとの契約が終わり、コルトレーンの優遇契約を耳にしてインパルスと契約するわけですが、代理人を立てなかったそうで、後に「何も専門的な知識もないオレは、うまいこと搾取された」と愚痴っている。ヒットした‘ALFIE’の取り分のことかもしれない。また、この「イースト・ブロードウェイ・・・・・」について、親会社の担当重役から「こんな作品なんか作るから、売れないんだ!」と激しく叱責され、プライドを大きく傷つけられたロリンズはその後の録音を拒否したそうです。となると契約違反となった可能性が高いですね。72年まで新録が途絶えた事実からすると、ロリンズの心中は計りしれません。

逸れついでにもう一つ。1968年と思いますが、ロリンズが来日した時の事。TVの歌謡番組を観ていたら、いきなりロリンズがブラウン管に現われ驚いた。更にビックリしたのは、何と西郷輝彦の歌伴で「マック・ザ・ナイフ(モリタート)」を演り出したのです。「サービス精神」旺盛と言えば、聞こえはいいかもしれないが、なにもそこまで・・・・・・・と思った記憶があります。ま、その大らかさがロリンズの魅力の一つかも。

 

話を戻すと、この録音はヴァン・ゲルダー・スタジオで1日で終わっている。

「フリーごっこ」(A-1の後半)なんて止め、4人のそれこそガチンコ勝負で5曲位、録音出来なかったのか?1曲しか参加できなかったハバードはどんな思いでスタジオを後にしたのだろうか?

担当重役は、コマーシャルな意味ではなく、その中途半端な「甘さ」を衝いたのだろう。間違っていないと思う。

 

そう言えば、明日はコルトレーンの命日ですね。