にっぽんぱらだいすとは、1964年に公開された日本映画のタイトルである。1980年代にサブ・カルチャーなどと呼ばれて蔑まれたり、もてはやされたりしていたものの多くは、30代独身日本式サラリーマンの青春時代にはすでに立派なメイン・カルチャーとなっていたため、それらについてこのブログで紹介することは、まさに釈迦に説法だと感じている。よって今回は作品についてのレビューというよりは、ユーチューブに転がっている名前も知らない昔の映画を観るという、意外に楽しい暇つぶし方法を諸氏らに紹介するという企画だ。ついに本ブログの初稿から1年が経過し、思いの外長くベイエリアに滞在することになっている筆者の文章には、焦りの陰が見え隠れしている。
この映画の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①比較的満足度の高い暇つぶし
概して30代独身日本式サラリーマンの休日は暇だ。いろいろと予定を入れたり、家の事をしたとしても、ふと気が付くと“夕飯まで何をしよう”となる。非道いときは朝起きてすぐに“今日は寝るまで何をしよう”と思うことすらある。映画鑑賞は、前者の『夕飯までの2~3時間』などの暇つぶしにぴったりだ。そんなとき懐古主義が芽生え始めている30代独身日本式サラリーマンは、ユーチューブで昔見たバラエティ番組などを観て過ごしがちだ。しかし一生懸命の芸人さん達には申し訳ないが、観ているときは笑えるものの、観終わった後に何かそこはかとない虚しさを感じる。その点、昔の日本映画は小説の読後感のような達成感があり、『今日は比較的有意義に時間を潰した』という錯覚が得られる。
②にっぽんぱらだいす
喜劇映画監督の前田陽一という方の初作品ということだ。戦後から売春禁止法までの時代の流れに飲まれていく売春婦たち、業者、客のドラマを軽快に明るく描いた映画であり、特に目立ったハラハラやドキドキがないのに何故かとても面白い。社会の陰とも呼べる部分が、糾弾するでもなく、礼賛するでもなく、ほのぼのと、そして真面目に描かれている。小津安二郎さんの映画もそうだが、「ここで観客をドキドキさせよう、ハラハラさせよう」などという露骨な演出がないところが、だらだら見るには丁度よく、気分がいいのかも知れない。演出家の狙いに併せて心を動かす必要がない。
③誰も見ていない映画を観る
立派な一つの映画作品である“にっぽんぱらだいす”のユーチューブ動画は、世界中でまだ5千人足らずの人しか観ていない。コメントは0件だ。おそらく、30代独身日本式サラリーマンでこの映画を観たことのあるのは、筆者と日本映画研究家のような人くらいであろう。この映画以外にも、ユーチューブには昭和初期・中期のマイナーっぽい映画が沢山あるので、“今この映画を観ているのは、地球上で自分1人だろう”という大したことない浪漫や、“いつかこの映画の唯一の生き証人になるかも知れない”というどうでもいい責任の重さを勝手に感じながら暇を潰すのはなかなかに快感だ。
著作権やプライバシーなどと問題は山積しているが、本来であれば存在が忘れられるはずのもと出会える、忘れられそうなものを世界に向けて残すことができるのは、ユーチューブの功績のひとつであろう。世界中のマイノリティたちの、しかも時間を超えた大きな発信手段、受信手段となっている。今やネットを通じてあらゆるマイノリティが繋がりを持てるようになっているのに、小さな教室内のイジメに合うことで命を絶つ少年が後を絶たない。クラスで一人ぼっちだって、ネットには同じ趣向の仲間がいる。同じ境遇の人がいる。彼らは君を助けるために教室まで行くことはできないが、いつだって君の味方なのだ。ただし、ここは30代独身日本式サラリーマンのための場所なので、10代そこそこのいじめられっ子は受け付けていません。30代独身日本式サラリーマンになるまで生きて下さい。
この映画の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①比較的満足度の高い暇つぶし
概して30代独身日本式サラリーマンの休日は暇だ。いろいろと予定を入れたり、家の事をしたとしても、ふと気が付くと“夕飯まで何をしよう”となる。非道いときは朝起きてすぐに“今日は寝るまで何をしよう”と思うことすらある。映画鑑賞は、前者の『夕飯までの2~3時間』などの暇つぶしにぴったりだ。そんなとき懐古主義が芽生え始めている30代独身日本式サラリーマンは、ユーチューブで昔見たバラエティ番組などを観て過ごしがちだ。しかし一生懸命の芸人さん達には申し訳ないが、観ているときは笑えるものの、観終わった後に何かそこはかとない虚しさを感じる。その点、昔の日本映画は小説の読後感のような達成感があり、『今日は比較的有意義に時間を潰した』という錯覚が得られる。
②にっぽんぱらだいす
喜劇映画監督の前田陽一という方の初作品ということだ。戦後から売春禁止法までの時代の流れに飲まれていく売春婦たち、業者、客のドラマを軽快に明るく描いた映画であり、特に目立ったハラハラやドキドキがないのに何故かとても面白い。社会の陰とも呼べる部分が、糾弾するでもなく、礼賛するでもなく、ほのぼのと、そして真面目に描かれている。小津安二郎さんの映画もそうだが、「ここで観客をドキドキさせよう、ハラハラさせよう」などという露骨な演出がないところが、だらだら見るには丁度よく、気分がいいのかも知れない。演出家の狙いに併せて心を動かす必要がない。
③誰も見ていない映画を観る
立派な一つの映画作品である“にっぽんぱらだいす”のユーチューブ動画は、世界中でまだ5千人足らずの人しか観ていない。コメントは0件だ。おそらく、30代独身日本式サラリーマンでこの映画を観たことのあるのは、筆者と日本映画研究家のような人くらいであろう。この映画以外にも、ユーチューブには昭和初期・中期のマイナーっぽい映画が沢山あるので、“今この映画を観ているのは、地球上で自分1人だろう”という大したことない浪漫や、“いつかこの映画の唯一の生き証人になるかも知れない”というどうでもいい責任の重さを勝手に感じながら暇を潰すのはなかなかに快感だ。
著作権やプライバシーなどと問題は山積しているが、本来であれば存在が忘れられるはずのもと出会える、忘れられそうなものを世界に向けて残すことができるのは、ユーチューブの功績のひとつであろう。世界中のマイノリティたちの、しかも時間を超えた大きな発信手段、受信手段となっている。今やネットを通じてあらゆるマイノリティが繋がりを持てるようになっているのに、小さな教室内のイジメに合うことで命を絶つ少年が後を絶たない。クラスで一人ぼっちだって、ネットには同じ趣向の仲間がいる。同じ境遇の人がいる。彼らは君を助けるために教室まで行くことはできないが、いつだって君の味方なのだ。ただし、ここは30代独身日本式サラリーマンのための場所なので、10代そこそこのいじめられっ子は受け付けていません。30代独身日本式サラリーマンになるまで生きて下さい。