昨日の名月にも増してきれいな月が輝いています。
今年唯一のスーパームーン
わが家付近にはなかなかタイミングよく飛んでこないので(笑),以前伊丹空港の32Lエンド(千里川)で撮ったやつと合体してみました。
曼珠沙華寺のお隣りにある「白山神社」にまつわる民話です。
~願いを叶えてくれた神様~
だいぶ昔のお話しです。
この村に若いお嫁さんが嫁いできました。器量良しで働き者で,村一番のお嫁さんと評判でした。
しかし,1年もすると
「あのお嫁さん,笑顔を一度も見せたことがないねえ。」
と皆が不思議に思うようになりました。
「子どもができたみたいだよ。」
と,村人が話すようになり,そのころから時々神社にお参りに来るお嫁さんの姿を見かけるようになりました。
深々と頭を下げ,お祈りが終わるといつも神社の境内をきれいに掃除して帰っていきます。近所の人たちは安産祈願のお参りだろうと別に気にも止めませんでした。
やがて女の子が生まれてもなお,お参りは続きました。
子どもを背負って落葉を掃き,草をむしり,子どもと一緒に神様にお願いをしていました。
子どもが3歳を過ぎたある日のこと,いつものように掃除をして帰りかけた時,近くに住む知り合いの老婆が参詣にきました。一人ではしゃいでいる子どもを見て
「おーおー,大きくなったのう。かわいくなったのう。それに歯並びがきれいだこと。」
と褒めました。
子どもを抱きよせたお嫁さんは,
「おばあさん,ありがとう。」
と言い,初めて笑顔になりました。
そして話してくれました。
「私は歯並びが悪いのを子どものころから一人で悩んでいました。人前で大口をあけて笑ったことなど一度もありません。
子どもが授かったと分かった時に十人並みの口元にしてほしいと,神様にお願いしてまいりました。毎回お賽銭をあげることもできない私は境内の掃除をしただけですが,それでも神様は私の願いを叶えてくださいました。ありがたいことです。」
この話しを聞いた村人は
「私たちは今までお嫁さんを誤解していたようだ。すまないことをした。これからは皆で神社の掃除をしよう。」
と老婆が音頭をとり,毎月1日と15日に当番を決めて境内の掃除をするようになりました。
~おしまい~
この風習は今も引き継がれています。
この話しを聞いた近在の人たちが,子どもや孫の健やかな成長を願って参詣するようになったと言います。
浄宗寺(曼珠沙華寺)の本堂に掛かる「呼びもどしの鐘」にまつわる民話です。
~浄宗寺の「呼びもどしの鐘」~
むかしむかし,三条の村はずれに貧しいながらも仲の良い百姓一家が住んでいた。
息子は成人すると
「もうこんな貧しい暮らしはいやだ。金いっぺ稼ぐから江戸に行かせてくれ。」
と父母に言った。
はじめは「長男は家のあとを継ぐもんだ。」と反対した父母も,いつしか(せがれの人生だ。夢をかなえてやるかと)5年の約束で江戸行きを許した。
「体に気をつけて働けよ。」
と桜の季節に息子を送りだした。
時が過ぎ,5回目の桜の季節を迎えようとしていた。
「江戸に行った息子がもうすぐ帰ってくる。」
と父母はうれしさのあまり,隣近所に知らせて歩いた。
桜が散り,あじさいの季節が過ぎ,浄宗寺の境内に曼珠沙華が咲く季節を迎えた。しかし息子は帰ってこなかった。
「正月には帰ってくるだろう。」
と待ったが期待は裏切られた。また桜の季節を迎えたが息子は帰らなかった。(どうしたのだろう。病気にでも・・・)と不安になった。
そこで浄宗寺の和尚さんに相談した。和尚さんはしばらく考えておられたが
「もしもの一念という仏様の教えがある。信心するものが懸命になれば願いがかなう。息子の帰郷を願い鐘をついてみてはどうだろう。」
とおっしゃった。
年老いた父母は遠い江戸に届けとばかり,朝と夕に鐘をついた。
すると不思議なことに息子が帰ってきた。
「ふるさとが恋しくなって帰ってきました。朝夕に鐘の音が帰ってこう,帰ってこうと耳奥で聞こえるのです。」
「そうか,そうか。」
父母は顔を見合わせた。夜も遅かったが浄宗寺の和尚さんに礼に行った。訳を話すと
「よかった,よかった。仏様に願いが届いたか。」
と,一緒に喜んでくださった。
「ありがとうございました。ありがとうございました。」
何度も何度も頭を下げ,礼を述べた。
その後,この浄宗寺の鐘は「呼びもどしの鐘」と呼ばれ,大勢の信者が訪れたという。
~おしまい~
大多喜町にある曼珠沙華寺(浄宗寺)の謂れにまつわる民話です。
~曼珠沙華寺~
ある秋の夜,三条の里は月に照らされていた。刈り入れの終わった田んぼ,茅葺き屋根,キラキラ流れる川,虫の音とかすかな風の音だけの静かな静かな三条の夜であった。
住職は「今年も秋がやってきたか。月日の経つのは早いものだのう。」と,つぶやきながら境内を歩いていた。
その時,境内の隅ですすきの穂が揺れたかと思うと
「私は旅の途中,この地で命を落とした者でございます。村の衆が私の亡骸をこの寺まで運び,葬ってくださりました。今宵は月があまりに美しいので霊となって現世にまいりました。彼岸花はもう咲きましたか?」
「彼岸花?」
「ええ,彼岸花です。秋の彼岸になると真っ赤に咲く,あの曼珠沙華の花です。」
「曼珠沙華ねえ~,このあたりには,あまり見あたりませんな。」
「そうですか。・・・それにしてもご住職,このお寺は花が見事ですねえ。私は花で季節の移り変わりを感じております。江戸の私の家のまわりには曼珠沙華が咲いていました。それはそれは見事なものでした。」
「そうですか。なつかしいことでしょうね。」
・・・住職は霊と夜更けまで草花や四季の風情を語り合った。月が西にかたむく頃
「ご住職,ありがとうございました。空がそろそろ明るくなってまいりましたので私は消えることとしましょう。」
そう言ったかと思うと,姿がかき消えた。
次の日,住職は亡き旅人が葬られているかたむいた墓石を修復し,花を供え,お経をあげた。そして,旅人の霊をなぐめようと,寺の境内に曼珠沙華の球根を植えた。年ごとに花の数は増え,境内には曼珠沙華の花があざやかに咲いた。
やがて住職が亡くなると,住職の意思を継ごうと,里の人たちが曼珠沙華の球根を植えた。
秋の彼岸になると曼珠沙華の花が咲いた。夕日に染まった曼珠沙華は,燃えているかのようであった。そして,だれ言うともなく,この浄宗寺は「曼珠沙華寺」と呼ばれるようになった。
~おしまい~
天気予報が外れて日曜日も朝から雨模様でしたが,朝の買い物を済ませたあと,予定していた大多喜町の曼珠沙華寺(浄宗寺)に行ってきました。
その名のとおり,境内には真っ赤な彼岸花が所狭しと咲くと聞いていましたが,やはり心配したとおり訪れるのが少し遅かったようです(涙)。
大多喜町には「大多喜町ふるさと民話さんぽ」という本が刊行されるほど多くの民話が語り継がれているようですが,この「曼珠沙華寺」に関する民話も残されていました。お隣りにあった「白山神社(八幡神社)」に関するものも含めて本堂に掲示されていましたので別に載せたいと思います。
本堂に掛けられた「呼びもどしの鐘」と呼ばれる鐘です。
お隣りの白山神社参道にはこんな案内板も・・・
田舎道のそばにある小さなお寺さんなので,知らないと通りすぎてしまいそうです。(写真手前の右奥に本堂があります(本堂しかありません ^^;)。)
今回は曼珠沙華寺のことしか頭になかったのですが,たまたまこの日は「大多喜お城祭り」の本祭の日に当たっていて町内は祭りムードに包まれていました。
大多喜町と言えば,徳川四天王のひとり「猛将 本多忠勝」が治めた中房総の城下町ということで,お祭りのハイライトは「本多忠勝 武者行列」です。今年は地元出身のタレント「渡辺正行(リーダー)」さんが本多忠勝に扮して参加されたようです。(時間の関係で行列が始まる前に帰ってしまいました(泣)。)
祭りのメイン会場,大多喜小学校の入口付近をうろうろしていると,大きなシャボン玉を飛ばすおじさんが・・・,なんと「kuribow」さんではないですか,事務局からの依頼を受けてお祭りを盛り上げていらっしゃいました。
写真は,昭和50年に再建(復元? 復興? 模擬?)された大多喜城天守です。
大多喜町は中房総の小江戸とも呼ばれるほど,街並みにも当時の雰囲気が残されています。これは,重要文化財の渡辺家住宅で江戸時代後期に建てられた町家です。
ほかにも江戸後期から明治初期の建物が街並みを作っています。
これは明治3年に完成した「大多喜水道」の跡で千葉県最古の水道と言われています。
大多喜町に来たもうひとつの目的,大多喜土産としても大人気と聞いていた津知屋さんの「十万石最中」。月見だんごの替わりに美味しくいただきました。
夜になると空も晴れわたり,綺麗な中秋の名月を観ることができました。
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