鈍足親父の独り言

50歳目前でジョギングを始めた鈍足な親父が

ランネタを中心に日常生活を思いつくままに綴った徒然日記

スーパームーン

2015-09-28 | 四方山話

昨日の名月にも増してきれいな月が輝いています。
今年唯一のスーパームーン
わが家付近にはなかなかタイミングよく飛んでこないので(笑),以前伊丹空港の32Lエンド(千里川)で撮ったやつと合体してみました。

     


民話(魅惑の口元)

2015-09-28 | 四方山話

曼珠沙華寺のお隣りにある「白山神社」にまつわる民話です。

~願いを叶えてくれた神様~

     


だいぶ昔のお話しです。
この村に若いお嫁さんが嫁いできました。器量良しで働き者で,村一番のお嫁さんと評判でした。
しかし,1年もすると

「あのお嫁さん,笑顔を一度も見せたことがないねえ。」

と皆が不思議に思うようになりました。

「子どもができたみたいだよ。」

と,村人が話すようになり,そのころから時々神社にお参りに来るお嫁さんの姿を見かけるようになりました。

深々と頭を下げ,お祈りが終わるといつも神社の境内をきれいに掃除して帰っていきます。近所の人たちは安産祈願のお参りだろうと別に気にも止めませんでした。

やがて女の子が生まれてもなお,お参りは続きました。
子どもを背負って落葉を掃き,草をむしり,子どもと一緒に神様にお願いをしていました。

子どもが3歳を過ぎたある日のこと,いつものように掃除をして帰りかけた時,近くに住む知り合いの老婆が参詣にきました。一人ではしゃいでいる子どもを見て

「おーおー,大きくなったのう。かわいくなったのう。それに歯並びがきれいだこと。」

と褒めました。

子どもを抱きよせたお嫁さんは,

「おばあさん,ありがとう。」

と言い,初めて笑顔になりました。
そして話してくれました。

「私は歯並びが悪いのを子どものころから一人で悩んでいました。人前で大口をあけて笑ったことなど一度もありません。
子どもが授かったと分かった時に十人並みの口元にしてほしいと,神様にお願いしてまいりました。毎回お賽銭をあげることもできない私は境内の掃除をしただけですが,それでも神様は私の願いを叶えてくださいました。ありがたいことです。」

この話しを聞いた村人は

「私たちは今までお嫁さんを誤解していたようだ。すまないことをした。これからは皆で神社の掃除をしよう。」

と老婆が音頭をとり,毎月1日と15日に当番を決めて境内の掃除をするようになりました。

~おしまい~


この風習は今も引き継がれています。

この話しを聞いた近在の人たちが,子どもや孫の健やかな成長を願って参詣するようになったと言います。


民話(呼びもどしの鐘)

2015-09-28 | 四方山話

浄宗寺(曼珠沙華寺)の本堂に掛かる「呼びもどしの鐘」にまつわる民話です。

~浄宗寺の「呼びもどしの鐘」~

     

むかしむかし,三条の村はずれに貧しいながらも仲の良い百姓一家が住んでいた。

息子は成人すると

「もうこんな貧しい暮らしはいやだ。金いっぺ稼ぐから江戸に行かせてくれ。」
と父母に言った。

はじめは「長男は家のあとを継ぐもんだ。」と反対した父母も,いつしか(せがれの人生だ。夢をかなえてやるかと)5年の約束で江戸行きを許した。

「体に気をつけて働けよ。」

と桜の季節に息子を送りだした。

時が過ぎ,5回目の桜の季節を迎えようとしていた。

「江戸に行った息子がもうすぐ帰ってくる。」

と父母はうれしさのあまり,隣近所に知らせて歩いた。

桜が散り,あじさいの季節が過ぎ,浄宗寺の境内に曼珠沙華が咲く季節を迎えた。しかし息子は帰ってこなかった。

「正月には帰ってくるだろう。」

と待ったが期待は裏切られた。また桜の季節を迎えたが息子は帰らなかった。(どうしたのだろう。病気にでも・・・)と不安になった。

そこで浄宗寺の和尚さんに相談した。和尚さんはしばらく考えておられたが
「もしもの一念という仏様の教えがある。信心するものが懸命になれば願いがかなう。息子の帰郷を願い鐘をついてみてはどうだろう。」
とおっしゃった。

年老いた父母は遠い江戸に届けとばかり,朝と夕に鐘をついた。
すると不思議なことに息子が帰ってきた。

「ふるさとが恋しくなって帰ってきました。朝夕に鐘の音が帰ってこう,帰ってこうと耳奥で聞こえるのです。」

「そうか,そうか。」

父母は顔を見合わせた。夜も遅かったが浄宗寺の和尚さんに礼に行った。訳を話すと

「よかった,よかった。仏様に願いが届いたか。」

と,一緒に喜んでくださった。

「ありがとうございました。ありがとうございました。」

何度も何度も頭を下げ,礼を述べた。

その後,この浄宗寺の鐘は「呼びもどしの鐘」と呼ばれ,大勢の信者が訪れたという。

~おしまい~


民話(曼珠沙華寺)

2015-09-28 | 四方山話

大多喜町にある曼珠沙華寺(浄宗寺)の謂れにまつわる民話です。

~曼珠沙華寺~

     


ある秋の夜,三条の里は月に照らされていた。刈り入れの終わった田んぼ,茅葺き屋根,キラキラ流れる川,虫の音とかすかな風の音だけの静かな静かな三条の夜であった。

住職は「今年も秋がやってきたか。月日の経つのは早いものだのう。」と,つぶやきながら境内を歩いていた。
その時,境内の隅ですすきの穂が揺れたかと思うと

「私は旅の途中,この地で命を落とした者でございます。村の衆が私の亡骸をこの寺まで運び,葬ってくださりました。今宵は月があまりに美しいので霊となって現世にまいりました。彼岸花はもう咲きましたか?」

「彼岸花?」

「ええ,彼岸花です。秋の彼岸になると真っ赤に咲く,あの曼珠沙華の花です。」

「曼珠沙華ねえ~,このあたりには,あまり見あたりませんな。」

「そうですか。・・・それにしてもご住職,このお寺は花が見事ですねえ。私は花で季節の移り変わりを感じております。江戸の私の家のまわりには曼珠沙華が咲いていました。それはそれは見事なものでした。」

「そうですか。なつかしいことでしょうね。」

・・・住職は霊と夜更けまで草花や四季の風情を語り合った。月が西にかたむく頃

「ご住職,ありがとうございました。空がそろそろ明るくなってまいりましたので私は消えることとしましょう。」
そう言ったかと思うと,姿がかき消えた。

次の日,住職は亡き旅人が葬られているかたむいた墓石を修復し,花を供え,お経をあげた。そして,旅人の霊をなぐめようと,寺の境内に曼珠沙華の球根を植えた。年ごとに花の数は増え,境内には曼珠沙華の花があざやかに咲いた。

やがて住職が亡くなると,住職の意思を継ごうと,里の人たちが曼珠沙華の球根を植えた。

秋の彼岸になると曼珠沙華の花が咲いた。夕日に染まった曼珠沙華は,燃えているかのようであった。そして,だれ言うともなく,この浄宗寺は「曼珠沙華寺」と呼ばれるようになった。

~おしまい~


曼珠沙華寺

2015-09-28 | お出かけ

天気予報が外れて日曜日も朝から雨模様でしたが,朝の買い物を済ませたあと,予定していた大多喜町の曼珠沙華寺(浄宗寺)に行ってきました。
その名のとおり,境内には真っ赤な彼岸花が所狭しと咲くと聞いていましたが,やはり心配したとおり訪れるのが少し遅かったようです(涙)。

     

     


大多喜町には「大多喜町ふるさと民話さんぽ」という本が刊行されるほど多くの民話が語り継がれているようですが,この「曼珠沙華寺」に関する民話も残されていました。お隣りにあった「白山神社(八幡神社)」に関するものも含めて本堂に掲示されていましたので別に載せたいと思います。

     


本堂に掛けられた「呼びもどしの鐘」と呼ばれる鐘です。

     


お隣りの白山神社参道にはこんな案内板も・・・

     


田舎道のそばにある小さなお寺さんなので,知らないと通りすぎてしまいそうです。(写真手前の右奥に本堂があります(本堂しかありません ^^;)。)

     


今回は曼珠沙華寺のことしか頭になかったのですが,たまたまこの日は「大多喜お城祭り」の本祭の日に当たっていて町内は祭りムードに包まれていました。

     

     

     


大多喜町と言えば,徳川四天王のひとり「猛将 本多忠勝」が治めた中房総の城下町ということで,お祭りのハイライトは「本多忠勝 武者行列」です。今年は地元出身のタレント「渡辺正行(リーダー)」さんが本多忠勝に扮して参加されたようです。(時間の関係で行列が始まる前に帰ってしまいました(泣)。)

祭りのメイン会場,大多喜小学校の入口付近をうろうろしていると,大きなシャボン玉を飛ばすおじさんが・・・,なんと「kuribow」さんではないですか,事務局からの依頼を受けてお祭りを盛り上げていらっしゃいました。

写真は,昭和50年に再建(復元? 復興? 模擬?)された大多喜城天守です。

     


大多喜町は中房総の小江戸とも呼ばれるほど,街並みにも当時の雰囲気が残されています。これは,重要文化財の渡辺家住宅で江戸時代後期に建てられた町家です。

     


ほかにも江戸後期から明治初期の建物が街並みを作っています。

     

     


これは明治3年に完成した「大多喜水道」の跡で千葉県最古の水道と言われています。

     


大多喜町に来たもうひとつの目的,大多喜土産としても大人気と聞いていた津知屋さんの「十万石最中」。月見だんごの替わりに美味しくいただきました。

     

     


夜になると空も晴れわたり,綺麗な中秋の名月を観ることができました。

     



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西伊豆へ

2015-09-21 | お出かけ

みなさん,シルバーウィークはいかがお過ごしでしょうか?明日の信越五岳,週末のSTY&UTMFとトレランビッグ大会に参加されるみなさんも頑張ってくださいね。
私のシルバーウィークは,土・日だけの休みで今日から普通に出勤です(これをシルバーウィークとはいいませんね(汗))。その貴重な休日に家族で西伊豆方面に出かけてきました。

最初の目的地「御殿場アウトレット」を目指して早朝に千葉の自宅を出発,予想に反して渋滞に遭うこともほとんどなくオープンの1時間以上前に到着!(笑)
ショッピングは午前中で切り上げて御殿場市内のラーメン店「つけ麺 白虎」さんで昼食タイム。

つけ麺屋さんで普通に味噌ラーメンを注文してしまった親父でした(笑)。

     


食後は御殿場を後にして沼津経由で西伊豆の戸田(へだ)温泉を目指します。(息子がアウトレットでワインを何杯か試飲したらしく,結局この日は最後まで運転することに!無意識に・・・とか言ってますが確信犯ですね(笑)。)

沼津からは駿河湾沿いに海岸線を走ることから,絶景ポイントもたくさん点在しています。が,楽しみにしていた富士山の姿は雲に覆われてなかなか見ることができませんでした。

太陽の位置によって海面がキラキラと煌めいて見えることから「煌めきの丘」と呼ばれる絶景ポイントです。本来なら正面付近に富士山が・・・

     


下に見える池は,海岸からわずか50mしか離れていないのに真水が湧き出す「明神池」です。

     


戸田の街の象徴とも言える「御浜岬」などを眼下に見下ろすことができる「出会い岬」からの眺望です。

     

     


ホテルに早めに入って,出会い岬から眺めた1周2km弱の「御浜岬」を家族で散策したあと親父はそのまま周回ランを続けます(笑)。

     

     

     


この後さらに綺麗な夕陽を期待したのですが,厚い雲が現れて「残念っ」!

     


岬には海水浴場や,造船郷土資料博物館・駿河湾深海生物館,諸口神社などがあります。また,初夏にはスカシユリ,夏には浜木綿の群生を観ることができるそうです。

     


夜の楽しみはやはり駿河湾の海の幸です。あまり覚えていませんが,駿河湾盛り(刺身),アワビの踊り焼き,高足かに,とろぼっち(深海魚)の揚物,金目の煮付け 等々

     

     

     

     

     


翌朝は早起きして旅ランです。戸田漁港をぐるりと回るコースを走って「出会い岬」まで・・・今朝はなんとか薄雲の向こうに富士山の姿を見ることができました。

     

     

     


こちらは「御浜岬」から見た駿河湾と富士山です。

     

     


戸田には重要文化財に指定された「松城邸」というものがあり,月に2回だけ一般公開されるということを確認していました。そしてなんとこの日,9月20日がその一般公開日に当たっていたので訪問してきました。
松城邸は,江戸期から廻船業で富を得た松城氏が,明治初期に擬洋風建築として建設したもので,随所に伊豆松崎の名工「入江長八」の手による漆喰こて絵が飾られています。

     


二階(左側)に三つの欄間付窓が見えますが,本物はひとつだけで,あとのふたつは長八さんによる漆喰彫刻です。

     


文庫蔵にも貴重なものが数多く納められています。鑑定団に出したら・・・(笑)

     


これは秋の実りを配したランプ釣元飾りですが,全体をよ~く見ると「しいたけ」に見えてきます。これも長八さんの遊びごころでしょうかね?

     


2007年に公開されたAKB48のメンバーが多く出演したホラー映画「伝染歌」のロケも邸内で行われたそうです。

     


戸田港を後にして,昼食をいただくために沼津港に向かいます。当初は戸田の「魚重食堂」というお店で深海魚料理をいただくことを考えていたのですが,昨夜少しですが深海魚(とろぼっち)も食べたし,やはり沼津にきたのだからということで・・・(笑)

「魚重食堂」さんは,バラエティーなどで活躍中のフリーのテレビカメラマン「辻 稔」さんのご実家だそうです(一応,写真だけは撮って帰りました(笑))。

     


沼津港にはちょうどお昼の時間についたこともありどのお店も混み合っていました。この日はいつもおじゃまするタワーかき揚げの「丸天」さんではなく「どんむす」さんというお店にしました。

鯵のたたきと桜エビのから揚げ,生シラスを盛った「駿河丼」などなど・・・

     

     


食後は,お隣りの清水町まで足を延ばして柿田川公園を散策。綺麗な湧き水を楽しむことができましたが,「ミシマバイカモ」の姿を見ることができなかったのは残念でした。

     


柿田川は全長1.2kmしかない日本一短い一級河川ですが,賑やかな国道1号線のすぐ近くでこれほど綺麗な水が湧き出しているんですね~。

     

     


柿田川の湧水量は1日100万㎥で東洋一だそうです。

     

     


旅ランを楽しめたのはいいのですが,左の股関節にいやな痛みを感じるようになりました。距離が延びるに従って痛みも増していくようです(涙)。


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彼岸花の小径と

2015-09-16 | 四方山話

出勤前にちょっと寄り道,金剛地熊野神社参道の彼岸花が咲き揃いつつあります。
今週末からシルバーウィークに見ごろを迎えそうですね。
ところが私は週末も予定が入っているし,シルバーウィークなるものは出勤だし・・・

          


早朝だというのに先客がいらっしゃいました。

          

          

          

          

          



2016年東京マラソン・・・落選・・・ついに7連敗です(涙)。毎年SNSで「当選おめでとうございます❗️」のメッセージを送るばかり・・・
青梅にエントリーするか(9/25~),京都にかけるか(10/6発表)・・・悩む!

     


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24耐 in 夢の島 2015

2015-09-14 | 大会レポ(耐久)

くじ運が最悪にもかかわらず16日の発表を少しだけ期待している親父です(笑)。

     

土曜日から日曜日にかけて開催された「第14回 24時間グリーンチャリティーリレーマラソン in 東京ゆめのしま」の24時間個人の部に参加してきました。
3日前にやってしまったぎっくり腰も完治とまではいきませんでしたがなんとか走れそうなくらいまでは回復しているようですし,ほかにも膝やふくらはぎと不安なところばかりですが「痛くなればいつでも止められる!」ということでの強行出場です。

     

結果:122.2km(1周約1.3kmのコースを94周)結局情けないことに24時間最後まで走ることはできませんでした。


スタート前

今年は,ギネス記録に挑戦(20ポンドの荷を背負って24時間,100km以上を走る)される「銀座の鉄人 三州ツバ吉」さんのお手伝い(証拠映像の撮影)も少しやりながら走る予定だったのですが,急なご家庭の事情でチャレンジも中止になってしまいました。来年再チャレンジされます。


2012年のサハラ砂漠レースを激走する三州さん

     


スタート前にコースを2周ほどする間に,チームコタックで参戦のたかっちゃんや山女魚男道さん,チェリーさん率いるシャア専用チームのみなさん,そして急遽仕事との掛け持ちになってしまった三州さんなどゆめのしまの顔のような方たちとお会いすることができ,徐々にテンションも上がってきます(笑)。

     


場外にテントを構える「シャア専用」チームのみなさんは,前を通過するたびに大きな声で応援してくださいます。たしか9名のチームでしたが,みなさん3~4種の仮装衣装を用意されています。まさに仮装プロ集団です(笑)。このなかには,ラン友riorioさんのお知り合いもいらっしゃいます。

     


「シャア専用」チームさんのテントのはす向かいに三州さんをサポートする「RUNツバッ!」チームのテントが設置してあります。

     


そしてゆめのしま24時間と言えばこの方,ものまねアスリート芸人「M高史」さんも大会を盛り上げてくださいます。

     


~6時間(ここまでの周回数:38周 49.4km)

13時ちょうどに24時間と6時間の部が正面にスカイツリーを見てスタートします。このところ涼しい日が続いていたというのに,この日は30度を越える暑さが戻ってきてピエロのマスクで走る者としては少し辛かったです。

     

     


スタートしたあとすぐに国際ランナーの「女将さん」をお見かけしたのでしばらく一緒に走らせていただきました。さすが有名人の女将さん,応援の声が途切れることがないくらいの人気でした。最後は腹痛に悩まされたということでしたが,最後まで粘られて24時間女子の準優勝(184.6km)はさすがの走りでした。こんど炭やさんにも飲みに行きますね。

     


また,6時間の部のリレーゾーンあたりから「親父さん,頑張れ~」という声が聞こえたような気がしたので探してみますが,知り合いらしい姿を見つけることはできませんでした。そして,次の周回でも同じような声がしたので再度探すと・・・なんとイモトアヤコ軍団(ウェルネスタイルBチーム)のなかに「mizore」さんを発見!何も聞いていなかったので応援にもその姿にもビックリでした。
写真NGなのでピエロでも・・・(笑)

     


リレーチームのランナーは,それこそキロ3分台のスピードで走られているので惑わされないようにしないといけません。そのためには・・・ペースが同じような方と話をしながら走るのが一番です(笑)。たとえば浴衣姿で走るお姉さんとか,ハセツネを控えた美ジョガーさんとか・・・

     


17時を過ぎる少しお腹も空いてきたので,早めの夕食サービス(パスタ)をいただきます。
立入禁止の芝生の上ではなく,競技場内に設置されている休憩テントの中です。念のため(笑)

     


~12時間(ここまでの周回数:65周 84.5km)

6時間の部がゴールを迎えるとコース上も少し寂しくなります。しかし,その1時間後には12時間の部がスタートします。12時間の部にはブログ村の「ぼっち練」チームも参加すると聞いていたので,走るのを一旦サボり陣中見舞いにお邪魔しました(手ぶらですいませんでした^^;)。
メンバーは,監督の「キクチさん」,「キミ兄さん」,「官九郎さん」,「たまさん」,「けいすさん」,「ユキさん」です。故障中の「motoさん」も応援に駆けつけていらっしゃいました。俊足メンバー揃いなので十分上位を狙えそうです。(結果は,126周 163.8kmで第7位)

     


日没の時間を迎えましたが,レースはこれからです。

     


暗闇でランナーを応援するカオナシさん,知らない人が見たら怖いでしょうね。チーム肉体疲労団のランナーさんです。

     


三州さんも仕事を終えられて再始動です。ギネス挑戦がなくなったこともあり,月末のアマゾンジャングルマラソンを想定して荷物は16kgに増量されています。

     


深夜になってもみなさんグルグルと・・・

     


~18時間(ここまでの周回数:92周 119.6km)

12時間を過ぎてやっと涼しく,走りやすくなってきました。が,そろそろ足や腰に違和感を感じるようにもなってきました。

とりあえず夜食をいただきます(笑)。

     


なんとか100kmをクリアして日曜の朝を迎えました。

     


15時間を過ぎたあたりで最初に悲鳴をあげたのは今年も足裏でした。その後に騙しだましの左腸脛靭帯,そして直近に痛めた腰にも違和感が・・・


~24時間(ここまでの周回数:94周 122.2km)

朝になってもしげさんは淡々と周回を重ねていらっしゃいます。

     


12時間の部がゴールを迎える時間が近づいてきたので気分転換も兼ねて「ぼっち練」のみなさんのところを訪れます。
ラストの2周をキクチ監督が激走して第7位という好成績でのゴールでした。

     


ひとりだけ色の違うナンバーカードを付けて写り込んでしまいました(笑)。

     


どうしても試したかったことを三州さんにお願いしました。それは,三州さんが背負っているリュックの重さを確認させてもらうことです。ただ確認するだけでよかったのですが,三州さんから「せっかくなら背負って走ってみたらどう?」と持ちかけられて,ついついその気になり20ポンドの荷物を背負って1周走ってみましたが,とてもじゃないけどこれで100km以上走ることは(私には)不可能です。

     
(オールスポーツさんの写真には,死そうな顔で競技場を走っている姿が写っていました。)


ほとんど走る気を失うなか,朝食のおにぎりと味噌汁をいただきますが,気持ちはなかなか復活しません。

     


結局約4時間を残して走るのを止めてしまった根性なし親父です。順位もベストテンを狙える位置から38位まで落ちていました(涙)。今更ですが歩いてでも100周という数字はクリアしておくべきでした。来年こそはなんとしても100マイルを達成したいですね。どなたか一緒に参加しませんか?(笑)

今年は雨こそ降りませんでしたが,日中かなり暑くなるなか大会運営に携わっていただいたスタッフ・ボランティアのみなさん,たいへんお世話になりありがとうございました。また,一緒に戦ったランナーのみなさんお疲れ様でした。また来年もよろしくお願いします。

     


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