故郷 壱岐の島をほぼ一周する「壱岐ウルトラマラソン(100km)」に参加してきました。2年ぶり3回目の参加になります。
コースはこんな感じで,ぐるりと名所旧跡を辿るような設定になっています。
壱岐は最高峰でも岳ノ辻の212.8mで,お盆を伏せたような平らな島ですが,100kmも走るとなるとそれなり(以上)にアップダウンがあります。
コースの最大標高差130m,累積獲得標高D+1,323m
【結 果】
12時間59分51秒(総合156位 年代別11位)
《参 考》
第1回:13時間40分01秒
第2回: 11時間48分50秒
第3回:不参加
完走率の推移(2019.10.31追記)
今回の完走率は,50km:86.9%,100km:68.1%,
全体で74.3%だったようです。
〈参考〉これまでの状況
◯スタート前
今回は,最近定番になりつつある「にわとり」で走ります。
坐骨神経痛からくる下肢の痺れはどうしようもありませんが,膝の痛み軽減のためにテーピングだけは施します。
持ち物は,スマホ,モバイルバッテリーとハンドライト(閃),そして補給食として mag-on(3袋),STC-FINISH(悪魔のジェル),STC-PERF,黒糖わらび餅(1袋),さらに念のためのコムレケア(1回分)・・・STCはもったいなくて使わずじまいでした(笑)。
なお,スタート前にSTC-NO-CRANP(攣り予防)とSTC-BCAA(筋肉痛抑制)を1本ずつ投入しています。
スタート前にお会いした大阪から参加のじゅりーさん,そして長野から参加のりえさんは第1回大会で初めてお会いした方々です。
スポーツアドバイザーのじゅりーさんは,昨年の大阪マラソンで「吉本女子陸上部」(末成由美さん・福本愛菜ちゃん・和田ちゃん・小林ゆうちゃん)の4人を完走に導いた完走請負人です。^_^ 今年も福本愛菜ちゃんのサポートをされるようです。
壱岐ウルトラが大好きというブロ友のBASS@Jさんは4回目の参加で皆勤賞です。
そして初めましての福岡のひまりんさんは,なんとワラーチで走られます。
大会MCは今年もこの方「絶叫MC SAYURI」さん!スタート時もゴールのときもランナーにパワーを与えてくださいます。
目立たないようにしていたはずなのに・・・,今回もインタビューを受けることに・・・(汗)
中学校の大先輩,壱岐未来座のD肥座長さんも100kmにチャレンジされます。スタート前にお会いできればと思っていましたが(お礼も言いたかったし・・・),残念ながらお見つけすることができませんでした((>_<))。
◯〜10km:57:47(57:47)
午前5時,長崎から博多経由で深夜に帰島された白川壱岐市長の号砲で一斉にスタートします。あまり関係ありませんがスタートロスは13秒でした。
キロ6分の予定でしたが,和歌山から参加の「よなきや」さんのTシャツを着た方とFM橋本の真理ちゃんのことなどを話しながら走っているとちょっと速くなってしまいました。
この時期の朝の5時はまだ真っ暗です。私は自分でライトを用意していましたが,大会側からもハンドライトが無料で貸し出されていました。さらに道路に置き型のライトを約20mおきに設置することでランナーの安全が確保されていました。
スタートして3kmも走ると上りが始まります。ここでじゅりーさんと一緒になり,付かず離れずで走ったため,ペースを落とすことができませんでした。
結局10kmの通過は予定より2分以上早くなってしまいました,これが後々に響いたのかもしれません。
◯〜20km:1:59:27(1:01:40)
10kmを過ぎるとコースは上り基調になります。その長い坂を登りきると左に半城湾を見おろす展望所に設置された御津ノ辻エイドです。
エイドに向かって淡々と走るじゅりーさん,なんと総合5位入賞です。
ここでスタート前に忘れていたトイレにお邪魔しました。ここからは黒崎半島入口まで下って,奇岩「猿岩」のエイドを目指します。
猿岩エイド到着,おにぎりと味噌汁をいただきました。
記念の写真も
従兄弟は,コース上を移動しながら動画や写真を撮影しています(大会公式カメラマンかな?)。
◯〜30km:3:02:55(1:03:28)
黒崎半島から「壱岐優介ジョギングロード」の坂を下り,1,500年以上の歴史を持つ古湯,湯ノ本温泉の街から生まれ故郷の勝本に向かいます。
サンドーム壱岐のエイドを過ぎると,前半の難所銀台の坂です。道路の対向車線に車にはねられたか,鼬が息絶えていたので,誘導スタッフに「都会の方は嫌がるだろうから,片付けてもらったほうがいいよ。」と声をかけておきました。
坂を上りきると勝本第七分団格納庫エイドです。ここには母親と弟夫婦が待機していて「ロキソニン」を差し入れてくれました(笑)。・・・持ってくるはずが,実家に忘れていました。 ^^;
エイドを過ぎて田園地帯からタンスの海岸方面に向かう途中で,従姉妹が娘さん,お孫さんと一緒に応援してくれました。ありがたいですねー。
◯〜40km:4:09:59(1:07:04)
30km過ぎの坂を上っていると,一人倒れた人をお仲間か?お二人で介抱されている現場に遭遇しました。
どうしたのか?聞くと,足が攣って走れなくなったとのこと。
エアサロを持っていないか?聞かれましたが,さすがにそれはないので,とりあえずこれを飲んで,エイドも近いのでそこまで頑張ってと,Mag-on とコムレケアを渡しておきました。・・・その後会ってないけど大丈夫だったかな?
島の北部,勝本町の馬場先では今年も中学の大先輩 徳さん(マルミ海産物)がフライキ(大漁旗)を振っての応援です。元漁師とはいえ,何時間も振り続けるのはたいへんだと思います。徳さんにはかざはやの桜守りまでやっていただいてありがたいことです。
神功皇后ゆかりの聖母宮の前からちょっと狭い勝本浦中通りを走ります。12日から15日にかけて聖母宮の例大祭,港まつりと賑わった勝本浦ですが,今日も町のおんちゃんやおばしゃんたちが通りの両側から声をかけてくださいます。
中通りから浜通りに出たところで「◯◯さん,写真!」と言って撮ってくれたのはどなただったのでしょう?(写真はS條さんからいただきました。)
おもてなしエイドの辰の島渡船場では,ドラゴンTにも気づいたいただけました(笑)。ここでしか手に入らないTシャツです。
イルカパークの手前,天ケ原には母親の友人riyoちゃんおばさんが駆けつけてくれていました。
壱岐イルカパーク&リゾートのみなさんの応援です。
天が原,子供のころはこのあたりの海岸でもよく泳いでいました。当時はこんな立派な道はなく,潮が満ちて海岸を歩けない場合ときは山越えしていました。
天が原のエイドでは,母親がよく効くというドリンク「気美人」を携えて待っていました。
さらにその先では,フィアンセを連れてきた甥っ子がその彼女と一緒に応援してくれます。写真もありがとうね。
天ケ原からまた勝本浦まで戻り,そこから坂(勝中坂)を上りますが,案の定足が痺れて思うようには走れません。
母校の勝本中学校では部活中の後輩たちから声援を受け,さらに霞翠(かすい)小学校前を通過します。その先で小・中・高の同級生U村くん(元中学駅伝部)を発見,私が走ることは知らなかったようですが,ランナーさんに声をかけながらの応援です。
◯〜50km:5:23:14(1:13:15)
平川橋の40km地点からレストステーションまでの10kmは,若干のアップダウンはあるものの比較的平坦なコースが続きますが,痺れとだるさでペースもどんどん落ちてきました。
三軒茶屋先のエイドでワラーチのひまりんさんが追いついてこられました。さすがです,上りであろうと淡々と足を進めていかれます。総合7位入賞,それもワラーチで!!
いよいよストレッチが必要になってきました。
10時23分,昨年より10分遅れて50kmのレストステーションに到着しました。
カレーをいただきながら,先に到着されていたひまりんさんや,品川病院の療法士さんと話しをしましたが,みなさんこれからの暑さを心配されていました。
◯〜60km:6:52:27(1:29:13)
レストステーションに約10分ほど(だったかな?)滞在してリスタート,
51km手前に
同級生の歯医者さんがありますが,通過した時間帯は治療中でした。
ちんちりがんがん祭りの幟が立つ芦辺の町中を過ぎ,清石浜の手前まで来ると今年もブログ友の「おとめさん」が応援してくださいました。^_^
知り合いランナーさんにもパワーを送ってもらおうと,こっそり知らせていました。
今年もありがとうございました。
清石浜,綺麗な海水浴場です。
(写真,撮り忘れたので借り物です。)
あと47kmの幟
地元の小学生が作ってくれた距離表示の幟が99本(あと99kmからラスト1km まで)立てられています。絵と応援の言葉に力づけられて前に進めます。
(写真は前日強風のなかで撮ったものです)
左京鼻に向かう八幡半島の道路は,風が強く左を走っていても風で道路右側に体ごと持って行かれそうな風でした。でも,海はこんなに綺麗です。天気も回復してやはり暑くなりそうです。
ここで早くも50km(11時スタート)のトップ選手(K下さんかな?)に抜かされました。
そして,少し前から兆候がありましたが,足が攣り始めました。これまでウルトラで足が攣ったことはほとんどなかったのですが・・・
そうだ,コムレケアを投入! と思ったら30km付近で足攣りのランナーさんに進呈していたのでした(汗)。
とりあえずMag-onで様子をみます。
左京鼻も少し時化ています。
◯〜70km:8:19:36(1:27:09)
後半持ち直すことができればまだ11時間台もと思ったりもしましたが,この足の状態ではとてもとても・・・60km過ぎの漁民研修センターエイドではしばらく椅子に座らせていただきました。
干潮時になると海が割れて参道が表れるパワースポットとしても人気の壱岐のモン・サン・ミッシェル「小島神社」です。
昨日の夕方お詣りしたときはこんな感じでした。
小島神社を過ぎて上りにかかるころ,親父さーん!と50kmの部のゆきごんさんが追いついてこられました。しばらく喋りながら走りましたが,とても同じペースでは走れないので先に行ってもらいました。ただでは帰らないゆきごんさん,年代別3位入賞です。
そのあとしばらくは「牛さん」と一緒に走りましたが,やはり付いていけないので先に行ってもらいます。
そこからひとつ山を越えると長崎県で2番目に広い「深江田原平野」が広がっています。その中心地が弥生時代の遺跡,「原の辻」です。
壱岐のゆるキャラ「人面石くん」のモデル「人面石」もこの遺跡から発掘されました。
広くフラットな深江田原を走り,70kmが近づくころにはもう走り続けることも叶わず,走る-歩く-止まる-ストレッチ-歩く-走るの繰り返しになってきました。
◯〜80km:9:49:20(1:29:44)
70kmを過ぎ原の辻と別れるあたりでなんとアキレス腱が攣りました。アキレス腱が攣るものとは知りませんでしたが,よほど負担がかかっていたのでしょうね。
73.6kmの安川建設エイドでは,それまで順調に走られていた外国の女性ランナーさんがリタイアを申し出ていらっしゃいました。やはり暑さからの熱中症でしょうか?
山崎地区は子供の頃もほとんど炎がありませんでしたが,町のそこここで沢山の方が応援してくださいます。ここ山崎エイドのボランティア中学生たちは,ランナー全員をナンバーカードに書いたニックネームで声をかけてくれます。
エイドを出て,激坂をヘロヘロになりながら上ると塩津浜に到着します。
この付近の海岸にはかつて大量のイルカが迷い込んで息絶えてしまったことから,この海岸に沿った道路は「イルカの涙道」と名付けられ,浜に供養塔も立てられています。
筒城の漁港に入りなんとかあと20kmになりましたが・・・前回からはすでに1時間も遅れています。
◯〜90km:11:32:04(1:42:44)
筒城のキャンプ場に到着したところで,ついに芝生の上に横になってしまいました。脱水が進んだのかどうも熱中症気味です。
それでもなんとか立ち上がってエイドに向かっていると,
「◯◯◯,大丈夫?」
と言う声が聞こえてきました。
なんとここにも従兄弟(同級生)が待っていました。ここで不本意ながらにわとりを諦めることにし,実家まで届けてもらうよう頼んで従兄弟に預けました。
あとで聞いたら,足も攣ってかなり危なそうな様子だったので,無理にでも車に押し込んで連れ帰ろうかと思ったらしいです。^^;
ここからゴールまでは写真もありません。
ほとんど歩きで筒城小学校エイドに到着,ここでもしばらく椅子に寝ていたようです。
あとで見たら,このころに「ゴールは制限時間ギリギリかもしかしたらアウトになるかも」というメッセージを実家族ライングループに入れていました。
このエイドを過ぎてからは,リタイアを考える余裕さえありませんでした。
錦浜エイドを過ぎると激坂が続きますが,完全に歩きです。さらに吐き気までもよおしてきました。
が,
胃には吐くものもないのか,水分さえもでません。^^;
マリンパルのエイドを出て再びみたび坂を上りきると久喜の漁港が見えてきます。ここからの下り坂は少しでも時間を稼ぐため足が攣ってでも走ります。坂の途中が90km地点です。
◯〜100km:12:59:51(1:27:47)
地元のみなさんの声援を背に久喜エイドスタートしたころになって,やっと完走に自信が持てたのか,ライングループに 久喜到着!とメッセージを入れていました。
いよいよこのコース最大の難所に突入です。激坂が3段,4段と繰り返し襲ってくる約5kmの上り坂です。
第1の坂をクリアし,当田ダムのエイドまできたときに12時間台いけるかも・・・と根拠もなしに思ったりもしていました。
激坂はほとんど歩きでしたが,なんとか若松公民館に到着。ここからしばらくゆるい上りが続き,岳の辻入口からのラスト3kmはほぼ下りになります。ペースアップといきたいところですが,再びふくらはぎとアキレス腱が攣ってしまいました。
それでもストレッチで適当に伸ばしたあとは一気に下っていきます。
郷ノ浦大橋を渡って郷ノ浦トンネルに入るとMC-SAYURIさんの声が聞こえてきます。
最初はたしかに本名を呼んでいらっしゃいましたが,そのうちに「鈍足親父さ〜ん!」に変わっていました(笑)。
SAYURIさんとタッチを交わしてゴールテープを切り親父の故郷の島一周100kmの旅が終わりました。
終盤は時計を何度も見ながらでしたが,なんとか,なんとか,12時間台でフィニッシュすることができたようです。
ゴールシーンの写真はありませんが,ゴール後コースに一礼
このあと攣りの辛さに耐えきれず倒れ込んでしまったら,スタッフの方がやってこられて 「救急車呼びましょう! 」と言われるほど情けない姿を晒していました。
もちろん,「大丈夫です!」と丁寧にお断りしました。^^;
ちょっと元気になりました(笑)。
ゴールで待っていた母親と弟(スタッフのひとり)夫婦,そして甥っ子とその彼女
最後までありがとう!
スタッフ,地元中学生を始めエイドなどのボランティアのみなさん,そしてなにより島の方々の熱く暖かい応援に背中を押していただいて,苦しみながらもゴールにたどり着くことができました。家族・親戚そして一緒に走ったランナーさんも含めて全ての関係者のみなさんに感謝します。
いつかは自己ベストは無理としても,なんとかサブ11はやりたいなー・・・