あすきなまこブログ

七宝焼を焼いています。

名もなき花

2009-11-11 08:25:15 | 小説・随筆
志村ふくみさんの「一色一生」を拾い読みしています。

そのなかで、「英国の陶芸家バーナード・リーチの語っていることに、私は暗夜の一灯を見る思いがした」とありました。概要が記されていました。以下、その引用です。

>昔は名もない職人が家具や陶器を作っていた。李朝の白磁一つを見ても、とうてい自分のものなど遠く及ばない美しさを持っている。現代という時代は、中世とは違う人間を作ってしまった。芸術家という化け物に変ってしまった工人はどう身を処すればいいのか。
答えは展覧会でも、個展でもない。
一つの作品がもっと深いところで大きな存在につながっており、作者の精神と呼応し、一体となっている重大な点を見逃してはならない。「生命」これが仕事の根幹である。写実の出来、不出来により生きているというのではなく、深い生命の根源につながっているかどうかということである。
人間には、自然に具わった機能、頭・心・手があり、工芸はこれらを偏りなく使う数少ない営為の一つである。
工人が仕事をするとき、次の二つのことをしている。
一つは使って楽しく、役に立つものを作る。もう一つは、形の完成を目指す終わりのない旅である。この二つの活動が合わさり、工人と素材と一つになったとき、ものに「生命」が注入される。

>農民が毎年季節になれば種を播き、刈り入れるように、中世の職人も同じものを何度も何度もこしらえてきた。こうして繰り返し仕事をするうちに、自我、我執、驕慢など作ろう作ろうとする作為が次第にすり減ってゆき、ものが自然に磨ぎ出されてくる。この反復作業によってものを作る行為から、ものが自然に生まれてくる世界に知らず知らず移行してゆく。
そこにいたるまで工人は、ひたすら仕事を続けていかなくてはならない。



あっ、ちょっと今日、出かけなくてはならないのでタイムリミットです。
とりあえずアップします。ぽちっとな。




コメント
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