あすきなまこブログ

七宝焼を焼いています。

タマキくんの思い出

2006-10-05 20:12:43 | Weblog
「親父と喧嘩して、自転車で家を出た。」
しばらくぶりに顔を出した放課後の美術室で、タマキくんは話し始めた。タマキくんは映画監督になりたかったらしく、そのまま東京に向かって自転車を漕いだらしい。たくさんたくさん漕いだ。漕いで漕いで漕いで漕いだ。途中の坂なんかは、降りるとき、すごくスピードが出て怖かった。神社で野宿した時は、とても寒かったらしい。それから、店(どこのだったか失念した…)で「なんだ、お前、どこから来たんだよ。」と怖そうな兄ちゃんにからまれたりして「…倉敷から。」って答えたら「なに、倉敷から自転車で来たの?お前すごいよ!!」と言って、いきなり優しくなったその兄ちゃんがおうちに泊めてくれたりもした。タマキくんはお礼を言って、また自転車を漕いだ。
東京に着いて、ジュリーの「太陽を盗んだ男」という映画を撮った監督の元へ行った。タマキくんは、そのまま弟子にしてもらうつもりだったそうで、監督と一晩語り明かした。しかし、「まだ、高校生だし、とりあえず家に帰りなさい。」と監督は新幹線代をポンと渡してくれた。自転車で来た道を新幹線でびゅんと帰りながら、オレって何やってんだろうな…と思ったそうです。

でも、その話聞いた時は、ときめいたなあ。…そんなことができるんだなあ…と思った。…けれど、何か全然別の世界の話みたいにも思って聞いていた。「太陽を盗んだ男」はタイトルだけは知っていたけどまだ観ていなかったし、わたしは、まだそのころトラウマから抜け出せていなくて、知らない夜道をひとりで行くなんて、考えられなかった。学校を休んで、勉強が遅れてしまうのも怖かった。

それから、タマキくんのことで覚えているのは、美術室で彼がお弁当を食べていたときに(やっぱり放課後だったよ?)、ピーマン炒めを「これ、オレが作った。」と教えてくれた。小僧寿しでごはんを炊くアルバイトをしていることも教えてくれた。わたしたちの高校は、アルバイトをしている人はほとんどいない進学校だったので、そのときも「へえ…。」と思った。
他人の進路にほとんど興味を持たなかった当時のわたしは、卒業後、彼がどうしているかも知らなかった。
コメント
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