あすきなまこブログ

七宝焼を焼いています。

くまちゃんはともだち

2006-03-30 11:29:07 | Weblog
長いこと、ほんとうに長いこと、わたしを支えていてくれたくまちゃんの話をします。

わたしが2歳の時、祖母が北海道旅行のおみやげに買ってきてくれたくまちゃんは、毛皮で出来ていて、ふわふわでとてもかわいかったです。わたしは、ずっと抱いていました。もちろん寝る時もいっしょですし、お友達の家に行く時も抱いていった憶えがあります。

わたしはくまちゃんの散髪(写真が残っているので、やっちゃってたみたいなんですけど…誰か止めたれや…。毛はもう生えてこんのや…。)をしたり、くまちゃん用の洋服を作ってもらって着せ替えをしたりして遊びました。
うちは共働きだったので、親の帰りを祖父母といっしょに待っていましたが、そのときもずっとそばにいました。
こたつの中でくまちゃんといろいろおはなしをしていたのも憶えています。いちどだけ、くまちゃんは「はい。」と言いました。聞き間違いかもしれません。でも、それは音声ではなく、直接頭に響くようなものでしたので、あれはくまちゃんのお返事だったということにします。

高校のときも大学生になっても、多分寝るのはいっしょに寝ていたのではないでしょうか。少なくとも21歳の時はまだ、抱いて寝ていたように思います。なぜ憶えているかといえばその歳の夏コミ帰りの、青春18きっぷの長い在来線の中で、わたしは隣りに座ったおばさんにくまちゃんの話をしたからです。
そのおばさんの孫がやはりぬいぐるみに執着しているので、孫が自分の家に遊びに来た時は、それをとりあげて隠してやるのだ…と言っていて、「むごいな…。」と思ったわたしは、フォローのつもりで、わたしもくまちゃんを未だ抱いて寝ていますよ…と話したのでした。内心、そのおばさんはわたしを軽蔑したようでしたが、まあ、行きずりの人だから、それはどうでもいい。

遠くの町に住む人に恋をして、毎晩泣き暮らしていたころはどうだったのでしょうか…。人間の体温は強烈です。わたしは、くまちゃんでは足りなくなったのでしょうか。
そのころ、くまちゃんは皮も破れ、修理を重ねても、中の詰め物がこぼれるようになって久しいのでした。毛もほとんど抜けて、わずかに残ったおでこの毛の手触りを愛でるくらいで。
おふとんにいれるのはあきらめて、箪笥の上かどこかに飾っていたような記憶があります。

今はくまちゃんはわたしのうしろでタオル地のぶたさんのぬいぐるみとふたり並んでいます。くまちゃんは、赤い毛糸で編まれたすっぽりとした服を着て、包帯も巻かれています。手負いのくまちゃんという感じです。毛皮とプラスチックの目(片目は子供の頃にとっくに取れたので同じくらいのボタンをはりつけてあります。)そして中の詰め物。わたしの、愛と執着を一心に受けとめてくれてありがとう。
コメント
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