作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

11月13日(火)のTW:#TPP、

2012年11月14日 | ツイツター

TPP参加問題は確かに、政界再編の試金石として、争点とすべき。しかし、安倍首相は積極的にTPP参加を打ち出して、自民党内に指導力を発揮していない。>><<RT @ikedanob: TPPを総選挙の争点に : 池田信夫 blog bit.ly/SSuN


このことを見てもわかるように、安倍晋三氏は前回の「政権投げだし」の経験から反省して何も学んでいないことがわかる。>><<RT @ikedanob: TPPを総選挙の争点に : 池田信夫 blog bit.ly/SSuNtd


明治維新の攘夷派と開国派との争いのように、TPPは日本のこれからの命運を左右することになるだろう。>><<RT @ikedanob: TPPを総選挙の争点に : 池田信夫 blog bit.ly/SSuNtd


社会保障への税投入の在り方も問題。先に多額の税を投入して、一般的に保険料を抑えるのはダメ。これだと高額所得者の保険料も下がってしまう。まずは適正保険料をはじく。その上で、低所得者に対してのみ税を投入して保険料を下げる。保険料によって所得の再分配を強化する。

shuzo atiさんがリツイート | 51 RT

たかだか貿易ルール。これくらいできないと、国際社会でやっていけませんよ。 安全保障の外交交渉などもっと厳しいRT @serre: ルールメイキングに参加できると思ってるのかね?RT @t_ishin もちろん中身を精査をしての最終判断です。でもまずは交渉参加でしょ。

shuzo atiさんがリツイート | 55 RT

最初から逃げるより、交渉後納得がいかないから抜けた方が国際的には評価されます RT @suiseijin_plus: 交渉参加は結婚を前提としたお付き合いと同じ。 中身が気に入らないからと言って途中でやめますなんて簡単にできません。 強引に抜け出せば国際的な信用を失います。

shuzo atiさんがリツイート | 49 RT

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11月11日(日)ツィッター茂木建一郎氏のメディア批判、核抑止など

2012年11月12日 | ニュース・現実評論

ほじ(1)日本維新の会の橋下徹さん(@t_ishin)が、「核兵器の廃絶は現実には無理。米国の核の傘の下に入ることは必要」の認識を示したという報道(bit.ly/SMhevg)に接して、広島の演説会の映像(bit.ly/WRkNHe)を見た。

shuzo atiさんがリツイート | 69 RT

ほじ(2)広島演説会の映像を見て、改めて、橋下徹という人は、得がたい才能だと感じた。自分の言葉で、聴衆に届くようにメッセージを伝えている。言葉のコントロールが卓越していて、論理、組み立てに破綻がない。日本の政治かの中では、今までにいなかったタイプだと感じた。

shuzo atiさんがリツイート | 85 RT

ほじ(3)演説会で、橋下さんが広島に投下された原爆についてお話されているのは前半だが、原爆の惨禍について、心のこもった発言をされている。そこには、核兵器廃絶や、核の傘についての政治的な発言は一切ない。街頭で、一般の方に向けての演説なのだから、当然のことだろう。

shuzo atiさんがリツイート | 48 RT

ほじ(4)改めてニュースサイトを見てみると、核廃絶の困難、核の傘の必要性は、「記者団に述べた」とある。ただ、街頭演説の写真が掲示されているので、あたかも街頭演説でそのような発言をしたというような誤認が生じやすいということなのだろう。報道で印象を形成することの危うさを改めて思った。

shuzo atiさんがリツイート | 62 RT

ほじ(5)原爆の惨禍を経験した広島で、核の廃絶は困難、核の傘は必要という認識を示した、というニュースだけを見ると、橋下徹さんが、いわゆる「タカ派」だという印象が生まれる。しかし、演説会の映像を見ればわかるように、実際には原爆の悲惨さについて、心のこもった発言をしている。

shuzo atiさんがリツイート | 93 RT

ほじ(6)原爆被害についての橋下さんの心のこもった発言は、「ニュース・ヴァリュー」がないから、メディアは報じない。「とんがった」(とメディアが判断する)発言だけが、切り取られて報じられる。日本だけの現象ではないが、そのようにして生じた印象に振り回されて判断すると、危うい。

shuzo atiさんがリツイート | 122 RT

ほじ(7)橋下さんが広島で記者団に示したとされる核廃絶の困難、核の傘についての認識自体は、橋下さんの独自のものというよりは、国際政治のリアリティ、常識である。相互確証破壊(MAD)のパラダイムが依然として支配する世界で、核保有国が自ら核を廃絶する道筋はまったく見えない。

shuzo atiさんがリツイート | 77 RT

ほじ(8)従って、広島で橋下徹さんが記者団に示した認識は、橋下さんが現実主義者であり、現状をきちんと把握されているということを示すに過ぎず(実際、政治家はそうでないと困る)、報道のヘッドラインを見るだけで生じる印象は、むしろ有権者をミスリードする。それでは前に進めない。

shuzo atiさんがリツイート | 84 RT

ほじ(9)メディアが、ある印象を作り上げると、自己増殖し、固定化する傾向がある。一つの恒常性維持機能だが、それに影響を受けると、良質の判断はできない。可能な限り、直接その人、事象のソースに接して、自分で認識、判断することが必要。今日のような過渡期においてはなおさらである。

shuzo atiさんがリツイート | 164 RT

多くの情報、様々な意見の総体の中から真実が、さらに真理が明らかになってくる。>><<RT @kenichiromogi: 以上、連続ツイート第772回「報道を鵜呑みにせず、自分で判断する」でした。


ふつうに、常識的に考えれば、橋下氏と同じような結論になるのではないか。>><<橋下代表:「核廃絶誰ができるか」広島で発言 mainichi.jp/select/news/20…


TPPについてもさまざまの意見があるけれども、小泉純一郎元首相のように「自民党をぶっ壊す」とも言えない安倍晋三総裁に、TPP参加を打ち出すことができるだろうか。自民党が国民政党に変貌できない限り。><<橋下氏:TPP公約化「素晴らしい」 mainichi.jp/select/news/20…


この記事などはヘーゲル哲学の研究による「現実認識」の深化の一証明事例と考えている。こうした作業によって、哲学研究を現実認識に生かしてゆくことこそ目的である。><<鳩山元首相と民主党の「世界市民主義」 作雨作晴 p.tl/dHO2- @soratineさんから


こうした論考によって、哲学の研究が現実認識に有効であること、いや、必要不可欠のものであることを証明してゆかなければならない。教授たちの単なる解釈哲学に堕落しないためにも。>><<鳩山元首相と民主党の「世界市民主義」 - 作雨作晴 p.tl/dHO2-


元外交官の河東哲夫氏が、「日本の核武装は中国に対しては、抑止力にならない」と主張しておられる。本当にそうか。>><<Japan and World Trends: 日本の安全保障パートナーはどこであるべきか? p.tl/2YW-


核弾頭を搭載した原子力潜水艦15隻の沿海潜航は、果たして国土防衛の抑止力にならないか。白紙からの全面的な考察が必要だろう。>><<Japan and World Trends [日本語]: 日本の安全保障パートナーはどこであるべきか? p.tl/2YW1-


核武装による軍事的抑止力は、単に軍事力の問題に止まらない。経済、国民精神、国際外交、それが及ぼすあらゆる影響とその功罪とを全面的に白紙から哲学的に論証したうえで全国民的な意思統一が図られるべき。>><<日本に原爆は必要か? - 作雨作晴 p.tl/GsIC-


元外交官、河東哲夫氏に「日本の核武装は中国に対しては、抑止力にならない」ことを証明する論文があれば示してほしい。>><<Japan and World Trends [日本語]: 日本の安全保障パートナーはどこであるべきか? p.tl/2YW1-


日本の核武装の是非については、十分に研究していないのでまだ断言はできない。しかしエマニュエル・トッド -「 Wikipedia p.tl/6YMR- 」 の提言もある。: 日本の安全保障パートナーはどこであるべきか? p.tl/2YW1-


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11月9日(金)のTW:#野田佳彦、#岡田克也、#民主党、#人民解放軍

2012年11月10日 | ツイツター

野田佳彦首相、岡田克也副総理、森本防衛相など民主党の愚劣が亡国を招く。愚劣の背景。blog.goo.ne.jp/askys/d/201211…>>blog.goo.ne.jp/askys/d/201211…<<共産党大会直前の中国海軍「離島上陸訓練」 goo.gl/rEY0R


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11月8日(木)のつぶやき

2012年11月09日 | ツイツター

wissenschaftlich をどのように訳すべきか。ひとつの論考を試みました。>><< goo.gl/LkcwC


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鳩山元首相と民主党の「世界市民主義」

2012年11月09日 | ニュース・現実評論

 

人間が、その思考力によって、その抽象化する能力によって、個別的なフランス人や日本人、ドイツ人、アメリカ人などの個別的な人間を越えて、人間一般として捉えるようになったことの意義と限界をヘーゲルは『法の哲学』のなかの一節に述べている。

>><<

「万人同一な一般人として「私」が把握されるのは、教養に、すなわち個人を一 般性の形式によって意識する立場としての思考に属することである。人間がこのように一般人とみなされるのは、彼が人間であるからであって、彼がユダヤ教 徒、旧教徒、新教徒、ドイツ人、イタリア人等であるからではない。

――この一般人という意識、これが思想の段階なのであるが、これの重要性についてはどれほど言葉を尽くしても過言では ない。――ただこの意識に欠陥があるとすれば、それが世界市民主義となって、具体的国家生活に対立するように固定される場合のみである。」『法の哲 学§209』

>><<

このヘーゲルのいわゆる「世界市民主義」が具体的国家生活としての日本の国益を阻害するものとして現れた具体的な事例として、鳩山由起夫や菅直人、岡田克也氏ら、民主党の外交政策に見ることができる。戦後民主主義の現行憲法の許に教育された民主党の政治家たちの「世界市民主義」 が日本の国益を損ねている現状を確認できるのではないだろうか。

とくに鳩山由紀夫氏の「世界市民主義」は、氏独自の「友愛」として現れ、それはさらに無分別な「東アジア共同体」構想 として現象して、日米安保同盟にヒビを入れて、日本の国益を大きく損なうことになった。中国の尖閣諸島侵犯に対する菅直人氏の屈従的姿勢の背後にも、この 「世界市民主義」がある。

この人間の思考による自己把握、抽象的把握の結果として生じる「世界市民主義」に関連する観念として、「人権」の問題がある。それについては「世界市民主義」と同じく、さまざまな問題点を含んでいると思われるけれども、また別の機会に考察してみたい。

 ※

「自由と人権」

http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20120922

 

 

 

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wissenschaftlich をどのように訳すべきか―――ひとつの試案

2012年11月08日 | 哲学一般

 

wissenschaftlich をどのように訳すべきか。このテーマで考えてみたい。手元にある三修社の現代独和辞典では、wissenschaft は①学問、科学、②知識、学識 な どの訳語が挙げられ, wissenshaftlich では学問の、科学の、学術の、学的、などと訳されている。

wissen は①知識、学識、心得などの訳語が当てられている。-schaft と schaffenが語源的にどう関係しているのか、浅学にして不明だが、schaffen には①造り出す、創作する、②仕事する、成し遂げる、などの意味があるらしい。


とすれば、 wissenschaft  の意は「知識が創り出したもの」と解してよいのかもしれない。単に wissenschaft を学問、知識、科学などと訳すだけでは、もとの原語の語源的な意味は捉えられない。


-lich は形容語尾で使われる。 wissentlich は、知っていながら、意識しながら、さらに、故意に、などの訳語が当てれているのに対し、wissenschaftlich は、学問の、科学の、学術のなどと訳されている。

この語はとくに歴史的には、マルクスが der wissenschaftliche Sozialismus として、従来の Sozialismus 社会主義 に wissenschaftlich を形容詞に付すことによって、この語に彼自身の思想の独自性を含ませて「科学的社会主義」として主張したことによって知られている。しかし言うまでもなく、この wissenschaftlich こそ、それ以前にヘーゲルが自身の哲学の特色として打ち出したものであった。

従来のPhilosophie(哲学)を、単に「愛智」というレベルではなく、wissenschaftlich の段階にまで高めたことがヘーゲルの功績であることは周知のことである。このwissenschaftlichは、だから、単に学問とか学術とか科学と 訳出するだけでは、その真意は出てこない。なぜなら、ヘーゲルの wissenschaftlich の性格は、その「知識が創り出したもの」が、論理必然性を概念的に証明するものであること、さらに体系的必然性と完結性を持つものであることである。し かし、現代の日本語でいう「科学」には、必ずしもヘーゲル由来のそういった意味は含意されてはいない。


とすれば、 wissenschaftlich の訳語として、ヘーゲル哲学用語法を踏まえて、これに「哲学的」という訳語を、科学的、学問的、学的、などと並んで、 加えるべきではなかろうか。もちろん、多 くの人々は、伝統的にも 「哲学」という用語に、概念的論理必然性や体系的完結性という理解を含めるようなことはなかっただろう。

しかし、たといそうであるとしても、これからの日本の哲学史の伝統の形成において、日本語の「哲学的」という用語に、ヘーゲルの wissenschaftlich の用語法の原意を含めて使用してゆくべきだと思う。

これまでのヘーゲルの作品の著作において、これまで実際にどのように訳されてきたかというと、それは「学的」「科学的」「学問的」などと訳されてき た。確かに、これらに加えてさらに、wissenshaftlich に「哲学的」という訳語を加えるとするならば、従来の philosophische の訳語として確立している「哲学的」との区別をどうしてゆくかという問題が出てくるかもしれない。一つの提案としては、 philosophische の訳語としては、愛智学的、智学的などの訳語を当てればどうだろうか。

それともあるいは、「科学的」という語に、ヘーゲルの wissenschaftlich の原意を込めて使用してゆくという道もあるかもしれない。ただ、個人的な感想としては、これからの日本の哲学史の試みとしても、wissenschaftlich の訳語として、「哲学的」の語を使ってゆきたいと思う。

 そうして一方では、philosophie、philosophisch の訳語としては、愛智学、智学、愛智学的、智学的などの用語を使うようにしたいと思う。Wissenschaft、 wissenschaftlich の訳語としては、「哲学」、「哲学的」の語を当てたい。

 それほどにヘーゲル以降と以前 では「哲学」の根本性格が変わったのであるから、彼以降のwissenschaftlich の性格を受け継いでいる philosophie のみに、名誉ある「哲学」の訳語を当て、それ以前の、あるいはヘーゲル以降の哲学であっても、本質的に wissenschaftlich な性格を受け継がない単なる philosophie については「智学」とか「愛智学」と呼ぶようにすればいいのではないか。とにかく、ヘーゲル以降において philosophie  は根本的に性格が異なって、真の philosophie として従来のそれとは質を異にしたも のとなっているからである。

いずれにしても、wissenschaftlich を単に機械的に、「学問の、科学の、学術の、学的」などと訳して済ませている教授には、このような問題意識はないに違いない。

マルクスの der wissenschaftliche Sozialismus を 「科学的社会主義」 などと訳してきた共産党なども、もし、「哲学的社会主義」 とでも訳していたならもう少しまともな国際運動になったかもしれない。いやむしろ、「哲学」という高貴な語を、彼らによって貶められることがなかったことこそ、幸いだったとすべきか。

 

 『wissenschaftlich をどのように訳すべきか―――ひとつの試案

http://blog.goo.ne.jp/aowls/d/20121107

 

 

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11月7日(水)のTW :#西尾幹二『中国に対する悠然たる優位』

2012年11月08日 | ツイツター

経団連の米倉弘昌会長や前中国大使の丹羽宇一郎氏らは西尾幹二氏の警告を深刻に受け止めるべきだ。>><<西尾幹二【インターネット実録】2012/11/6 火曜日『中国に対する悠然たる優位』nishiokanji.jp/blog/?p=1232


官邸に入る途中、歩きながら記者の呼びかけに答えるという中途半端ではなく、かっての小泉純一郎元首相のように、野田首相も、日に一度ぐらい記者団の「ぶら下がり」に応じて、テレビなどのマスコミを通じて、国民に呼びかけるべきである。民主国家の指導者として、それくらいの能力を示すべきだ。


どうしたのかなな。RT @mimura1133: まさか・・まさか・・


 
中国に対する悠然たる優位 – 西尾幹二のインターネット日録 https://is.gd/fs6lQy
 
 
 
 
 
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11月6日(火)のつぶやき

2012年11月07日 | ツイツター

政界の人材劣化を「小選挙区制度」の責任に転嫁か?日本社会の劣化の一つの「象徴」としての政治家では。社会のタガがはずれはじめた。>><<ポピュリズムの跋扈を許す「不合理」な小選挙区制度の改変なくして、政界の人材劣化を止めることはできない! bit.ly/SuEDRP


フォローありがとうございます。少しずつでもこの日本国を良い国にして行きたいですね。@kagyu0624


万人同一な一般人として「私」が把握されるのは、教養に、すなわち個人を一般性の形式によって意識する立場としての思考に属することである。人間がこのように一般人とみなされるのは、彼が人間であるからであって、彼がユダヤ教徒、旧教徒、新教徒、ドイツ人、イタリア人等であるからではない。a


――この一般人という意識、これが思想の段階なのであるが、これの重要性についてはどれほど言葉を尽くしても過言ではない。――ただこの意識に欠陥があるとすれば、それが世界市民主義となって、具体的国家生活に対立するように固定される場合のみである。b>>法の哲学§209<<


この「世界市民主義」が具体的国家生活としての日本の国益を阻害するものとして現れた具体的事例としては、鳩山由起夫や菅直人、岡田克也氏ら、民主党の外交政策に見られる。戦後民主主義の現行憲法の許に教育された民主党の政治家たちの「世界市民主義」 が日本の国益を損ねた。


とくに鳩山由紀夫氏の「世界市民主義」は、氏独自の「友愛」として現れ、それはさらに無分別な「東アジア共同体」構想として現象して、日米安保同盟にヒビを入れて、日本の国益を大きく損なうことになった。中国の尖閣諸島侵犯に対する菅直人氏の屈従的姿勢の背後にも、この「世界市民主義」がある。


先ほどNHKのクローズアップ現代という番組を見た。今日は「尼崎連続変死事件」を取り上げていた。しかし、この番組の解説では、まったく見る意味がないと思った。と言うのは、この事件の核心的事実をスルーして報道していることが見ていてよくわかったからである。

1 件 リツイートされました

私たちはすでに、テレビ以外に情報手段としてインターネットをもっており、しかも、根本的に重要な情報はネットから手に入れてわかっている。そうした私たちには分かり切っている基本的情報さえNHKの番組解説では一切触れなかった。これでは本当に受信料を払う価値もない。


NHKは解体して完全に民営化するか、あるいは、完全な国営化にしてしまうか、いずれかの経営形態を取るべきだ。


裁判官も法律もない社会状態においては、刑罰はつねに復習の形式をもつが、復習が主観的意思の行為であり、したがって、内容に適合していない限り、それはどこまでも欠陥を免れない。裁判官ももちろん人格であるが、しかし、裁判官の意思は、法律における普遍的意思であり、事柄の本性に  a


現れていないものは何ものをも刑罰の内に差し加えることはしない。これに反し、被害者にとっては不法は量的および質的限界を持ったものとは見られず、不法一般としてみられ、報復によって被害者は過度の報復をなす事が出来、これがふたたび新たな不法へと導くことになる。未開民族の間では、 b


復讐は根絶されない。たとえば、アラビア人の間では、復讐を抑制できるものは、より強い暴力をもってするか、実行不可能の場合以外にはない。c【法の哲学§102】このことは、つまり裁判官も法もない社会状態である自然的状況は、世界史の舞台においても、国際関係についても言えることである。


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11月5日(月)のつぶやき

2012年11月06日 | ツイツター

「法治国家」としての法体制の不備や、国民の間の、政治家や知識人や大衆の「法の支配」の文化や意識の未成熟を「空気」で説明するだけでは、まだ足りない。 blog.goo.ne.jp/askys/e/e4c83b…


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「立憲君主国家体制」の欠陥

2012年11月05日 | ニュース・現実評論

 


本日の池田信夫氏のブログに「放射能という「国体」」と題する記事がありました。         
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51821652.html


そのなかで池田氏は丸山眞男の考えを引用しながら、かって戦前の国民の間に憲法学者、美濃部達吉の「天皇機関説」批判が「空気のように目に見えない雰囲気とし て一つの思想的な強制力をもつ」ようになって、日本の国政の動向を呪縛したことがあった。そして、相変わらず現在もなお「原発ゼロ」「放射能のリスクは特別だ」と主張する人々が官邸前にデモを繰り出すことによって、日本社会の「空気」を支配し、それによって産業の根本であるエネルギー政策を歪めていると批判されておられる。

たしかに、菅直人前首相が何らの法的な根拠もなく、浜岡原発を停止させたように、「空気」にしたがって政策決定を行うことは、良い場合もあれば悪い場合もあるから、一律的には判断できないかもしれない。ただ、統治の客観性を失うという重大な過失があったのは確かだ。

政治が国民の「空気」によって左右されるというのは、根本的には国家のあり方として決して健全であるとは言えない。その原因を池田氏は文化としての日本の「空気」に求められておられるようだけれども、その観点からだけの批判ではまだ不十分だと思った。

それで、私の感想を池田氏の記事にコメントを送らせていただいたが、本日の記事としてもここに記録しておいた。

>><<

天皇機関説事件
〔2012/11/05 16:38〕

穂積八束や上杉慎吉らが「天皇主権説」の上に立って美濃部達吉の「天皇機関説」を批判したこと自体は学問的論争として認められるべきです。

「天皇機関説」そのものにも国家を「法人」として捉えるなど「天皇主権説」からの批判を許す弱点もあったと思います。

しかし、いずれにしても根本的な過失は、蓑田胸喜ら狂信的右翼の俗物が、権力を笠に着て、美濃部の著書を禁書にし、また、「不敬罪」などの権力乱用で、言論や学問の自由を抑圧したことにあります。

さらに、これらの事件の背景には、当時の明治の日本社会に「正しい立憲君主制」の法意識とその法制が憲法学界のみならず、一般国民の間にも浸透し、実現していなかったことにあると思います。

池田先生は、丸山眞男の思想に影響されてしばしば「空気」の概念で、日本国の文化的「欠陥」を指摘されます。

しかし、前にも指摘したように、「空気」のような曖昧な概念では、日本国の文化的、法制的欠陥を改善してゆくための理論を構成できないでしょう。

日本の文化的な伝統的な「空気」のせいにするのではなく、「立憲君主主義」としての明治憲法(大日本帝国憲法)の法的国家体制の欠陥と不完全を指摘しなければならないと思います。

「空気」によって国政が左右されるのも、根本において、我が国における「法治国家」として法体系の不備と、政治家や知識人、国民大衆の「法の支配」についての文化と意識の未成熟にその理由を求めるべきだと思います。

 

 

 

 
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