深まりゆく秋と野菜の収穫
2012年11月14日(水)晴
さまざまに気候変動が伝えられている。それでも基本的な季節の移ろいは変わらない。十一月も初旬を過ぎると、少しずつ山々の紅葉も彩りを深めつつある。ただこのあたりは落葉樹が少ないせいか見るべき紅葉群はない。
先々月の9月26日に人に遅れて蒔いた種も、今何とか収穫ができるまで成長した。昨年は全く芽を出さなかった菊菜も育っている。
先月に半分ほど収穫したサツマイモは人にあげた。地中で腐らせるかもしれないれないので残りも早く収穫するつもり。
壬生菜も水菜もそれなりに育っている。ブロッコリは苗のまだ小さなころに、葉の虫取りにいらぬ余計なことをして痛めてしまい成長を阻んでしまった。そのために、他の人のと較べてまだ大きさが三分の一くらいにしかならない。植物の成長が繊細なメカニズムのうえに成っていることをあらためて思い知らされる。
野生化した柚の木が今年はたわわに実を付けていた。いくつかを捥ぎ取って帰り、蜂蜜で煮てジャムをつくる。
ダイコンも九条ネギもカブも何とか育っている。しかし、いくら食材に重宝したとしても調理が拙劣だと何にもならない。これらの野菜を収穫して素朴な味噌味の鶏鍋にした。ダイコンもネギも柔らかい。新鮮な水菜は浅塩にして食べる。
さほど遠くないところの畑に何がしかでも野菜の収穫を得られるのは仕合わせなことかもしれない。今年は獣害がほとんどなかった。ただ夏にイチジクはあれほど実を付けていたはずなのに、まともに味わえたのはたったの二個。防護策も講じていない山の中の畑なのでそれなりに覚悟しているけれど。「吾唯足知」。
来年は面倒でも獣対策に柵でも作るべきか。無い時間に本を棄てて、さらに山と町に出ることにしよう。
皆兵と皆農はかねてからの持論。実現は二百年後か。この日本からパチンコが消え、大堰川や桂川のほとりでボート遊びやコーヒーやお茶、読書などを楽しみながら、人々がゆったりと余暇を過ごせるような国でありたい。いつの日にか。
やがて農園活動も日本の文化として定着し広まり根付くことを願っている。農村地帯は過疎化と高齢化で山林も荒廃しつつあるともいわれている。余暇にでもこうした野菜作りに取り組む人が増えれば少しは改善されてゆくかもしれない。