作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

バッハの言語――②カンタータ第25番

2006年12月23日 | 芸術・文化

バッハの言語――②カンタータ第25番

バッハのカンタータ第二十五番は、詩篇第三十八篇第四節のコラールを基礎に歌われている。

私の肉体には健やかなところがありません。あなたの激しい憤りのために。
私の骨にも安らぎはありません。私の過ちのために。
(詩篇第三十八篇第四節)

この詩篇第三十八篇では詩人はおぞましい疫病に冒されている。彼の肉体は爛れて膿み、悪臭を放っている。(第七節)
そのために、かって親しく付き合った友も、愛した人も今では自分から離れて去ってしまった。(第十二節)

それどころか、これを機会に敵は彼の命を付けねらい、彼を破滅に陥れようとうかがっている。(第十三節)

こうして、この詩人は不治の業病を患って、この世で考えられるかぎりの生き地獄の世界をさすらっている。

こうした悲惨な状況にある詩人の境遇は、マタイ受難曲思わせる悲しい旋律で合唱される。(第一曲)

それに応じて、次のレチタティーヴォでは、この全世界は無数の病人を抱え込む病院に過ぎないと説明される。子供も大人も病み穢れ、熱と毒で四肢を冒された病人に満ち満ちた病院の様子が、福音史家を思わせるテノールによって描写される。患者たちは人々からも見捨てられて、この世に身の置き所もなく、当てもなくさすらわなければならない(第二曲)
Die ganze  Welt  ist  nur  ein  Hospital  !

そうした救いのない世界で、彼の肉体の病を癒してくれるどんな薬も見当たらない中で、身と心を癒してくれる唯一の医者であるイエスに対する希望と願いが、苦しむ詩人のアリアのバスによって歌われる。(第三曲)

Du mein  Arzt, Herr  Jesu, nur  Weisst 
die  beste  Seelenkur.

しかし、この悩める詩人は、とうとうイエスの中に遁れ、そして清められ心も新しく強められて癒される。それで全心で命の限り感謝を捧げようと思う。ここでは明るいソプラノによって詩人の喜びが描写される。(第四曲)

続いて、救われた者のいっそう高揚した感謝の気持ちが、ソプラノのアリアで歌われる。(第五曲)

そして終局では、イエスの強い御手によって、まさに死の境にあった患いと悩みから解放された歓びと感謝から、人々は合唱によって、イエスを永遠にほめたたえるように勧める。(第六曲)

わずか10分たらずの小さな曲の中に、キリスト教の本質が美しく、心の中の対話があらわになる形で、その苦悩と感謝が、バッハのその芸術の天才によって、人々の心に刻み込まれる。こうしたカンタータを土台にして、彼の受難曲などが作曲されたのだろう。

聖書の詩篇も、もともと楽曲をともなって歌われたのだろう。中東の世界においてはもっと素朴な旋律だったと思う。バッハの場合は、詩の趣旨が見失われかねないほどに、その旋律はあまりに美しすぎる。ここでも罪の問題が人類の深刻なテーマであることには変わりはない。全世界は一つの病院である(Die ganze  Welt  ist  nur  ein  Hospital )と言う。

 

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