作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

柳条湖事件

2012年09月18日 | 歴史
今 から81年前に、柳条湖事件 があったそうです。ここから満州事変へと発展してゆく端緒になったとされる事件です。中国では本日この日に反日デモが行われ、暴徒化しています。この事件 の歴史的な背景をあらためて概略的にも知っておくために、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から、〔柳条湖事件〕の項を参考にさせ ていただきました。GOOブログでは字数制限の関係で、全文は引用できませんでしたので、項目全文は、次のブログに引用掲載してあります。

夕暮れのフクロウ:柳条湖事件

この事件を契機にして、満州事変から1945年8月15日のポツダム宣言の受諾による日本の敗戦に至るまでの、東アジア大陸において中国と日本の間で戦われた日中戦争と太平洋を挟んで日本と主にアメリカを中心とする連合軍との間に戦われた戦争については、このブログではさしあたっては『東アジア戦争』と呼んで、その歴史研究を進めてゆきたいと思います。従来この戦争の呼称については、「太平洋戦争」とか「大東亜戦争」が一般に用いられていますが、このブログでは、原則としては『東アジア戦争』という用語を用いることにします。

柳条湖事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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事件直後の柳条湖の爆破現場

柳条湖事件(りゅうじょうこじけん、英語: Liutiaohu Incident)は、関東軍謀略によって起こった、満州事変の発端となる鉄道爆破事件[1]1931年昭和6年、民国20年)9月18日午後10時20分ころ、満州(現在の中国東北部)の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件である[2]。事件名は発生地の「柳条湖」に由来するが、長いあいだ「柳条溝事件」(りゅうじょうこうじけん、Liutiaogou Incident)とも称されてきた(詳細は「事件名称について」節を参照)。

なお、発生段階の事件名称としては「柳条湖(溝)事件」のほか「奉天事件」「9・18事件」があるが、その後の展開も含めた戦争全体の名称としては「満州事変」が広く用いられている[3][注釈 1]

目次

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※出典

ウィキペディア:フリー百科事典

柳条湖事件

http://goo.gl/TAFsf

 

 


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