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日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

2025(令和7)年04月24日(木)晴れ。#「令和日本国憲法草案」について2

2025年04月25日 | 国家論

 

2025(令和7)年04月24日(木)晴れ。#「令和日本国憲法草案」について2

 

昨日ブログに公開した「令和日本国憲法草案」は基本的には、明治の大日本帝国憲法下の日本を「テーゼ」、そして、戦後の現行日本国憲法下の日本を「アンチテーゼ」として捉え、いわば、正(テーゼ)ー→ 反(アンチテーゼ)ー→ 合(ジンテーゼ)という認識論、発展論を踏まえて合(ジンテーゼ)として「令和日本国憲法草案」は構想されたものです。

ですから、戦後80年と一世紀にも及ばんとする現行日本国憲法下の日本で生まれ、そのもとで教育され生きてきた大多数の日本国民には、一見したところ懐古趣味がすぎると思われるかもしれません。

とはいえ、敗戦後のGHQ の統治下に制定された現行日本国憲法には、日本国の国家概念が、理念と言ってもいいかもしれませんが、十分に明確にはなっていないと思います。それが、政治家たちや日本国民自身のアデンティティー形成や日本国民の自己確立に深刻な影響をおよぼし、愛国心の歪みや無国籍人的性格の日本人の蔓延やスパイへの売国的もしくは融和的な態度として現象していると思います。また、それらが保守的な多くの一般日本国民の危機意識の根源にあるのではないでしょうか。

そうした現象について、枝葉末節のモグラ叩き的な対応ではなくて、根本的な原因である現行憲法の欠陥への批判と、その改正にまで遡って根本からの改革は可能だろうか、私なりにその方策を模索したものでもあります。もちろん、その根本に共通した問題意識がない場合は、おそらく議論にはならないだろうと思います。

この「令和日本国憲法草案」はまだきわめて粗い試案に過ぎませんが、この改正草案の意図するその根本については洞察していただきたいと思います。

こうした憲法改正論議を通してさらに、自分とは何であるのか、日本人とは何であるのか、歴史と伝統の上に立つ日本国とはどのようなものであるのかなど、みずからの自己意識と国家意識をさらに深めていければいいと思います。

 

 

 

 

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