「令和日本国憲法草案」について
先に私は日本の憲法改正論議に一石を投じるために、「令和日本国憲法草案」を提示しました。あまり多くの人の注目も引かなかったようですが、そこで私が提起した問題は、現代の日本のおける憲法論議に、英国のような不文憲法の可能性はないか、もしないとすれば、次善の方策としてどのような憲法が可能か、また不文憲法に代わる成文憲法の可能性としては、どういうものがあり得るかということです。
現在の日本における憲法論議も、護憲か「現行憲法の改正」かといった二項対立的な議論に集約されてしまって、肝心の憲法が表現すべき国家理念とは何か、といった議論はきわめて不足しているし、その内容においてもきわめて貧弱だと思います。
近代の国家においては、憲法とはただ制度的な規範のみではなく、国家の理念を、その自由や人権、伝統、文化、教育、さらに皇室における共同体的統合といった価値理念を形象化し、定式化したものであるべきです。しかし、現行の日本国憲法は、敗戦後のGHQの統治下において制定されたということもあって、個人の尊厳、民主主義、平和主義といった抽象的な、つまり非歴史的、非伝統的な理念については明確ですが、民族の歴史や固有の伝統文化、慣習などといった個別具体的な歴史的な伝統的な理念的要素は希薄です。
そしてまた、一つの憲法の中にさまざまな制度的な規範規定が盛り込まれているために、憲法の理念についての輪郭も明確でなくなっています。また、憲法の改正が柔軟にできないために、時代の変遷や変化に応じた国会議員の定数削減といった具体的な制度改正も困難になっています。
英国の不文憲法は、理念と制度が慣習的・経験的に融合している典型としてしばしば言及されます。英国は王権と議会の長い対立と均衡を経て、慣習法・判例法・政治倫理が憲法秩序を構成する国家を形成してきました。これに対し、日本は明治憲法成立以降、法典主義と成文憲法を基軸とした国家発展を遂げており、法秩序の安定を慣習や判例に委ねる基盤をもちません。
政治エリートの成熟とか、市民社会の自律、王権と議会の均衡といった英国の歴史的条件は、日本とはまったく異なっています。したがって、日本が英国のような不文憲法国家に転換しうる可能性は極めて低いです。しかし、英国の憲法精神──その柔軟性・伝統尊重・理念と制度の調和など──は今日の日本にとっても重要な示唆を与えるものです。
先に掲げた「令和日本国憲法案」は、成文憲法を基本としながら、英国型の柔軟性・理念尊重・伝統との調和という精神を、日本の成文憲法の枠組みの中で再構成する可能性を追求しようとするものです。そして、憲法においては国家の理念を簡素かつ明確に記述しつつ、制度の具体化についてはその下位法である「憲法施行(執行)法」に委ねるという構造を採用しています。それによって、いわば「成文憲法でありながら不文憲法的精神を宿す」という独自の憲法体制を新しい日本国憲法において追求しようとするものです。
【令和日本国憲法草案2】 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/76WnJq
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