作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

松尾神社の観月祭

2009年10月03日 | 日記・紀行
松尾神社の観月祭

今宵は旧暦による中秋の名月が浮かぶ。午前中は雲の一つ無い青空が広がっていたので、きっときれいな月を眺められるだろうと思っていた。先日に散歩がてらに買い物に出かけた折りに松尾大社に立ち寄ったとき、たまたま観月祭の開かれることを知った。それで、もし忘れないで時間があれば訪ねてみようと思っていた。四時半頃になって出かける。

神社の境内に着いたとき、入場待ちの行列がすでにできてはいた。夕闇にまだ少し間がある。それほど大勢の人待ちでもない。だから、五時になって入場が始まっても、酒まんと月見酒の接待券を手に入れるのにそんなに時間もかからなかった。

拝観料千円を払って、神社報や観月祭の式次第や接待券を引き換えに受け取った。舞楽殿の前にしつらえられた会場に入る。赤い毛氈の敷かれた座席には、すでに多くの人が座っていたが、まだ良い席も多くの残されていた。拝殿から少し遠いけれどもほとんど正面から眺められる席に着く。

間もなくして、琴やフルートの今宵の演奏者や神社の関係者が登場して、舞楽殿の上に準備を始めた。琴の演奏者の女性の着ている和服がこうした催しにふさわしい落ち着いた気品を周囲に醸し出している。フルートの奏者は松村容子さん、琴は中川佳代子さん。


時間の経過とともに周囲の夕闇が濃くなって行くのが見える。琴の演奏奉納が始まってまもなくふと空を見あげると、この神社の裏庭にある松尾山の頂を、シルエットになった一羽の鳥が越えてゆこうとしているのが見えた。琴の音の響きがいっそう、一つの宇宙空間に私たちが存在していることを実感させる。

拝殿の左にあって、境内をライトアップしている街灯の脇の木立の隙間から、白い小さな中秋の月が現れ始めた。デジカメを取り出してその様子を動画に撮る。

俳句の同好会らしい人たちが隣の席にいて、しかもその中に先生らしきとおぼしき女性が、連れ合いの人たちに何かと俳句のアドバイスをしていて、その声が邪魔してなかなか音楽に集中できない。この夜は六段やモミジなどが演奏された。月の夜には琴の音が似合う。

続いて尺八の吹奏奉納があった。中年男性の十名あまりの集団演奏だったがお世辞にも上手な演奏だとは言えない。それらが終わると、神主による観月祭の祭典が始まり、雅楽と舞が奉納された。ススキや団子を供えて月を眺める行事の源流がここにあるのだろう。雅楽とお巫女さんの舞がお月見にふさわしい。

続いて、和太鼓の演奏があった。しかし、この頃には空は厚い雲に覆われているらしく、中秋の月はすっかり姿を隠してしまった。いくら待っても出てこない。天照大御神とちがって、威勢のいい女性たちの太鼓の音に驚いて姿を隠してしまったらしい。デジカメを空に向けて月を探すがもう見あたらない。

ちょうど私の真向かいに座っていた二人連れの女性は親しい友人どうしらしく、三十代半ばくらいだった。二人とも拝殿の舞台とは背を向けて座っていたので、身体をよじるようにして携帯のカメラで熱心に写真や動画を撮っていた。二人はそれぞれにちがった面立ちだが、どちらも魅力的な大人の女性たちだった。彼女たちの性格もよく想像できた。

それぞれの人生の時間の中でこうして擦れ違うのも、縁というか偶然というか。出会いと別れは宿命であるけれど、来年の観月祭にも彼女たちが連れ立って来ているかどうか。果たして人生に反復はありえるのかどうか。下の動画の中に、そのうちの一人が携帯のカメラで動画を撮っている様子が写っている。

式次第通りに八時に入って俳句大会になった。しかし、俳句にはさして関心もなかったので、そそくさと家路に向かう。

20091003松尾大社観月祭

和太鼓

雅楽と舞










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