作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第三節 [個人の自由意志と法の普遍性]

2020年03月30日 | 哲学一般
 
§3
 
Das Recht besteht darin, dass jeder Einzelne von dem Anderen als ein freies Wesen respektiert und behandelt werde, denn nur insofern hat der freie Wille sich selbst im Andern zum Gegen­stand und Inhalt.(※1)
 
三 [個人の自由意志と法の普遍性]
 
法は、各個人が他人から自由な存在として、互いに尊重され、かつ取り扱われるということのうちに成立している。というのも、ただそのように取り扱われる限りにおいてのみ、自由な意志は、他人のうちにおいても自己自身を対象として、また内容としてもつからである。
 
Erläuterung.
 
Dem Rechte liegt die Freiheit des Einzelnen zu Grunde und das Recht besteht darin, dass ich den Andern als ein freies Wesen behandele. Die Vernunft fordert ein rechtliches Verhalten. Seinem Wesen nach ist Jeder ein Freier. Durch ihre besonderen Zustände und Eigenheiten sind die Menschen unter­schieden, aber dieser Unterschied geht den abstrakten Willen als solchen nichts an. Hierin sind sie dasselbe und indem man den Andern respektiert, respektiert man sich selbst. Es folgt daraus, dass durch die Verletzung des Rechts eines Einzelnen Alle in ihrem Recht verletzt werden.(※2)
 
説明.
 
法においては個人の自由が基礎にあり、かつ、私が他人を自由な存在として扱うことのうちに法は成立している。理性は合法的な行為を要求する。各人はその本質において自由人である。人々は特殊な境遇やその固有性によって区別されるが、この区別は抽象的な意志そのものからは出て来ない。自由な意志という点においては人々は同じものであり、そして人が他者を尊重する限りにおいて、人は自己自身を尊重することになる。そこから、一個人の権利(法)を侵害することは、すべての個人の 権利が侵害される結果になる。

Es ist dies eine ganz andere Teilnahme, als wenn man nur an dem Schaden eines Andern Teil nimmt. Denn 1) der Schaden oder Verlust, den Jemand an Glücksgütern erleidet, deren guter Zustand zwar wünschenswert, aber nicht an sich notwendig ist, geht mich zwar an, allein ich kann nicht sagen, dass es schlechthin nicht hätte ge­schehen sollen; 2) gehören solche Zustände zur Besonderheit des Menschen. Bei aller Teilnahme trennen wir Unglücksfälle von uns selbst ab und sehen sie als etwas Fremdes an.(※3)

それは、ただ単に他人の損害 に人が関わる場合とは、まったく異なった関わりである。というのは、1)或る人が財産の損害や損失に苦しんでいるとしても、もちろん財産は良い状態にあることが望ましいのだが、しかし、元々それが当然であるわけではなく、まあ、それが私に関わることであるとしても、しかしながら私はそれが絶対に起きるべきことではなかったと言うことはできない。;2)このような状態は人間の特殊性に関わることである。私たちは、そのすべての関わりにおいて、その不運から私たち自身を切り離して、何か余所ごとのように眺める。
 
Hingegen bei der Kränkung des Rechts eines Anderen fühlt Jeder sich un­mittelbar getroffen, weil das Recht etwas Allgemeines ist. Also eine Rechtsverletzung können wir nicht als etwas Fremdes be­trachten. Wir fühlen uns durch sie, weil das Recht notwendig ist, härter gekränkt.(※4)(※5)
 
 
これに対して、他人の権利(法)が毀損される場合には、誰しもが直接に傷つけられたように感じる。というのも、法(権利)は普遍的なものであるからである。したがって、私たちは不法を他人事のように見なすことはできない。私たちは法の侵害されることによって、法が私たちにとって必須不可欠なものであるゆえに、ひどく傷つけられたように感ずる。
 
 

(※1)
黄檗宗のあるお坊さんは「己」と「他の己」という言い方をしている。自己も他者もいずれも「自己意識」すなわち「己」であることで共通している。

(※2)
「人間は自由な存在である。」これはヘーゲルの人間観の根本規定である。(§22参考)この人間観からすれば、たとえば共産主義者マルクスやレーニンたちの階級闘争史観、プロレタリア独裁などの「自由抑圧」の思想とは相容れないことは明らかである。事実これらの思想は歴史的にも破綻した。

(※3)
ここは民事法の領域についての説明といえる。私たちの財産が他者の過失によって損失を被った時には、その過失は賠償によって償うことはできる。それゆえに他人が被った財産の損失についても、何か他人事のように見なすこともできる。

(※4)
ここは刑事法の領域についての説明といえる。本来の法の領域である。盗み、放火、殺人、内乱や外患誘致などが刑法において犯罪として規定されており、これらの犯罪は、自由な意志をもった個人が犯すのであり、この自由な意志は万人が共有する「普遍的な」ものである。法は、人間に普遍的なこの「意志の自由」のうちに存在の根拠をもつゆえに、法(権利)の侵害は、全ての個人のうちにある法を侵害することになる。

(※5)
「私」「自我」「意識」は個別的なものであるとともに、また普遍的なものである。ヘーゲルのこれらの論考を通じて、「普遍」「特殊」「個別」等の概念がどのように用いられているかを確認してゆく必要がある。

 


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