作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

久しぶりの雨、夏の夕立

2007年08月22日 | 日記・紀行

久しぶりの雨、夏の夕立

稲妻が走り、雷鳴が響き渡り、真上の空には厚い黒い雲が立ち込めていたが、遠く南の方の空には青空の間に夏の陽を受けた入道雲が高く白く輝いている。そうして陽が落ちるころになってようやく、久しぶりに雨が降った。今晩は多少なりとも夜も過ごしやすくなるのだろう。

それにしても、近頃はほとんど夕立らしい夕立が降らなくなったように思う。夏の夕立で今でも印象深く記憶に残っているのは、学生時代に同じクラブの友人たちといっしょにアルバイトをしていた頃のことである。まだ学生でアルバイトの私たちは麻袋に残った埃を振り落とすだけの軽作業に従事していたが、当時にははるか年配に見えた男の社員たちは、鉤棒を持って重い米袋から米をコンベアに流しだす作業に従事していた。

夏休みのアルバイトだったから、我々も男たちも手ぬぐいで汗をぬぐいつつ作業をしていた。そうした夏の日には、倉庫の入り口のずっと向こうに遠く青田が広がり、手前の敷地内にあるざらざらした砂の地面が強い夕日を受けて、赤く照り返っているのが見えた。夕方の休憩時間が来ると、私たちは風の入る倉庫の入り口近くに行き、そこに筵を敷き、横になって外を眺めていた。

倉庫の敷地と外の田んぼとの境界には、女子事務員らが生垣を作って、そこにダリアなどを植えていた。今を盛りに咲いているダリアの花々をきれいだなと思いながら、私は身を横たえ頬杖を突きながら遠くをぼんやり眺めたりしていた。

そんな時、空に突然稲妻が走り、雷鳴がとどろいたかと思うと、激しく雨が降り出した。夏の夕立である。しかし、その雨は、ものの半時間もしないうちに上がることも、そして、その後には田んぼの向こうから涼しい風が吹いてくることも分かっていた。そうして私たちは夏を実感したものである。

今になると、そんな夏らしい夕立を私が忘れてから、いったいどれくらいの年月が経つだろう。

今日は久しぶりに雷鳴の後に雨が降って、たまたま昔の夕立を思い出したが、今日の雨は、夕陽もすっかり落ちてしまって暗くなってからだから、とても夕立ともいえない。あの夏らしい夕立は本当にどこへ行ったのだろう。私たちがクーラーなどで室内で夏を涼しく過ごせるようになって以来、姿を消し始めたようにも思う。そしてそれとともに、あの暑い夏の日に夕立に打たれた時の生の充実感も一緒に失ってしまったような気もする。

夜遅くに入ってから、玄関脇の植え込みの中から、こおろぎの鳴き声が今年になってはじめて響いてくるのが聴こえる。

     写真ダリア無断借用元(残念ながらきれいなダリアの写真がない)

コメント
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