都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

東武鉄道本社 旧館

2021-12-21 | 墨田区  
東武鉄道本社 旧館(東武館)
所在地:墨田区 押上1-1
構造・階数:RC・4
建設年:1938(昭和13)
解体年:2010(平成22)
Photo 2008.7.19

 タイル張りのモダニズムオフィスビルだったが、別件で通り掛かった際だったため全景は撮らずじまいになった。
 下記リンク先の写真や、2009年時点のGoogle Street Viewを見ると、西南側の角はカーブした壁面になっていて、その東側に新館?があったようだ。戦前期の建物だが、装飾が全くなく、窓は単純な長方形、壁面の出入りもないなど、当時としてはかなりモダンなデザインだったのではないかと思う。しかしそれもあって、まさか戦前の建物だとは思わず、まともな写真を撮らなかったのだった。

 この写真を撮った2008年夏には、既に東京スカイツリーの建設が本社ビルの東側で始まっていた。そしてこの後、押上2丁目に新しい本社ビルが完成したため、この建物は解体され、この場所も含めて東京スカイツリータウンが建設された。

東武鉄道本社旧館/押上1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 墨田区  #オフィス  #モダニズム  #近代建築 
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文京区立第六中学校

2021-11-24 | 文京区  
文京区立第六中学校
所在地:文京区 向丘1-2
構造・階数:RC・3
建設年:1933(昭和8)
解体年:2013(平成25)
備考 :「追分尋常小学校」及び「本郷高等小学校」として完成
Photo 2008.3.28

 建物の写真は中山道の側から撮ったこの一枚だけ。本郷通りの側からなら通り沿いの校舎がしっかり撮れたはずだが、モダニズムの装飾の無い建物にあまり食指が動かなかったのかもしれない。機会があったらまたそのうちに、などと考えていたらいつのまにか時間が経ち建て替えられてしまった。

 この建物の経緯はなんだかややこしい。1933年に「追分尋常小学校」と「本郷高等小学校」の二つを擁する校舎として造られたそうだが、現在は一つの学校で、今に至る経緯がいまいちわかりにくい。そこで、現地にあるパネルや現在の区立第六中学校のサイトなどの情報を整理すると、以下のようになった。

本郷高等小学校〜文京区立第六中学校
1908(明治41) 本郷尋常小学校(現文京総合体育館の場所(本郷7-1))の一部を仮校舎として開校。
1910(明治43) 現在地(追分尋常小学校の隣接地)に木造3階建て校舎を新築して湯島から移転。
1933(昭和8) 「追分尋常小学校」と「本郷高等小学校」2校併置の鉄筋校舎落成。
1941(昭和16) 「東京市本郷第一国民学校(高等)」となる。
1947(昭和22) 3月、学制改革により廃校。4月、誠之小学校内に「文京区立第六中学校」が開設される。
1948(昭和23) 生徒増のため指ヶ谷分校を設置
1952(昭和27) 9月、本校が東京学芸大学付属追分小学校の一部に移転、誠之分校、指ヶ谷分校の3校体制となる
1955(昭和30) 汐見分校設置、4校体制となる
1960(昭和35) 元町分校設置(汐見分校解消)
1961(昭和36) 追分校舎全面使用となり、分校が全て解消する。

 区立第六中学校は元を辿ると本郷高等小学校に繋がるようだが、高等小学校が廃校となった1947年から、第六中学校が利用し始める1952年までの5年間は、その流れの校舎としては使われていなかったようだ。
 一方の追分尋常小学校はどうだったのかというと。

追分尋常小学校
1904(明治37) 現在地で開校
1905(明治38) 高等科を設置
1908(明治41) 学令改制により高等科を分離
1933(昭和8) 「追分尋常小学校」と「本郷高等小学校」2校併置の鉄筋校舎落成。
1941(昭和16) 国民学校令により追分国民学校となる。
1944(昭和19) 戦時下の男性教員の不足を補うために東京第二師範女子部が創設され、校舎が女子部の校舎として提供された。
1945(昭和20) 4月、追分国民学校が国に移管され、東京第二師範女子部附属国民学校となり、尋常科と高等科が併設された。
1947(昭和22) 尋常科が東京第二師範附属小学校となる。高等科は附属追分中学校となる。
1951(昭和26) 東京学芸大学附属追分小学校と、同中学校に改名。
1954(昭和29) 東京学芸大学附属追分中学校が附属竹早中学校に合併移転。
1961(昭和36) 東京学芸大学附属追分小学校が附属豊島校と共に附属小金井小学校に合併移設され閉校。文京区立第六中学校が当地の校舎の全面使用を開始。

 こちらは1904(明治37)年から1961(昭和36)年まで、約半世紀ここにあったが現在は無い。
 内務省作成の1906〜09(明治39〜42)の地図には学校を示す「文」マークが描かれている。この時点では本郷高等小学校は移転して来ていないので、これは追分尋常小学校を示しているようだ。
 また、1916〜21(大正5〜10)の地図にはコの字型の校舎が二つ描かれている。この頃は追分尋常小学校と本郷高等小学校がそれぞれ木造校舎を用いていたのだろう。そして震災後に両方を合わせたRC造の校舎が造られた。更に戦後、この併存状況が徐々に整理されて最終的に区立第六中学校のみになった、ということのようだ。

学校の沿革 - 文京区立第六中学校
文京区立第六中学校/向丘1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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警視庁 中央警察署

2020-12-11 | 中央区  
警視庁 中央警察署
所在地:中央区 日本橋3-15
構造・階数:RC/5+R
建設年:1960(昭和35)?
解体年:2000〜09(平成12〜21)
Photo 1996.10.6

 1960.4、日本橋警察署と京橋警察署が統合され、中央警察署が発足。1955〜60に発行された地図にはこの場所に警察署が記されていないので、統合の際にここに移ってきたようだ。その際、既存建物に移ったのか、新築したのかは未把握。新築なら1960年ということになるが、現段階では調査不足でわからない。

 1999.11に都立紅葉川高校があった場所(現在地)に移転。この後、この建物は解体されたようだ。2009年のGoogleストリートビューで駐車場などになっているので、建物は2000〜09に解体された模様。

 塔屋の部分に横縞が入っているが、それ以外にはほとんど装飾なし。モダニズムの官庁系建築ということになる。

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#失われた建物 中央区  #官公庁  #モダニズム 
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ニューグリーンビル

2020-03-16 | 中野区  
ニューグリーンビル
所在地:中野区 中野2-23
構造・階数:RC・6F
建築年:1963(昭和38)
解体年:2019(令和元)
Photo 2018.6.7

 JR中野駅南口を出て、線路沿いに東へ行った場所にあったオフィスビル。

 中野駅南口周辺では超高層複合ビルを建てる市街地再開発事業が始められていて、東京都住宅供給公社住宅が解体されたが、隣接地にあったこのビルも昨年7〜8月頃に解体された。ただ、このビルの敷地は南口周辺の再開発とは別なようで、再開発地区の東側に新しく整備される区画道路の東側にあたる。

 コーナーが丸められていて、窓の上側には庇状の囲みがある。開口部をコンクリートで囲むのは、耐震性を持たせるためだというが、上側だけでもある程度効果はあるのだろうか? 一方、北側の小窓は規則性があるような無いような並び方。

 写真の部分は北側の道路に面した部分で、実際は南北にやや長いコの字型をしていたようだ。Google Mapを見るまで気がつかなかったので写真は撮っていなかった。

 北東角は階段室やエレベーター室だったらしい。ただ、その塔屋北側に張り付けられたこのカーブした壁はなんだったのだろう? ニューグリーンビルだから緑色だったのかもしれないが、何か理由があっての形なのか、単なるデザインだったのかは知らず。

 カーブした緑色の壁の左下には袖看板の跡があり、上の方にはビル名の文字が付いていたのではないかと思われる跡が見える。

 衝立のような壁は日射しによって陰ができ、建物に独特の表情を与えていた。

 玄関わきのモザイクタイル壁画。こういうものは最近は造られない。昭和30〜40年代の建物らしい雰囲気が出ていた。

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#失われた建物 中野区  #オフィス  #住宅系  #モダニズム 
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代々木会館

2020-03-06 | 渋谷区  
代々木会館
所在地:渋谷区 代々木1-35
構造 :RC+S(6FまではRC造、7・8FはS造)
階数 :6+R2+B
建築年:1964(昭和39)
解体年:2019(平成31)
Photo 2017.8.27

 代々木駅西口のすぐそばで、昨年まで半ば廃墟状態で残っていたビル。70年代の某ドラマのロケ地としても知られた建物だった。

 築50年ほどだったがメンテナンスされていなかったようで老朽化が激しく、以前から取り壊しの噂があった。権利関係が複雑だったのか長いあいだ放置状態になっていたが、昨年、とうとう解体された。

 南側角。パチンコのネオンサインがあり、矢印がB1の文字を指している。昔から知っている建物ではないので、このパチンコ屋がいつ頃まであったのかは知らない。右手に地下への階段があったのかもしれないが、撮影時、既に建物の大半が封鎖されていたのでそちらへは踏み込まず。

 2階は飲食街だったが、この時点でほとんどが立ち退いていたようだった。

 ちょっと階段を覗いてみた。玄関扉が開いているので立入禁止ではないのだが、独特な雰囲気に気圧されて、上階へ上ることもなくそのまま帰って来てしまった。解体直前まで中国関係の書籍を扱う東豊書店という店が営業していたそうなので、実はこの時も、上へ上がればお店が開いていたのかもしれない。

 撮影時、近辺は外国人旅行者が非常に多かった。明治神宮や代々木公園、新宿が近いからだったのだろうか。

 半ば廃墟化した後に建て替えに至った詳しい事情を知らないのでなんとも言えないが、恐らく部屋が個別に分譲されていて、所有者が分からなかったり、同意を取り付けるのが大変だったのではないかと思う。都心の雑居ビルの中にはこれに近いものも実は多く存在しているのかもしれない。半ば廃墟のような状態で推移する建物が今後増加する可能性もあるのではないだろうか。

 廃墟ファンとかは喜ぶかもしれないが、一般の人々にとっては好ましくない展開。例外的に存在し、稀少だから珍しがられもするし興味深いが、これが多発すると治安上もまずい。それを防ぐにはやはり法制度を見直して建て替えのハードルを下げることが必要なのだろうか。専門家ではないのでそのあたりはよく分からないが気になるところだ。

 ただ一方で、なんでもかんでもどんどん壊して建て替えてきれいにしろというのはちょっと乱暴だろう。スクラップ&ビルドではなく長期的に使っていくことが求められる時代なので、できれば修繕して使い続けて欲しい。その中で、そうでないものが稀にある、という程度が自然なのかもしれない。

 ところで、内部についてはこの時点で既に大半が立入不可だったので、私は全く知りません。上記ドラマのロケ地がらみでの記載も多いので、御関心のある方は下記リンクや、建物名で検索して頂ければ。

Wikipedia > 代々木会館
代々木会館巡礼/「傷だらけの天使」を探して
中国研究者に愛された代々木の老舗書店が閉店 90歳店主が残したもの

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #商業系  #モダニズム 
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エンパイヤビル本館

2020-02-04 | 中央区  
エンパイヤビル本館
所在地:中央区八丁堀2−23
構造 :SRC
階数 :11F
高さ :最高高さ47.8m、軒高36.05m
建設年:1972(昭和47)
解体年:2015(平成27)
Photo 2015.3.5

 日比谷線八丁堀駅の北側出口前の八丁堀交差点に面して建っていたオフィスビル。1972年竣工で、できてから40年程度しか経っていなかったが、5年前に築43年で解体された。

 最近、このくらいの規模と築年数のビルの建て替えが結構ある気がする。駐車場棟と低層の旧館と併せて大きなビルにするのかと思っていたが、2017年に竣工した新しいエンパイヤビルは、地上10階、地下1階で、以前より地上の階数は減ってしまった。耐震性は向上して設備とかも最新のものになったのだろうが、巨大化したり超高層化しなかったのはちょっと意外。それでも建て替える方がメリットがあったのだろうが、つくづく東京はスクラップ&ビルドを続ける都市なのだなとやや呆れてしまう。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #オフィス  #モダニズム 
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東京都庁第一本庁舎

2019-11-18 | 千代田区 
東京都庁第一本庁舎
所在地:千代田区丸の内3-5
建設年:1957(昭和32)
構造 :SRC
階数 :8F・B2F・R3F
設計 :丹下健三
解体年:1991(平成3)
Photo 1991.3.31

 日本を代表する建築家、丹下健三(1913−2005)により設計されたモダニズムオフィス。建物の足下はピロティにされ、全体が宙に浮き、足下にユニバーサルな屋外公共空間が作られていた。庇が水平に連続して延び、和風モダニズムのようになっている一方で、黒いルーバーが全面を覆い、鉄骨建築のような表情を見せている。またこのルーバーが全体を横長の直方体のように見せ、それが軽々と宙に浮いているように見せる効果を出している。更に、垂直に細かく規則正しく割り付けられたルーバーが合理的かつ機能的なオフィスビルであることを示している。実際、中央のコア部分に、EV、階段その他の設備群を集め、広々とした無柱のオフィス空間を創り出すことに成功している。

2007.2.25

Wikipedia > 東京都庁舎

ぼくの近代建築コレクション都庁第一本庁舎/丸の内3丁目

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #オフィス  #官公庁  #丹下健三  #モダニズム 

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東京中央郵便局

2019-11-16 | 千代田区 


 Photo 1997.3.27

東京中央郵便局 所在地:千代田区丸の内 2-7
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:SRC・5F
設計 :吉田鉄郎(逓信省営繕課)
備考 :DOCOMOMOの日本の近代建築20選。2005再開発の意向が表面化
解体年:2009(平成21)

 東京駅周辺に残る近代建築はこの東京中央郵便局と東京駅だけになってしまった。端正なファサードを持つ美しいモダニズム建築が、日本の中央駅の駅前にあることは、非常に意義深いことだと思う。


 Photo 2003.3.26

 丸ビルの展望室から見下ろすと光庭のある建物だということがよく判る。
 中央奥に見えるのは東京ビル。撮影時(2003年3月下旬)には存在していたが、その後、あっという間に取り壊され、2年半程度の短期間で再開発され、2005年11月に新しいビルに生まれ変わった。取り壊しから超高層ビル完成まで2年半というのは、にわかには信じられない速さだ。


 Photo 2007.3.21


2009.03追記
 民営化された日本郵政により再開発事業が開始された。2009年2月頃から解体工事が本格化。当初案では北側正面部分のみの部分的な保存復元とされていた。この保存は、いちど解体してから外壁の一部をパネル的に貼り付けて保存したこととするもの。銀行倶楽部や大手町野村ビルのような、いわゆる「腰巻き保存」といわれる類のものである模様。
 しかし保存要望の高まりなどを受け、妥協案を探る動きが再度始まっているという。東側部分も保存することになり、表面だけでなく少し内側の方まで躯体ごと残されて、登録文化財となる方向だとも言われるが、詳細はまだ確定していない模様。西面も保存されるのだろうか。空中権の移転による全面的な保存が望ましいのは確かだが、どうしてもそれをやりたくないということなら、なんとか少しでも多く残すことができる方策を考えて貰いたいものだ。

 ところで、コンクリートモダニズム建築など文化財ではなく、全く保存には値しないなどと、時代錯誤的で相当見当違いなことを雑誌上で堂々とお書きになる「文化人」と呼ばれる方もおられるようだ。誰とは言わないが、全く驚き呆れ、その知識・見識・理解力のなさと精神的貧しさをひどく哀れに思う。文化を毀損する害悪のような方が表舞台から早く消えて下さることを願わずにいられない。


2019.09追記
 その後、結局、外壁をパネル状に張り付けるやり方ではなく、前面側の一部を残して後方に超高層ビルを建設する方式で再開発が行われた。東京駅に近い側は道路整備の関係でそのままだとまずかったらしく、角度をわずかに変えるべく曳き家をしたという。また、低層部の屋上は緑化され公開されている。低層部の中央にはアトリウムも設けられ、そこそこ魅力的な商業施設になっている。

JPタワー
所在地:千代田区丸の内 2-7
竣工年:2012(平成24)
構造 :S・一部SRC
階数 :38F・B4F・R3F
高さ :200m
Photo 2013.4.25

 当初の建物の全体が保存されることはなかったが、現在の日本・東京の状況と、日本の法制度、保存に掛かる金銭的な状況を考えると、このあたりで妥協せざるを得ないのかもしれない。その中で、結果的に工夫をして、そこそこ受け容れられる施設ができた。これはひとえに設計側、計画の現場担当者の努力の結果であって、決して経営者側や上層部の手柄ではない。その後も結局諸問題が生じているのを見るにつけ、結局、経営者とその周辺の体質に問題があることは明らかだ。この建物の一部が残っても保存などに関する状況はほとんど変わっていない。

Wikipedia > 東京中央郵便局

東京中央郵便局/丸の内2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#官公庁  #高層ビル  #モダニズム  #登録有形文化財 
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日本債券信用銀行

2019-10-22 | 千代田区 
日本債券信用銀行
所在地:千代田区九段北 1-13
Photo 1988.10.30

 九段下の交差点に面して建っていた戦後のオフィスビル。ロビー階はガラス張りの高い吹き抜けになっていて、上層階は水平庇が巡る横連窓。戦後の日本で多く造られたモダニズムオフィスビルの典型のような建物。日本債券信用銀行が1998年に破綻し、金融再生法により一時国有化されて整理されたあおりなのか、あっさり取り壊されてしまった。また、日債銀自体はあおぞら銀行となった。


 Photo 2019.7.16

 跡地には最近流行のツルッとした表面の高層ビル(北の丸スクエア)が2006年に完成した。

Wikipedia > 日本債券信用銀行北の丸スクエア

Tokyo Lost Architecture
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正則学園

2019-10-20 | 千代田区 
正則学園
所在地:千代田区神田錦町 3-1
構造・階数:RC・4F(屋上に増築)
建設年:1933(昭和8)
備考 :2003〜改築、2005.4・新校舎完成
Photo 1998.10.31

 正直言って、それほど美しい近代建築というわけではない。失礼な言い方であることを承知の上で言うなら、増改築を経て、薄汚い建物になっていたというのがおおかたの感想ではないだろうか。一応、日本近代建築総覧にも載っているので、戦前のモダニズム建築なのかもしれない。もしくは、どこかのディテールに美しいステンドグラスなどがあったのかもしれない(このモダニズムな外観から考えると、その可能性は低いが・・。)。モダニズム建築はあまりにも見慣れてしまったが故に、残念ながらあまり大切にされていないような気がする。
 2005年に通りかかったら、新しいきれいな校舎に建て替わっていました。(正確には改築らしい。)

 ちなみに奥に見えるのは錦城学園高等学校で、これも1935(昭和10)竣工だそうだ。

Wikipedia > 正則学園高等学校
ぼくの近代建築コレクション正則学園、錦城学園

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #古い建物 千代田区  #学校  #モダニズム 
2007.2.25
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