荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

両国周辺/芥川龍之介の育った街

2018年03月18日 | 散文
回向院の前を京葉道路が走っています。
別名国道14号線です。
その道端にこんな説明板があります。

龍之介がよく遊んだ回向院から300mの位置です。

すぐ脇は飲食街です。


読みます。
「芥川龍之介は、明治25年(1892)3月1日、東京都京橋区入船町8丁目1番(中央区明石町)牛乳搾取販売業耕牧舎を営む(筆者余談:当時東京の郊外にはそういった乳牛を飼う家が多くあったようで、『野菊の墓』の作者、伊藤左千夫もこの京葉道路をちょっと行った両国高校近くの錦糸町駅前に牛舎を建てて搾乳販売業を営んでいました)新原敏三・ふくの長男として生まれました。
辰年辰の日辰の刻に生まれたので龍之介と命名されたといわれます。
生後7か月で、当時本所区小泉町15番地(両国3丁目)に住んでいたふくの長兄、芥川道章に引き取られ、13歳のとき、芥川家の養子となりました。


芥川家は江戸時代からの旧家で、道章は、教養趣味が深く、俳句や南画をたしなみ、一家をあげて一中節を習い、歌舞伎を見物するなど、江戸趣味の濃い家庭でした。

明治43年(1910)19歳で新宿に移転するまで過ごした両国界隈は、龍之介の精神的風土を形成しました。
「大道寺信輔の半生」「本所両国」などの作品にその一端を見ることができます。
龍之介は回向院に隣接する江東尋常小学校付属幼稚園に入園、翌年同小学校(両国小学校)に入学しました。
明治38年(1905)府立第三中学校(両国高等学校)に入学、同43年成績優秀により無試験で第一高等学校第一部乙類に入学しました。
その後、大正2年東京帝国大学英文科に入学、同5年卒業しました。
云々。」

龍之介の母校両国小学校です。
養家の前の京葉道路を渡って100mの場所です。
龍之介が遊んだ、現在の回向院からは400m位です。
既報の、当時は回向院の土地だったのでしょう、時津風部屋からは50mです。


児童文学「杜子春」の一節を引用した文学碑です。


何故か並んで、日露戦争で活躍した巡洋艦「不知火」の錨もあります。


京葉道路をそのまま東へ行くと、両国高等学校が在ります。
養家から3km弱です。
龍之介はこの界隈の狭い範囲で少年時代を過ごしたようです。

龍之介だけでなく数多の俊優を輩出した学校で、現在でも秀才が集まる「都立御三家」の一つで、周辺地域第一等の公立の進学校です。

この学校は平成18年度から中高一貫校になりました。
周辺地域の経済性も相まって元より人気校なので、入学には競争率が高いです。
校舎の窓にも校門にも「付属中学校」の文字が追加されています。


この学校は、白地にえんじ色で「三中」と染め抜いた応援旗を掲げて、高校野球地方大会等に登場します。
畏敬すべき応援旗ではありますが、如何せん野球部は弱く大概1回戦で負けるので、私は1度見ただけの幻の旗なのです。


以上で両国周辺の"さわり"を終わります。
お付き合い頂きましてありがとうございました。
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両国周辺/回向院ー2

2018年03月18日 | 散文
回向院は江戸時代の興行の場所でした。
見世物や相撲が行われていました。
芥川龍之介も見世物や操り人形劇などを楽しみました。
相撲で言えば、天保4年(1833)から国技館に開催場所が移される76年間、相撲興行本場所の地でした。
国技館は、この回向院の境内に明治42年(1909)に建設されました。
32本の柱をドーム状に集めた鉄骨の建物は「大鉄傘」とも呼ばれ、1万3千人収容の大競技場でした。
その土俵があった場所です。


商業施設の駐輪場に円形として残されています。


隣に回向院の山門が見えます。

つまり、ここも回向院の境内でした。
バブルの頃売ったのでしょうか?

冗談はさて置き、回向院に戻ります。
回向院は東日本大震災で大きな被害を受けた陸前高田市の寺を支援しました。
昨年、その際に知り合った同市の製材所から杉を取り寄せ、耐震補強で天井に杉材のやぐらを張り、龍を描きました。
すると「鳴き龍」が起こるようになったそうです。
受付で許しを得て手を叩きました。
拍手に共鳴して「い~~んんん~」と反響しました。

ご覧のとおり真新しい天井ですが、この寺の新しい名物になると思います。

両国は花火の名所でした。
「隅田川花火大会」として現代も東京の夏の名物です。
回向院の隣に「両国花火資料館」があります。
一度も行った事がありません。

なんと!
12時からの開館です。
余り客が来ないのでしょうね。
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両国周辺/回向院ー1

2018年03月17日 | 散文
回向院の参道です。


参道の左手に「力塚」があります。
1936年に歴代相撲年寄りの慰霊の為に、相撲協会が建立したものです。
題字は徳川宗家16代家達です。

ずっと以前、観光客を相手に「昔は国技館へ勝負に赴く相撲取りがこの碑に挨拶してから行っていたけど、最近そんな力士は居なくなった」と、観光ボランティアが説明していました。
傍で笑ってしまいました。

その脇に阿弥陀如来像があります。

回向院は「江戸庶民の聖地」と言われており、明歴の大火(1657年)をきっかけに建立されました。

死者は10万人以上とされ、身元が分からなかった者や身寄りがなかったりした多くの無縁者を弔いました。
正式名称を「諸宗山無縁寺回向院」と言い、宗派を問わず無縁の人々の冥福を祈ったのです。

後ろに銀杏の木が在ります。

子供の頃の芥川龍之介がこの大きな銀杏に登って遊びました。




話を戻します。
その後、浅間山の噴火の犠牲者や安政の地震などの自然災害の犠牲者も供養しました。
この一角がそうです。






溺死者も供養しました。






処刑された人々も葬っています。
代表的な「鼠小僧二郎吉」の墓です。

ここには処刑されて晒されて首が葬られました。
体は、小塚原刑場脇の回向院にあります。

「難しい所でもスルリと入る」その仕事振りや「はやくよく覚える」と読める戒名から、受験生に人気があります。


幕府や江戸庶民が無縁仏を葬った事から「江戸御府内総檀家」と呼ばれました。

無縁仏を受け入れた事から「江戸庶民の聖地」と認識され、多くの参拝者を集めたのです。

多くの人を集めた他の要因は、相撲を初めとする「興行」です。
この話、続きます。

なお、回向院は人だけでなく多くの動物も供養しています。
詳細はこちら。


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両国周辺/勝海舟生誕の地

2018年03月17日 | 散文
両国は大相撲の聖地です。


従って、周辺には相撲部屋が沢山在ります。
その中の一つ、双葉山の系譜を継ぐ時津風部屋です。
力士達は大阪場所に出張中ですが、普段でもこのように静かな相撲部屋です。


すぐ裏には赤穂浪士が討ち入った吉良邸跡があります。
討ち入りがあった12月以外はこのように観光客が殆ど居ません。


そして、すぐ近くの両国公園には「勝海舟生誕之地」碑があります。
題字は時の法務大臣西郷吉之助です。


十数年振りにやって来たら、相変わらず誰も居ないけど、大変な事になっていました。
勝海舟の履歴壁ができています。


椅子のオブジェもあります。
勝海舟愛用の椅子のようです。


従来からあった「生誕之地」碑の傍に由来碑と椅子、後ろに履歴が記されています。


そしてこの界隈は芥川龍之介の育った場所です。
彼の足跡は後ほど訪ねるとして、回向院へ行きます。

当然、この話続きます。
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両国周辺/ライオン堂

2018年03月16日 | 散文
両国の街角です。


キングサイズの[ライオン堂]です。
相撲取りが多い両国ならではの店です。
勿論、一般人もご利用できます。


大きい傘も置いています。
「有ります」の表記が好いですね。


店頭にパンツのサンプルが展示されています。


センスはともかく、若者向けでしょうか、カジュアルな服も置いています。


ん?
比較するものが無いので大きさが分からない?
それもそうですね。
具体的に、こんな人向けです。
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今日の上野公園

2018年03月16日 | 散文
動物園に入場する人です。


後ろにはこんなに並んでいます。


列の最後尾からは入場門が見えません。

平日でこの人気です。
土日曜日はどうするのでしょうか?

大丈夫!
こちらに用意していました。

これで桜が咲いたらどんなになるのでしょう?
花見とシャンシャンで大変な人出になりそうです。
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両国周辺/そろそろシーズンオフの「ももんじや」

2018年03月16日 | 散文
「ももんじや」です。


後ろは隅田川に架かる両国橋と、その上に首都高速向島線です。


玄関先です。


左の歩道を行きます。




両国の冬の風物詩です。
今日は1頭ですね。

時々熊も居ます。

そろそろシーズンオフですね。
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戦い済んで・・・。

2018年03月15日 | 散文
東京大学の入試合格発表がありました。


あの人たちは受験生の家族のようです。


合格した人にも落ちた人にも、春の芽吹きはまだです。
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滝野川の路地

2018年03月15日 | 散文
質屋がある路地に迷い込みました。


向こうに都電が行き交います。


こんなの好いです。
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サンモール大塚商店街から都電が走る風景。

2018年03月15日 | 散文
都営荒川線の傍に、サンモール大塚商店街は在ります。
大塚と向原の間の坂にある商店街です。


線路側にもう一つの入り口があります。


好きな商店街で、よく昼食を食べに行きます。


小さな商店街です。


余り賑わっている状態ではありません。


商店街からは都電の踏み切りが見えます。


時々電車が走ります。


ゆっくりと通り過ぎて行きます。



ゆっくり時間が過ぎて、好きな風景です。
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谷中の一本杉/2018年早春

2018年03月14日 | 散文
やっぱり春は三寒四温です。
肌寒い東京です。
谷中の丘の上に、1本のヒマラヤ杉が在ります。




右の道を見ます。


左の道を見ます。


三差路の真ん中に立っています。


ヒマラヤ杉に抱かれた「みかどパン店」です。


玄関先には「ヒマラヤラスク」なるものが出ています。
オリジナル商品を開発したのですね。


お婆さんが頑張っています。
いつまでも営業して欲しい店です。


振り返りつつ通り過ぎて行きます。



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「谷中猫町」へ行く。

2018年03月14日 | 散文
「谷中キッテ通り」に居ます。

「谷中猫町」が気になりますか?
矢印へ行ってみます。

坂です。
ここを曲がるようです。


この道です。


この石段の上のようです。


日当たりの良い丘の中腹です。
白猫がお迎えです。


この看板好いです!


今日は休みです・・・。


玄関先です。


石段を引き返します。




見上げます。

雰囲気好い「谷中猫町」ですが、どんな町(店?)かは分かりません。
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「谷中キッテ通り」という名の道だったー2

2018年03月13日 | 散文
前回の続きです。
谷中キッテ通りを散策しています。
ここガルボも西洋アンティークの店です。


イリアスもそうです。


ライムライトもそうです。






何度も紹介した日当たりの良い通りです。
やがて「乱歩」に行き当たります。


乱歩の手前は紙屋「いせ辰」です。

我が家のポチ袋はここで調達します。

乱歩を惜しみます。


相変わらず素敵です。


もう営業しないのでしょうか?
コーヒーは飲まないけど、再開を期待しています。


乱歩といせ辰の間の道路が、谷中キッテ通りです。


しかも、カタカナです。



ん!?「谷中猫町」が気になりますか?
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「谷中キッテ通り」という名の道だったー1

2018年03月13日 | 散文
いつも走っている日当たりの良い道路です。
今日ふと気付いたら、「谷中キッテ手通り」なんて名前の道でした。
しかもカタカナです。


思い当たる家があります。
行ってみます。
あれ!?いつの間にか、ここ半年間だと思いますが、古い地味な家が建て代わっていました。


でも、屋号(?)はそのまま「日本郵便趣味協会」です。
切手の骨董の売買をしています。

富士山の切手をシンボライズした看板がオシャレです。

この店を代表とした道の名前だと思います。
骨董品屋が集まった通りです。
この道を行くのが好きです。




木工家ですが、2階があります。


行った事ありませんが、2階は骨董品屋だと思います。


この店もそうではないでしょうか?


オシャレです。




塀に女の子が居るこの店が好きです。






この話、続きます。


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八重垣謝恩会の名店

2018年03月12日 | 散文

不忍通りです。


マンションの1階が商店になっています。
酒屋があります。


その隣が行列ができる鯛焼き屋です。


今日も列んで鯛焼きを買っています。


行列を遠目に見ます。


そこには煎餅屋です。
町内の名前を屋号としています。


金光教教会入り口には陶器屋です。




花屋があります。




花屋の隣は八百屋です。


土臭くありません。
食に密着している店らしくなく、靴店か文房具店のようにも見えます。


花屋の反対側は小綺麗な店です。


店頭のバイクは配達用でしょうか?

暖簾に魚の絵がなければそれと分かりません。

ここが、何度もTV・雑誌等で紹介されている魚屋です。
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」とかでご覧になられた方もおありかと思います。
魚の目利きに長けていて、築地で1番の魚を仕入れて、最高の状態に仕上げて小売りしています。


例えば、シメ鯖4片盛りが5千円とかの高級魚屋なのです。
店頭には魚屋の雰囲気がありません。
生臭さを感じさせない店造りです。

蕎麦屋の女将さんは、時々メザシだけ仕入れているそうです。

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