荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

両国周辺/回向院ー1

2018年03月17日 | 散文
回向院の参道です。


参道の左手に「力塚」があります。
1936年に歴代相撲年寄りの慰霊の為に、相撲協会が建立したものです。
題字は徳川宗家16代家達です。

ずっと以前、観光客を相手に「昔は国技館へ勝負に赴く相撲取りがこの碑に挨拶してから行っていたけど、最近そんな力士は居なくなった」と、観光ボランティアが説明していました。
傍で笑ってしまいました。

その脇に阿弥陀如来像があります。

回向院は「江戸庶民の聖地」と言われており、明歴の大火(1657年)をきっかけに建立されました。

死者は10万人以上とされ、身元が分からなかった者や身寄りがなかったりした多くの無縁者を弔いました。
正式名称を「諸宗山無縁寺回向院」と言い、宗派を問わず無縁の人々の冥福を祈ったのです。

後ろに銀杏の木が在ります。

子供の頃の芥川龍之介がこの大きな銀杏に登って遊びました。




話を戻します。
その後、浅間山の噴火の犠牲者や安政の地震などの自然災害の犠牲者も供養しました。
この一角がそうです。






溺死者も供養しました。






処刑された人々も葬っています。
代表的な「鼠小僧二郎吉」の墓です。

ここには処刑されて晒されて首が葬られました。
体は、小塚原刑場脇の回向院にあります。

「難しい所でもスルリと入る」その仕事振りや「はやくよく覚える」と読める戒名から、受験生に人気があります。


幕府や江戸庶民が無縁仏を葬った事から「江戸御府内総檀家」と呼ばれました。

無縁仏を受け入れた事から「江戸庶民の聖地」と認識され、多くの参拝者を集めたのです。

多くの人を集めた他の要因は、相撲を初めとする「興行」です。
この話、続きます。

なお、回向院は人だけでなく多くの動物も供養しています。
詳細はこちら。


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両国周辺/勝海舟生誕の地

2018年03月17日 | 散文
両国は大相撲の聖地です。


従って、周辺には相撲部屋が沢山在ります。
その中の一つ、双葉山の系譜を継ぐ時津風部屋です。
力士達は大阪場所に出張中ですが、普段でもこのように静かな相撲部屋です。


すぐ裏には赤穂浪士が討ち入った吉良邸跡があります。
討ち入りがあった12月以外はこのように観光客が殆ど居ません。


そして、すぐ近くの両国公園には「勝海舟生誕之地」碑があります。
題字は時の法務大臣西郷吉之助です。


十数年振りにやって来たら、相変わらず誰も居ないけど、大変な事になっていました。
勝海舟の履歴壁ができています。


椅子のオブジェもあります。
勝海舟愛用の椅子のようです。


従来からあった「生誕之地」碑の傍に由来碑と椅子、後ろに履歴が記されています。


そしてこの界隈は芥川龍之介の育った場所です。
彼の足跡は後ほど訪ねるとして、回向院へ行きます。

当然、この話続きます。
コメント (2)
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