荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「桜井の史跡と伝説」-17/婆落し(孫兵ヱ作)

2017年10月09日 | 散文
生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。


17.婆落し(孫兵ヱ作)
昔、桜井にとても気の優しい若者がいました。

ある朝、両親がこの若者に、おいぼれた婆さんを車に乗せて、お婆落し(桜井の国民休暇村の下あたりだと言われる。)に捨ててくるように言いました。




言われた通り、お婆落としの所まで連れてきたものの、若者はどうしても婆さんを「お婆落し」から落す気になりません。


そこで婆さんをその場にまたせておいて、空の車をおして家に帰りました。


若者の両親は口をそろえて「なんで、その車も一緒に捨てなんだ。その車はもういらんぞ」と言いました。




若者は静かな口調で「この車は、又お父さんとお母さんを捨てに行く時、使わなならん」と答えました。




我身の事を忘れていた両親は、顔色を変えて狼狽し、若者をせきたててお婆落しまでいきました。

若者の言葉を信じて待っていたお婆さんを見るや、両親は抱きついて歓喜にむせびました。


それから、その若者の一家は代々孝養の念に厚い家として人々からうらやましがられました。このことがあって以来、この悪い習慣がこの地方からなくなったと言うことです。

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谷中祭り2017-2

2017年10月08日 | 散文
谷中祭りは各所の会場で催し事があります。
ここ岡倉天心記念公園は野点をやっていますが、余り人が居ません。


野点用に静かな環境ではあります。


やっぱり、この公園は誰も知らない異空間なのでしょうか。


この会場の目玉は、年に一度の岡倉天心像の御開帳です。



でも、訪問者が少ないのです。
岡倉天心像はありがたく無いのでしょうか?

この公園に来ると、いつも空を見上げます。
今日はこんな空です。
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谷中祭り2017ー1

2017年10月08日 | 散文
今年も来ました。
神田紅葉さんが講談の後、踊っています。

小父さん大喜びです。

さて、恒例の愉しみである、東京芸大生の弦楽四重奏が始まります。
準備をしている時にアナウンサーが、「只今広場の入口にゆるキャラ『谷中に恋にゃん』(見ていないので詳細が不明ですが、谷中の妖精らしい)が登場しました。今日がデビューです。お子様は一緒に写真が撮れます」と案内しました。


従って、ステージ前にはちびっ子が居ません。


例年のこんなのや、




こんなの等々がありません。




彼女たちは卒業即プロとなります。
従って、今後は有料で、静かな会場でないと聴く事ができません。
天下の芸大生にとって、やり難さNo.1なのがこのステージだと思います。

主催者が芸大生に配慮して子供対策を講じたようですが、これも祭りの一つと例年愉しみにしていた私は、ちょっと寂しい・・・。

でも、今日は風が強く吹きました。
従って、ステージでは楽譜が飛ばないように押さえるので、大変。







落ち着かない演奏になりました。
やっぱり芸大生とって、このステージは日本最難関かも。

この祭り、今日迄です。
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谷中のはぎ寺

2017年10月07日 | 散文
谷中の宗林寺は別名「はぎ寺」と呼ばれています。




秋の陽射しで綺麗に咲いて見えるのですが、上手く撮れません。


特に、白い花が難しいです。

ガラケーの限界ですね。

こんな花も一緒に。


境内へ入って行きます。






谷中の路地を振り返ります。



今が見ごろです。
あっ、本堂を撮っていません。
どんなお寺か分かりませんね・・・。
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立石仲見世の頑張っている店

2017年10月07日 | 散文
久し振りの京成立石です。


駅前にある仲見世です。
とても買い物に便利な商店街です。


でも、シャッター通り商店街化著しい街です。
この、真夏をイメージした飾りをいつまでも残している辺りに、その原因があると思います。


頑張っている店舗を巡ります。
居酒屋さんは昼間からやっています。


隣の餃子屋さん。
その隣の総菜屋さんは休みですかね?
廃業する店があるので閉まっていると不安です。


商店街の中心にある八百屋さん。


ここから立石駅前の間が賑やかというか、営業を続けている店舗が多くあります。


いつも満席のもつ焼き屋さん。


お寿司屋さん。


魚屋さんは切り身だけです。
1匹単位ではありません。
全ての商品が切り身です。


総菜屋さん。

こちらは上手く表現できないけど、総菜屋さんのような形態です。


そして、いつも行列ができる寿司屋さん。

つまり、昼間でも手軽に飲める店と、おかずを作る時間が無い人用の店、そんな業態が生き残っている商店街です。

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半田 天龍山常楽寺の墓で想う。

2017年10月06日 | 散文
亡義父母の家は丘の麓にあって、ここに来たときに散歩するコースがあります。

丘をゆっくり上る田舎の住宅街の道です。

義父母の家は分譲地の一角を購入したものですが、この辺りは古くからの街で、氏神様や購堂があります。


やがて常楽寺に至ります。
常楽寺は丘の中腹にあって寺領50石を有し、6000坪の広大な敷地の中に4つの塔頭を持っている、徳川家康にゆかりのある寺です。


生母於大の出身地であるこの辺りには親族が沢山住んでいてよく訪れたようです。

何よりここ常楽寺の8世典空顕朗上人は家康の従兄弟です。

家康はこの寺を3度訪れたようです。


初めは、桶狭間の戦いの帰りであり、2度目は、本能寺の変の後堺から伊賀を越えて岡崎城に帰る途中、3度目は、上洛の途中と、人生のターニングポイントに訪れています。


広い寺には、広い墓地があります。
その裏口の脇に、太平洋戦争の戦没軍人の墓が纏まってあります。


約40柱が狭い空間に納められていますが、遺骨とかは帰っていないので、スペース的には十分なのでしょう。
戦死者の大半が20歳前半で、唯一31歳の人がいます。

墓の建立者を見ます。

数人が妻です。
若妻を残しての死の瞬間の想いは如何ばかりか。
幼い子供が居たかも知れません。
その無念は想像を絶します。
そして、妻の絶望は・・・。

数人が兄です。
開戦当初の国の召集方針として一家から一人、跡取り息子を家に残しました。
家の代表として自分に代わって出征して死んで行った弟の墓を建てる時の、家長としての兄の気持ちは如何ばかりか。
亡父への報告は・・・。

数人が母です。
夫を亡くしてなお息子まで亡くした母の、国に対する気持ちは如何ばかりか。

多くが父です。
国の戦争遂行に万歳三唱し、国民の義務と言われて息子を差し出した父の後悔は如何ばかりか。
そしてその妻の、国の、夫の言うことに唯々諾々と従ったばかりに、英霊の母と呼ばれたその気持ちは・・・。

墓石の戒名には「海鷲」や「勇空」等生前の所属部隊を想わさせるものやら、「忠」「魂」「義」「節」等の、教育勅語に登場しそうな文字が多く見えます。

諸々の気持ちの落とし処は「お国のお役にたったのだから諦める」でしょうか?
いや、生きていれば、もっとお役にたてたと思います。

・・・この国に選挙権を持った者の責任として、2度とこんな国にしてはいけない。
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常滑「やきもの散歩道」を徃くー3

2017年10月06日 | 散文
前回の続きです。
途中、登り窯を見ます。




窯の中を覗きます。
このように並べて焼きます。




坂道の散策を続けます。














ここにも煙突があります。






スケッチをしたくなる気持ちが分かります。






郷愁を誘う坂道です。

このシリーズを終わります。
お付き合いありがとうございました。
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半田運河・蔵のまちを徃く。

2017年10月05日 | 散文
半田市は古くからの醸造の町です。


ミツカン酢の町です。




原料や製品の入出荷には船を使ったので運河が発達しました。


運河の左右に蔵が続きます。




黒い塀が特徴です。


ここは、国盛の工場です。




散策します。








隣の半六庭園から。





もっと寂れた街並かと思ったら、小綺麗な塀が続く街です。
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常滑「やきもの散歩道」を徃くー2

2017年10月05日 | 散文
坂道が続く散策道です。


風情を楽しみながら歩きます。


以下、余計な説明は抜きで。




















店舗の佇まいも郷愁を誘います。






珍しく広場がありました。
瓶が埋まった広場です。


散策は続きます。
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常滑「やきもの散歩道」を歩くー1

2017年10月04日 | 散文
常滑市は「常滑焼き」の街です。


主に土管を製造していましたが、現在土管を焼いている工場はもう無いと思います。

この壁面を覆っているのが昔の土管です。

古い街は郷愁を誘います。


駐車場が満杯になる位、散策者が来ていました。






義両親が健在だった頃、それは土管工場を閉鎖して暫く経った頃、義両親を含めてここを散策した事があります。


それ以来の訪問ですが、雰囲気はちっとも変わっていません。


散策には、Aコース(1.6km)とBコース(4km)があります。
今日もAコースにしました。

義両親を偲びながら歩きます。

散策コースからは外れますが、頭だけ出した招き猫がありました。


法面には焼き物の町らしいオブジェです。


コースに戻ります。


店舗も見ながら、散策が続きます。






この話、続きます。
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半田赤レンガ建物で岳父を想うー2

2017年10月04日 | 散文
昨日の続きです。

東京高樹町で麻布中学の数学教師の次男に生まれた岳父は、学卒と同時に中島飛行機製作所に就職して、ここ知多半島に赴任します。


以後生涯を知多半島で暮らしました。
終戦後は、本社が東京八丁堀にあって工場が常滑にあった姉の嫁ぎ先に請われて、株式の一部を譲渡され役員技師として勤めます。

彼はこの田舎町で浮き世離れした生活をしていました。
先ず、お手伝いさんを連れて嫁いできた妻との生活が、常滑の土管工場の社宅で始まります。
従業員の社宅も併設した大きな工場でしたが、ヒューム管の登場によって土管が衰退し、もうその工場はありません。

工場閉鎖と共に退職した彼は半田に終の住家を構えました。


クラシック音楽が大好きで、子供達3人にピアノとヴァイオリンと声楽を習わせました。

生まれた時代柄機械工学を専攻しましたが、彼の本質は音楽に向いていたのだと思います。

子供達に音楽を習わせた彼の執念は、孫の代に実を結びます。
家内の妹の娘がヴァイオリンに興味を持ち、東京芸大大学院を卒業して、プロになったのです。


(余談:東京芸大大学院の弦楽器クラスは、基本、1楽器2名しか合格しません。従って、義理の姪曰く、東京芸大大学院卒の肩書は偉大らしく、オーデションやヴァイオリン教室の生徒を集める際などに絶大な威力を発揮するそうです。そんな彼女でも希望のオーケストラには入団できていません。芸術の世界には定年が無いので、先達の技術に勝たない限り定職に就けないのです。毎年コンスタントにフリーターを送り出す大学だそうです。)

そんな岳父は、終の住家の2階に周囲を廊下で囲んだ完全防音の部屋を造り、殆どの時間を、1.5mはあろう大きなスピーカーの前で過ごしました。

オーディオルームを囲んだ廊下には、シンクと調理台を置いて、ちょっとした料理を妻に作って貰います。

その他のスペースは、膨大なレコードと蔵書が並んでいましたが、殆ど小説というモノを置いておらず、機械の専門書と経済・経営の本が蔵書の中心でした。

経済・経営本を買って来ては読み飛ばして私に薦めましたが、休暇に来ていた私はそんな気にならなかったものです。

背が高く上品さを漂わせる佇まいとは逆に、関節を柔らかく使う事ができなくてドタバタと歩きました。
運動神経は乏しかったです。
性格はすこぶる温厚で、妻と家族が大好きでした。
その他の唯一の趣味は車でした。

やっぱり機械モノに興味があったようです。

私の長男はこの近くの市民病院で生まれ、家内はここから線路を越えてすぐの高校の卒業生です。
従って、私もよく知っている街でもあります。

今回、義両親が亡くなって誰も住んでいない家に泊まり、すぐ近所に住んでいる家内の妹夫妻と懇親し、懐かしい場所を訪問する予定です。

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半田赤レンガ建物で岳父を想うー1

2017年10月03日 | 散文
読者登録をさせて頂いているブロガーさんの紹介記事を拝見して以来、訪問の機会を窺っていました。


今回万障繰り合わせて念願が叶いました。


ここは、地元ビールメーカー「丸三麦酒 商品名『カブトビール』」の工場跡です。


好い雰囲気のレンガ建物です。


有料ガイドの説明を受けて館内を見学しました。






気温変化を防ぐ為に、分厚くレンガを組み立てています。


窓から内壁の間が厚いです。


外壁には米軍の機銃掃射の跡が生々しく残されています。


ここは、太平洋戦争の一時期、中島飛行機の衣糧倉庫となっていました。


当時中島飛行機製作所で爆撃機のエンジンの設計技師だった岳父が、ひょっとしたら立ち入ったかも知れないと思って訪問しました。


建物を見て、岳父を想います。


この話、明日に続きます。

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円屋根と三角屋根のある風景

2017年10月03日 | 散文
江戸川の河川敷を行きます。
円屋根の塔を見ながら行きます。

帽子を被った塔です。

橋が架かっています。


円屋根の塔を過ぎます。


三角屋根の塔が現れます。


やはり、帽子を被った塔です。


橋越しに見ます。


過ぎて行きます。


三角屋根と円屋根の景色です。




江戸川の土手上に出ました。




これは給水塔です。
橋でパイプを渡して、浄水場に送っています。


江戸川の水をここで汲み上げて、東京東部の上水道へ送ります。




パイプの行き先は、ここ金町浄水場です。


大きな浄水池があります。

・・・江戸川の水は決して綺麗には見えません。
東京都の浄水技術は凄いのです。

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好きな商店街ー20

2017年10月02日 | 散文
「Friendly Road柴一」
お洒落で清潔な商店街に出会いました。




場所は葛飾柴又です。




場所柄「寅」ですかね。


先ほどから人に出逢いません。


すぐに住宅街になります。


住宅街にも人が居ません。




お洒落な名前の商店街だと思っていたら、こういう事ですか。
きっと2代目・3代目が商店街の活性化を図って作った名前だと思います。

それにしても、人が居ません。
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男はつらいよ/寅さんの母校(高等学校)

2017年10月02日 | 散文
この映画のシリーズの後半では、寅さんは中学校中退となっています。


第26作「寅次郎かもめ歌」でそれが確定します。
マドンナ伊藤蘭が通う定時制高校に付いていって授業を受ける寅さんは、彼も定時制高校に通う決心をします。

願書を出しますが、叶えられません。
その理由が、寅さんは中学校を卒業していないので受験資格が無い、というものです。

ところが、初めのうちの作品では高等学校に行っているのです。


卒業の有無は不確かですが、第2作「続 男はつらいよ」(マドンナは佐藤オリエ)で、恩師坪内散歩(東野栄治郎)は「葛飾商業の恩師」として登場します。



そこで、葛飾商業高校へ行ってみました。


とらやから1km弱です。
徒歩でも自転車でも通えます。


葱畑の前にバス停もあるので、バス通学も出来ます。

映画関係者は良い所を見付けた筈だったのです。
でも、映画のストーリー上、一般常識に疎いフーテンには学歴が無い方が都合が良くなったのでしょう。

さて、現実の葛飾商業高校は、女子が活躍しています。
現在の商業高校は何処もその傾向があります。
高校野球での商業高校の退潮が著しいです。

そして、ここでも普通科以外の高校のニーズを反映した、組織の再構築が行われるようです(ここにも定時制があるようです)。


ここの在校生及び卒業生は、車寅次郎がOBだと知っているのですかね。

卒業生名簿にあったりしたら楽しいですね。


柴又駅前は今日も賑わっています。




踏み切りからプラットホームを望みます。

旅に出たい空の色です。
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