荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

常滑「やきもの散歩道」を歩くー1

2017年10月04日 | 散文
常滑市は「常滑焼き」の街です。


主に土管を製造していましたが、現在土管を焼いている工場はもう無いと思います。

この壁面を覆っているのが昔の土管です。

古い街は郷愁を誘います。


駐車場が満杯になる位、散策者が来ていました。






義両親が健在だった頃、それは土管工場を閉鎖して暫く経った頃、義両親を含めてここを散策した事があります。


それ以来の訪問ですが、雰囲気はちっとも変わっていません。


散策には、Aコース(1.6km)とBコース(4km)があります。
今日もAコースにしました。

義両親を偲びながら歩きます。

散策コースからは外れますが、頭だけ出した招き猫がありました。


法面には焼き物の町らしいオブジェです。


コースに戻ります。


店舗も見ながら、散策が続きます。






この話、続きます。
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半田赤レンガ建物で岳父を想うー2

2017年10月04日 | 散文
昨日の続きです。

東京高樹町で麻布中学の数学教師の次男に生まれた岳父は、学卒と同時に中島飛行機製作所に就職して、ここ知多半島に赴任します。


以後生涯を知多半島で暮らしました。
終戦後は、本社が東京八丁堀にあって工場が常滑にあった姉の嫁ぎ先に請われて、株式の一部を譲渡され役員技師として勤めます。

彼はこの田舎町で浮き世離れした生活をしていました。
先ず、お手伝いさんを連れて嫁いできた妻との生活が、常滑の土管工場の社宅で始まります。
従業員の社宅も併設した大きな工場でしたが、ヒューム管の登場によって土管が衰退し、もうその工場はありません。

工場閉鎖と共に退職した彼は半田に終の住家を構えました。


クラシック音楽が大好きで、子供達3人にピアノとヴァイオリンと声楽を習わせました。

生まれた時代柄機械工学を専攻しましたが、彼の本質は音楽に向いていたのだと思います。

子供達に音楽を習わせた彼の執念は、孫の代に実を結びます。
家内の妹の娘がヴァイオリンに興味を持ち、東京芸大大学院を卒業して、プロになったのです。


(余談:東京芸大大学院の弦楽器クラスは、基本、1楽器2名しか合格しません。従って、義理の姪曰く、東京芸大大学院卒の肩書は偉大らしく、オーデションやヴァイオリン教室の生徒を集める際などに絶大な威力を発揮するそうです。そんな彼女でも希望のオーケストラには入団できていません。芸術の世界には定年が無いので、先達の技術に勝たない限り定職に就けないのです。毎年コンスタントにフリーターを送り出す大学だそうです。)

そんな岳父は、終の住家の2階に周囲を廊下で囲んだ完全防音の部屋を造り、殆どの時間を、1.5mはあろう大きなスピーカーの前で過ごしました。

オーディオルームを囲んだ廊下には、シンクと調理台を置いて、ちょっとした料理を妻に作って貰います。

その他のスペースは、膨大なレコードと蔵書が並んでいましたが、殆ど小説というモノを置いておらず、機械の専門書と経済・経営の本が蔵書の中心でした。

経済・経営本を買って来ては読み飛ばして私に薦めましたが、休暇に来ていた私はそんな気にならなかったものです。

背が高く上品さを漂わせる佇まいとは逆に、関節を柔らかく使う事ができなくてドタバタと歩きました。
運動神経は乏しかったです。
性格はすこぶる温厚で、妻と家族が大好きでした。
その他の唯一の趣味は車でした。

やっぱり機械モノに興味があったようです。

私の長男はこの近くの市民病院で生まれ、家内はここから線路を越えてすぐの高校の卒業生です。
従って、私もよく知っている街でもあります。

今回、義両親が亡くなって誰も住んでいない家に泊まり、すぐ近所に住んでいる家内の妹夫妻と懇親し、懐かしい場所を訪問する予定です。

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