荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

半田 天龍山常楽寺の墓で想う。

2017年10月06日 | 散文
亡義父母の家は丘の麓にあって、ここに来たときに散歩するコースがあります。

丘をゆっくり上る田舎の住宅街の道です。

義父母の家は分譲地の一角を購入したものですが、この辺りは古くからの街で、氏神様や購堂があります。


やがて常楽寺に至ります。
常楽寺は丘の中腹にあって寺領50石を有し、6000坪の広大な敷地の中に4つの塔頭を持っている、徳川家康にゆかりのある寺です。


生母於大の出身地であるこの辺りには親族が沢山住んでいてよく訪れたようです。

何よりここ常楽寺の8世典空顕朗上人は家康の従兄弟です。

家康はこの寺を3度訪れたようです。


初めは、桶狭間の戦いの帰りであり、2度目は、本能寺の変の後堺から伊賀を越えて岡崎城に帰る途中、3度目は、上洛の途中と、人生のターニングポイントに訪れています。


広い寺には、広い墓地があります。
その裏口の脇に、太平洋戦争の戦没軍人の墓が纏まってあります。


約40柱が狭い空間に納められていますが、遺骨とかは帰っていないので、スペース的には十分なのでしょう。
戦死者の大半が20歳前半で、唯一31歳の人がいます。

墓の建立者を見ます。

数人が妻です。
若妻を残しての死の瞬間の想いは如何ばかりか。
幼い子供が居たかも知れません。
その無念は想像を絶します。
そして、妻の絶望は・・・。

数人が兄です。
開戦当初の国の召集方針として一家から一人、跡取り息子を家に残しました。
家の代表として自分に代わって出征して死んで行った弟の墓を建てる時の、家長としての兄の気持ちは如何ばかりか。
亡父への報告は・・・。

数人が母です。
夫を亡くしてなお息子まで亡くした母の、国に対する気持ちは如何ばかりか。

多くが父です。
国の戦争遂行に万歳三唱し、国民の義務と言われて息子を差し出した父の後悔は如何ばかりか。
そしてその妻の、国の、夫の言うことに唯々諾々と従ったばかりに、英霊の母と呼ばれたその気持ちは・・・。

墓石の戒名には「海鷲」や「勇空」等生前の所属部隊を想わさせるものやら、「忠」「魂」「義」「節」等の、教育勅語に登場しそうな文字が多く見えます。

諸々の気持ちの落とし処は「お国のお役にたったのだから諦める」でしょうか?
いや、生きていれば、もっとお役にたてたと思います。

・・・この国に選挙権を持った者の責任として、2度とこんな国にしてはいけない。
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常滑「やきもの散歩道」を徃くー3

2017年10月06日 | 散文
前回の続きです。
途中、登り窯を見ます。




窯の中を覗きます。
このように並べて焼きます。




坂道の散策を続けます。














ここにも煙突があります。






スケッチをしたくなる気持ちが分かります。






郷愁を誘う坂道です。

このシリーズを終わります。
お付き合いありがとうございました。
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