荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

男はつらいよ/寅さんの母校(小学校)

2017年10月30日 | 散文
前回寅さんの母校、葛飾商業高校を探しに行きました。
今回は小学校です。


そもそもの始まりは、小学校の同級会でした。


第12作「男はつらいよ 私の寅さん」で、小学校の同級生柳文彦(前田武彦)と同級会で久し振りに逢った寅さんは彼の家へ行き、妹の柳りつ子(岸恵子)に恋をする話がありました。

その時には、小学校の名前は出ていなかったように思います。

さて、同級会が開かれた料亭「川甚」です。
現在は右に新館ができています。


古くからの川魚料理の店です。


多くの文人も訪れている老舗です。


上階の部屋は土手越しに江戸川を眺めながら飲食できる、風情ある料亭です。

下記の同級会もここで行われました。

さて、第21作「男はつらいよ 寅次郎紙風船」(マドンナは音無美紀子、サブマドンナは岸本加世子)で、寅さんは甥満男のお土産に紙風船を持って帰省します。

コンピューターゲーム大流行りの時代背景なので、紙風船は全く受けません。

丁度、小学校の同級会の案内がとらやに届いていました。

お決まりのドタバタが始まるのですが、この時「柴又小学校」の名前が出ます。

さて、ジョナサンの向こうに校舎はあります。
とらやから6~700mの距離です。


思ったより大きな小学校です。


この21作の時、満男は柴又小学校在学中で、寅さんの後輩です。


「勉強しないと卒業できないぞ」としつけする寅さんに、「小学校は勉強しなくても卒業できるんだよ」と生意気を言います。

寅さんを軽く見ています。

満男が、寅さんの生き方に憧れて、そんな生き方ができる寅さんを尊敬するようになるのは、彼が青年になってからの事です。


ぐるりと廻ったら、おや、こちらが正門なのですね。


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北小岩で北原白秋の歌碑に出逢う。

2017年10月30日 | 散文
寅さんの妹さくらと博の家を、北小岩の江戸川土手下の街で捜していました。

北小岩は江戸川区の端にあって、一部が葛飾区柴又に張り出した立地です。
つまり、さくらと博は、柴又には住んでいません。

それはさておき、ウロウロ捜していたら、八幡様に行き当たりました。




日当りの良い境内に入って行きます。


ギンナンが沢山実って、葉が色付きつつある境内です。


この辺りは暖かいようです。
まだギンナンが落ちていません。


無造作に「力石」が置かれていたりします。
力自慢の男達が、持ち上げたりその回数を競った丸石です。

東京下町の氏神様には必ずあります。

境内には「水神様」も祀られています。

川に近い低地にはこの神様を祀っています。

説明板を読みます。

「祭神は誉田別尊、相殿に倉稲魂尊をまつっています。創建は不詳ですが、元禄八年(1695)」の記録には神社の名がみられます。
・地蔵菩薩像庚申塔(万治元年銘)

この地蔵は、詩人として知られる北原白秋ゆかりの三谷の地にあって、三谷地蔵として親しまれ、現在は境内右奥にある社務所の中に安置されています。
(中略)
・北原白秋の歌碑
 昭和36年、地元の人びとによって建てられました。境内入口の右側にあります。)

さて、説明板に記載されていた「歌碑」です。


ここにも説明板がありました。
「いつしかに 夏のあわれとなりにけり 枯草小屋の 桃色の月」
「明治から昭和にかけて高雅な詩や歌で有名な北原白秋(1885~1942)は、大正五年(1916-32歳の時)七月から約一年間、妻子とともに、この小岩村字三谷の枯草商富田屋離れに居を構えました。

ここを、『紫煙草舎』と名付け、葛飾の風土や人情に見守られながら、短歌雑誌『煙草の花』を創刊したり、数多い短歌や詩、小品集などの素材を得ました。(後略)」

こんな出逢いがある私の散策です。
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