荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「印象派 モネからアメリカヘ」展混雑

2024年02月09日 | 散文

降雪明けの眩い午後です。都内のバナーを見て、東京都美術館にやって来ました。

美術館はこうして、気が向いた時にふらりと入るのが好きです。

印象派がアメリカに伝播して、日本にも遅れて、黒田清輝たちが導入した経緯を紹介しながら作品を展示する企画展です。

当然作品は写せません。展示場の「写真可」だけ撮リました。

売店です。印象派は日本人に人気がありますね。会場も売店も混雑していました。

見終わって、少し疲れました。椅子に腰掛けて休みます。作品が沢山有りました。窓の外は少しまだ雪が残っています。

球体鏡の周りを子供がヨチヨチ走り回っています。

春の景色です。

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東京の河津桜満開!

2024年02月09日 | 散文

先日夕方のTVニュースで紹介されていました。早速やって来ました。

春だ春だ!  東京の河津桜が満開です!

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夏目漱石碑が戻った金華小学校

2024年02月09日 | 散文

随分永い工事でした。もうすぐ完成です。新しい「金華小学校」です。小学校らしくない建物です。

あ⁉ 横断歩道を渡ります。

石碑が復帰しました。工事の間、何処かに疎開していた夏目漱石碑です。以前とは違う場所に戻りました。こちらがメイン通りの「金華通り」です。

「先輩 夏目漱石 略歴  慶應3年1月6日、牛込に生る。金之助と命名。市ヶ谷小学校に入学後、金華小学校に轉ず。同校卒業後一橋中学校に入り、同校卒業へずして退き、二松学舎に入りて漢学を学ぶ。(大正4年『新小説』より)  明治23年東京帝大に入学。正岡子規と交わり俳句と漢詩を作る。同28年、松山の中学校に赴任。同29年、熊本第五高等学校教授となる。同33年、ロンドンに入学。同36年、帰朝。東京帝大講師となり、英文学を講義。  同38年、処女作『吾輩は猫である』を発表。同40年、講師を辞し、朝日新聞社に入社。  大正5年12月9日逝去。50歳。 

主な作品 ・坊ちゃん  •草枕  •虞美人草  •三四郎  •それから  •門  •心   •道草  •明暗   卒業記念  第一・4回卒業生一同  」

こうして書き留められると、凄い作家です。教科書に載ったこともあって、10代に上記の全てを読みました。全て心に残っていますが、高校生で読んだ「心」を印象深く覚えています。

校舎の西側猿楽通りの路地に行きます。

以前漱石碑が有った場所にはこの碑が坐しています。

校門にはまだ校名が出ていません。

背後の丘には明治大学です。

校門の右手には、午前10時から、午後2時過ぎても行列ができる「うどん丸香」です。

ちょいと気になっています。

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