荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

荒川の船溜まり

2024年02月16日 | 散文

船溜まりの屋形船です。屋根に働いている人が居ます。正面は首都高速中央環状線です。昨日の春一番が一転して、強烈な北風の東京です。

桟橋です。ドラム缶に燃料を保管しています。

釣り船です。風が強いです。

水面が波立っています。

多くの船が係留されています。河口のヨットハーバーを除くと、荒川最大の船溜まりです。

下流へ向かいます。

細い支柱の桟橋です。怖いね。

上流を振り返ります。遠くにビルが在るので、都会だろうと分かります。

3月になったら観桜で忙しくなりますが、この時期、屋形船の需要はあるのだろうか?

船溜まりの最下流です。向こうに葛西橋が横たわります。

春は近いです。

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「小村井香取神社」の梅が見頃です。

2024年02月16日 | 散文

墨田区文化の香取神社の梅園は徳川将軍観梅の場所でした。規模が小さくなっても観梅の名所です。

見頃の梅をご覧あれ。

こんなに咲いているのに、梅まつりは明日からです。で、祭りが終わるのは3月3日です。途中でもう花が終わりそうです。

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「明神都電車庫跡公園」に出逢った。

2024年02月16日 | 散文

本駒込の路地を走っていたら偶然出逢いました。

公園です。隅には遊具が有ります。全体にまだ新しいように見えます。

大きな集合住宅と併設の公園です。

そこに都電が展示されています。

これは無蓋車です。初めて見ました。こんなタイプも有ったんですね。

説明書きを読みます。「乙1型(乙2号)  乙1型は昭和16年(1942年)古い電車の台車や車体を利用し2両製造されました。第2次世界対戦中は輸送燃料節約のため、日用品や食料などいろいろな物資を運んでいました。多くの車両が戦争による被害を受けましたが、乙2号は幸いにも戦火を免れ、戦後は軌道敷の砕石などの資材輸送に活躍し、昭和46年3月(1946年3月)に廃車になりました。その後公園にやって来ました。」

なお、型式等の説明は後ほど掲載します。

パンタグラフも付いています。

こちらは客車です。須田町行きです。

 

「6000型(6063号)6000型は昭和22年3月(1949年3月)に製造され、青山、大久保、南千住車庫を経て、昭和42年(1967年年)から昭和45年(1970年)までこの場所にあった神明町車庫で点検され仕事をしていました。神明町車庫がなくなった後は現在の荒川線(東京さくらトラム)で昭和53年(1978年)まで活躍し、この公園にやってきました。」

説明板です。

昭和40年代まで都内を縦横に走っていたらしい都電です。その車庫の一つがここに保存されています。「鉄ちゃん」じゃないけど、暫く経った頃に再訪したいです。

問題は、今回偶然に出逢いました。そして私が方向音痴だということです。

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