荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

新聞に促されて門仲/八幡橋と新田橋

2021年03月16日 | 散文

東京人は「門前仲町」を「門仲(もんなか)」と呼びます。 過日の夕刊にこんな記事がありました。週に1回くらい東京の街を紹介するシリーズです。門前仲町は準地元と言えます。数年前、街の中心である富岡八幡宮で事件が起きました。前宮司が当時の宮司である姉を日本刀で刺殺して、共犯者の妻をも刺殺した後、日本刀で自害して死亡しました。あれ以来八幡宮に行っていません。・・・行ってみようか、と新聞に促されて出掛けました。

 

地図の右端から訪ねます。新聞記事を紹介します。「1878年東京府(当時)の依頼によってつくられた都内最古の鉄橋。国の重要文化財」八幡橋です。」新聞のイラストと同じアングルです。まだ春は早いです。

 

橋の下を通り過ぎた場所に説明板が有ります。

 

早春の陽射しに照らされます。

 

 

 

 

女性がやって来ました。振り返ります。橋の下に食器を並べてあって、猫に餌を与えています。「それ、違法です!」

 

歩きます。馬車形のベンチが有ります。

 

遊歩道にもう一つ橋が置かれています。

 

もう使っていません。

 

旧新田橋を保存しています。

 

振り返ります。結構通る人が居ます。

 

さて、八幡橋へ行きます。ここで事件があったことを思い出しました。あれ以来の訪問です。袂にあった宮司の家は取り壊されて更地になったままです。橋に上がります。ここでも刺されたんですよね。

 

先程の遊歩道を見下ろします。かつては川だったのでしょう。今は暗きょになって、公園になっています。

 

後ろは富岡八幡宮です。八幡宮と下町を結ぶ参道の一つです。

さて、現在の新田橋へ行きます。この話、続きます。

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柳橋から、

2021年03月16日 | 散文

柳橋から神田川を見ています。神田川最後の橋です。向こうの木造家屋は小松屋の船宿です。

 

振り返えると、佃煮屋と船宿の小松屋です。

 

春の陽射しが注ぎます。

 

船宿の小松屋を眺めます。

 

小松屋から神田川を眺めます。

 

小松屋へ行きます。

 

やはり閉まっています。

 

橋の反対側に移動しました。神田川と隅田川が合流します。

 

「柳橋芸者」のかんざしです。

 

橋の袂にもモニュメントが有ります。船宿小松屋の橋の反対側です。

 

「柳橋の下を流れる神田川は、三鷹市井之頭池を水源とし、都心部を流れて隅田川へ注ぐ全長25hmの都市河川です。 この位置に初めて橋が架かったのは、元禄11年(1698)のことで、『川口出口之橋』あるいは近くに幕府の矢の倉があったことから『矢の倉橋』と呼ばれていました。 『柳橋』の由来については、

(1)矢の倉橋が矢之城(やのき)橋になり、さらに柳橋になる。

(2)柳原堤の末にあったことに由来する。

(3)橋の袂に柳の樹があったことに由来する。

このように諸説ありますが、真説は不明です。 明治維新後、柳橋は新橋とともに花街として東京を代表するような場所になり、新橋は各藩から出て政府の役人になった人々、柳橋は江戸以来の商人や昔の旗本といった人々が集まる所であったようです。 区では平成3年度に、優美な形をしたこの橋を後世に伝えるため、歩道には御影石を貼って再生しました。また夕暮れより照明の演出をして、神田川河口に架かる『柳橋』の存在感を持たせました。 平成4年1月 東京都中央区 橋の諸元 形式タイド・アーチ橋 橋長37.9m  有効幅員11.0m(車道6.0m  歩道2.5mX2) 建設年次 昭和4年12月(復興局施工)」 

 

 

柳橋の賑わいが待たれます。

 

春はまだ浅いです。

 

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