AOBATO'S PHOTO

花や鳥たちの美しさや可愛らしい仕草などを写真に修めようと奮闘中です。

メジロと暮らした日々

2013-06-05 18:29:11 | エッセー

 

許可証

 話は前後するが、その当時、私の職業は公務員であった。昔の郷愁にとらわれて、思いのままにメジロを捕獲してしまったが、思い通りに飼育を継続しても良いものかと、そのことの是非が私の脳裏の一角で燻(くすぶ)っていた。そこで、翌月曜日の午後は、自らのことでもなく、家族のためでもなく、これから家族になるであろうメジロたちのために、休暇を申請して受理された。メジロを飼うことを、どこへ問うべきかもわからずに、昼過ぎに私の居住地の管内の振興局へ電話をかけると、農業関係の担当者に繋(つな)がった。メジロを捕獲した様子を話し、飼うことの是非を尋ねると「メジロは保護鳥なので、勝手に捕獲したり飼うことは出来ないことになっています」が最初の説明であった。「5羽を捕まえて、飼おうと思うので、それにはどういう手続きが必要ですか」に対して、「先ず捕獲のための申請を行って下さい。出来れば1羽にしてください」「ペットショップではたくさんいるではないですか」「最大でも2羽にしてください」という回答であった。「なーんだ2羽だけか」と落胆していると、「飼われるのなら飼育のための申請も必要です」なんともややこしい手続きが必要なのだと思いながら、「手続きはそちらに言って申請しなくてはならないですか」「そうして頂くと許可証がそれだけ早く出ます」とのことで、電話を置くと、手続きに必要な印鑑や身分証明書と手数料を準備して振興局へ行って手続きを済ませたのであった。

 メジロを捕獲してから3日目の昼休みであった。メジロらは餌に慣れて、水槽のガラスを突かなくなったので、水槽からメジロ用の一つのかごに2羽を移した。2羽は頸から胸に至る辺りが他のものより黄色が濃く容姿(ようし)端麗(たんれい)なものにした。それは私の目利きであり良いかどうかで判断したものではなかった。悲しいかな外れた3羽のメジロたちは、私らとの辛い思いのみを残したであろうが、水槽の中から外野へと離してやった。

 メジロの捕獲と飼育のための申請を願い出てから、2週間経った頃に府から1通の封書が届いた。それには許可証2通が同封されていた。その2通の許可証を、何か特別な免許証でも取れたかの様に、絶好調の思いで開いてみて「あっと驚いた」のである。

この許可証の制度が何時に制定されたかは定かではないが、伝統文化の中心とされてきている府にあって、「捕獲許可証  ○○府第1号[メジロ]」、「飼育許可証 ○○府第1号[メジロ]」であった。数多ある府内のペットショップには様々な野生動物が販売されていたり、多くの愛好者らに飼われているであろうが、このことの審議についてはさておき、雪の日曜日我が家に食い扶持(ぶち)を求めてやってきたメジロたちによって、法と行政が噛み合っていない現状を具に知らされた次第であった。されど、およそ2週間は無許可のままで捕獲と飼育可能となった行為に対して、行政はかなり寛大であった。そして府内は勿論、他の都道府県で飼われている闇メジロではなく、我が家では、府内唯一の正真正銘のほんまもんのメジロが飼えることとなった次第である。この許可証の希有(けう)な発行により、我が家では可愛いメジロとの楽しい生活が始まったのである。メジロかごは南向きの座敷の北側鴨居にかけることにした。妻が炊事場の蛇口を開けたり、電気掃除機を動かせば、メジロたちは、その音に反応して、興奮の余り美しく高らかな鳴き声で私たちを喜ばせてくれたものである。メジロの美声のお陰で、我が家はやたらと掃除機がフル回転していたものである。家族での国内旅行では、必ず自家用車で出かけてメジロらとメジロの餌は常に同行した。鹿児島の実家にも2度同行した。このように、二人の娘たちとの4人家族にとって、日々の暮らしの中に幸福感をこのメジロたちが与えてくれたのは、紛れもない事実であった。つづく