AOBATO'S PHOTO

花や鳥たちの美しさや可愛らしい仕草などを写真に修めようと奮闘中です。

サクラヒメに癒されて

2009-12-27 22:24:20 | 



師走に入る頃リビングルームに2種類のデンドロビュームを移したら、2種類ともクリスマスに合わせるように開花しました。
写真はサクラヒメと言います。
部屋のクロスがオール白のため、写真に映えないため、テレビの画面をバックに撮ったものです。
些か、異常なほどのコントラストに、自ら苦笑しているところです。
この花の作者は伊予松山の蘭業者ですが、旨く名付けたものだと感心しています。
部屋に花があれば、心安らぎます。
妻は、粘土細工で本物のような花を作成しますが、これでもかこれでもかと部屋に飾りますが、そのお陰で部屋は、華やいでいます。
私が咲かせる花に似せようと懸命です。
なかなか、これぞと言う幸運は舞い込んできませんが、その内そうなる気配を信じながら互いにがんばっているのです。

妖艶にシャコバサボテン

2009-12-19 19:49:32 | 



玄関先に置かれていたシャコバサボテンが咲き始めました。
クリスマスが近づく頃になると咲いてくれます。
日本では咲き方がシャチに似ているからシャコバサボテンと呼ばれるようになったと何かの雑誌で読んだことがありますが、イギリスでは、クリスマスカクタスと呼ばれているそうです。
あちらでもクリスマスの頃に咲くからでしょう。
暫く、次から次に蕾が立ち上がり、いつも満開状態となりますが、満開時には、それぞれの花弁が踊り狂ったように妖艶な雰囲気をかもし出してくれます。
花時期が終わって暫く経った頃に、緑色の葉を思い切り切り落とすと、沢山の花茎が伸びて沢山の花が開きます。

大美濃という柿

2009-12-13 11:19:28 | 果実







近所のご婦人から、岐阜の友達から頂いたと、そのお裾分けで見事な柿を頂きました。
昔、生まれ育った鹿児島の実家の周りには、父が残してくれた様々な柿の木があり、その中の1本に美濃柿がありました。
戦前にどのような経路で入手したかは不明ですが、その他にも珍しい蜜柑や梨、桃に丹波栗、枇杷にザクロなど色々な果物があったものです。
お陰で、戦後の食糧不足はこれらの果物のお陰でひもじい思いをした記憶がないほどです。
果糖ばっかりで、蛋白質や澱粉の割合に欠け、今時の若者のようにのっぽにはなれませんでしたが、親の思いやりで、幸せな子ども時代を過ごすことが出来たと思っています。
写真の柿は美濃柿ですが、所によっては、大美濃、百匁柿などと呼ばれているようです。
スケールで510gもあり、とても百匁などではありませんでした。
この柿は渋柿ですが、柿の芯のあたりに少しだけ甘い部分があります。
昔は、霜の降る頃までならせておいて、良く熟してから食べていたものです。
関西では、籾殻の中などで熟させていますが、頂いた人からは、陽のさす場所に置いて柔らかく熟したら美味しくなると教えて貰いました。
懐かしい柿に巡り会えることが出来て、とても幸せな気分を味わっているところです。


おとぎりそうの仲間です

2009-12-08 23:11:27 | 






農家の庭先に黄色くて可憐に咲いて、真っ赤な実を付けている花木が目に留まり、思わず撮らせて頂きました。
名前も判らず、夜になって調べてみました。
その名は、和名が小坊主弟切(こぼうずおとぎり)といい、ヒペリカム・アンドロサエマムという外来種の一つだそうです。
椎の実ほどの小粒の赤い実は、摘めば弾けそうでピチピチと生きの良い可愛らしいものです。
やがて雪になれば、真っ先にヒヨドリが啄みにやってくるのだろうと想像しています。
そして運ばれて、どこかで新たな生命として発芽してくれることを願わずにはおれません。

幸運の迂回路

2009-12-06 14:58:30 | 






地方道で工事現場に出会い、高台の方の迂回路へ回るように指示され、些かむつっと坂を登りました。
ところが、迂回路沿いで珍しい花に遭遇したのです。
その花は、木立ダリアと言いますが、皇帝ダリアとも呼ばれていて、草丈が3mを越し、この幹の頂きに直径10数センチの優しげで柔らかそうなピンクの花が鈴なり状に咲いていたのです。
当たり前のように車を止めて、見させて貰いました。
下から覗くと天に通じるように咲いていて、しかもそろそろ雪も近いという寒空の中で咲いているのです。
まさに幸運の導きでラッキーな迂回路でありました。
ガードマンへ不満顔したことを思い出し、赤面の至りでした。

紅葉に寄せて(7)

2009-12-04 23:59:15 | 木の葉







紅葉のシーズンが終わろうとしています。
今年の紅葉は、実に鮮やかであり、例年になく私たちを癒してくれました。
後は、来秋に期待することになります。
最後の写真は、後ろ髪引かれながら写したものです。
紅葉のシーズンに至るまでは、何の変哲もない通りすがりの国道なのに、自然界はあっという間に、様変わりさせてくれました。
うっとりするような鮮やかな紅葉によって、国道の景観は見応えのある風景に彩られ、ドライバー達を心ゆくまで幸せな空間へと誘ってくれています。
私もその一人であり車を止めて、暫し散策することで、まさしく至福のひとときを味わうことが出来ました。
暫くすると木々は、落葉して辺りは冬景色に様変わりします。

紅葉に寄せて(6)

2009-12-03 17:08:32 | 木の葉








先達という表現をしていますが、この意味は学問の先輩のことを言うそうですが、その時代において修行をなして後世の人たちに深く拘わりを持つ人たちのことでもあると解釈しています。
京都や奈良は歴史の町として余りにも有名であります。
何故、有名になったのでしょうか。
今から1500~1600年以前に建てられた荘厳なる寺社仏閣の数々、それらの建物に収蔵されている国宝級の仏像や絵画の数々、これらが、京都や奈良を今日歴史的観光の都として崇められています。
しかし、それだけではないのです。
これらの名所には必ずと言っていいほど、春の桜、夏の杉苔、秋のもみじが愛でる人々をその美しさで心ゆくまで癒してくれているのです。
これらの様々な背景を今に残しているのが、優れた先達達の技であり、夢やロマンを実現させた名工達であります。
これらの歴史的な観光資源は、その建立の目的は様々でも、その技は現代人には望めそうにありません。
それだけに優れた人々の行いがあったことをしみじみと感じながら、この地での観光を楽しめる不二の幸せを味わっております。

紅葉に寄せて(5)

2009-12-01 19:37:12 | 木の葉








綺麗で可愛らしいとなれば、見るからに食べたくなるものです。
もみじとて例外ではないようです。
もみじの名所京都高尾の神護寺は、国道から急な下り坂を下りて清滝川に架かる赤い欄干の高野橋を渡り、そこから国道からは川向かいの神護寺に向かって急な階段の長い登り坂をふうふう言いながらやっとの思いで登ったところに数軒の茶店があります。
神護寺は、其処からもっともっと登ったところにあります。
私の感じでは、寺の境内よりも、その茶店辺りが紅葉が綺麗な感じがします。
その茶店では、もみじを天ぷらにして珍味だと勧めてくれます。
何でも若葉を塩漬けしていて、それを揚げているのだそうです。
お世辞にも美味しい感じはありませんでしたが、つまりは珍味だそうです。
もみじはその美しさを見て癒されるに限ります。