AOBATO'S PHOTO

花や鳥たちの美しさや可愛らしい仕草などを写真に修めようと奮闘中です。

紅葉に寄せて(4)

2009-11-30 19:14:08 | 木の葉








紅葉の名所と言われているところは、何処もいつもの年よりもみじ狩りで大賑わいだったようです。
京都の高雄を日本海に抜ける国道へ車を飛ばしたら、急カーブのために、市バスや観光バスがカーブを塞いでマイカーが止められたり、神護寺へ通じる茶店が連なる辺りでは、駐車場へ出入りする車や客引きや徒歩で散策する人たちもあって、車が停滞するなど大混乱で、こんな所に来なければ良かったと愚痴ばかり。
しかし、この道々の紅葉と里山の風景が旨くマッチしていて、来た甲斐があったなどと心変わりするほどでした。
暫く田舎道を走ったところで、餅つきの様子に目が留まり、小豆あん入りのヨモギ餅の出来立てが小腹を満たしてくれました。

紅葉に寄せて(3)

2009-11-30 00:06:17 | 木の葉







見飽きない紅葉のトンネルをくぐりながら散策していると、40~50年前にこれらの楓を植林した先達達の努力の程が偲ばれてきます。
楓に限らず桜も同様で、こんなにも美しく彩った現在の古木のことなどを想像しながら植林されただろうかと。
これらの先達のお陰で、これらの楓の木自身も、またそれを楽しませて貰っている私たちも至福のひとときが過ごせる喜びを感謝せずにはいられないのです。
私には、後世に残せる何かがあるのだろうかと、それほどの時間がないだけに自らの非力を悲観しているところです。
先達や木々に有難うという言葉しかありません。


紅葉に寄せて(2)

2009-11-27 22:16:40 | 木の葉







日本海へ向かうダム湖畔沿いの国道の糊面には、遅手で黄色の濃い楓の古木が並び、その素晴らしさにドライバー達も、暫し車を止めて緊張気味の胸中を癒している光景をよく見かけます。
葉数が多く、年中こんな彩りをした木々が並んでいるかのような錯覚を覚えるほどであります。
そんな光景を四六時中眺めながら暮らしている民家も点在しています。
可能なら、このシーズン、この辺りで暮らしてみたいなどと真剣に思うことがあります。
それだけ、素晴らしいロケーションなのです。


紅葉に寄せて(1)

2009-11-26 23:23:50 | 木の葉







花の少ない時期にあって、紅葉は樹木単位での彩りだけに、マクロ(接写)写真ではなく被写体の範囲が広がるために、構図を決めるのに一悩みします。
撮れた写真を見ながら、それに感動するようなものがあればいいのですが、なかなか満足する写真はありません。
私の場合は、私が撮影現場にいて、自然がおりなす美しさや名工と言われた先達の作品などを、そのまま写しているに過ぎません。
写真の美しさより、実物の美しさに勝るものはありません。
紅葉であれば、何でこんなに美しく色付いたのだろうか、夏からの日照時間や気温の変化が影響しているのか、パワーを蓄積するために隔年効果なのだろうかと思いながら、じっくりとその木々の変化を観察しながら写しています。
とても幸せなことと満足しています。

散りゆくもみじの如く

2009-11-23 00:56:28 | 木の葉







いよいよ、気温の低下とともに美しかった木々や山々の紅葉も落葉してしまい、冬の佇まいとなりつつあります。
紅葉した楓の木陰で若者のカップルが楽しそうに食事している風景をよく見かけました。
私にもあのような年代があって、胸をときめかしながら彷徨っていた頃が走馬燈のように思い出されてきます。
冬が迫ってくると、1年間の様々な出来ことや、し残したことなどが後追いするかのように、焦燥の渦に巻き込もうとします。
風に追われて散りゆくもみじの如く。


春夏秋冬の季節感が美しい紅葉となります

2009-11-20 20:10:35 | 






南の島には紅葉はないと言います。
北の地にはそれがあります。
夏場は南の島ほどの陽気でパワーを付け、冬になり氷点下に近い気温となれば、落葉性の木々の葉は夏場に貯えたパワーで赤く燃え尽きて、終いには落葉します。
その色合いは、木の種類や気温や日当たりの良し悪しなどで異なっています。
だから、その土地土地で紅葉の色彩、つまり美しさの度合いが異なるのです。
私の周りは春夏秋冬の季節感が実にはっきりとしています。
夏は夏らしく、冬は冬らしく氷点下10℃の世界です。
それがこんなにも、美しい紅葉を覗かせてくれています。

色付いたもみじは美味しさまでも

2009-11-18 18:51:25 | 








これらの写真は、もみじ祭の1週間前に写したものです。
本番は先週の土日に行われました。
唐突ながら、私は今頃の鯖寿司が大好きなのです。
この辺りでは、何処の家でも手作りの鯖寿司を拵えて秋の祭りを迎えています。
手作りの鯖寿司は肉厚でお米も自家産なので、実に美味しいのです。
私らは生まれも育ちも薩摩のために、鯖寿司を手作りする習慣がありません。
このもみじ祭に行けば、地元のご婦人らが手作りの鯖寿司が並んでいるのです。
鯖寿司の香りを求めて再度もみじ祭の本番へ脚を伸ばしました。
そして、念願が叶ったのです。
ところが肝心のもみじはと言えば、急冷のために半数くらいは枯れ葉とかして地を舞っていました。
もみじは、その美しさだけでなく、美味しさまでも招いてくれるのです。

こんなにも紅葉が赤い

2009-11-17 23:36:28 | 木の葉








夏場に雨が少なく、思いっきり光合成をものにした楓は、紅葉の彩りが濃いと云われていますが、今年のはまさにそれに当たります。
また、寒気が急に訪れる年の紅葉は色鮮やかになるとも言われていますが、今年はそのことも当てはまります。
赤い絵の具で塗りつぶしたように、深紅の鮮やかです。
紅葉の美しさを万葉人のように心静かに味わう心の余裕が私にはありませんでした。
凄い凄いと思いながらシャッターを押しまくりました。
そして、ゆっくり眺めたのは、パソコンでのスライドショウでした。
万葉の頃、パソコンがあれば、歌もあれほどには生まれなかったかも知れません。
今や、カメラマン以外のもみじ狩人達は、おばちゃんや若者達も携帯片手に、その場から写メールする光景をやたらと見かけます。
そんな気にさせるのも、紅葉が素敵だからこその光景でもあります。
私には、写メールする相手も無く、泣くなく車中の人となりました。




気持ちが通じているから美しく撮れるのです

2009-11-16 23:34:54 | 












花々の美しさに惹かれ、さらに元気を貰うが私と花たちとの関わりの始まりでした。
そのことは、心変わりすることなく、ずーと同じ思いであり、花を撮る時には、生のままより依り美しく撮っています。
この山茶花もそんな思いで撮ったものです。
花たちは、そんな私の気持ちがわかってくれているでしょうか。
美しく撮れていることから、多分わかってくれていると信じているところです。

茶花から付いた山茶花?

2009-11-15 20:57:38 | 






山茶花もツバキと同じように、八重咲があったり一重の花があったり、また花色も赤・桃・白色など多彩です。
ツバキと山茶花は姉妹みたいな花ですが、品種が異なるように花の特徴は、まるっきり異なっているのです。
山茶花は冬に向かって寒さの中で咲き、ツバキは春に向かって咲きます。
キーンと凍り付くような寒さの中で咲くことが出来るのは、小輪だから耐えられるのでしょう。
その点ツバキは、春の柔らかい陽気からのパワーを受けるため、大輪の花が多く見られます。
その季節季節に見合い、それぞれに美しく咲いてくれます。
花の少ない季節に咲く山茶花は、茶花に添えられます。
だから山茶花の名前の謂われが予測できます。