メジロと暮らした日々
思いがけず
80年2月の日曜日のことであった。前日から降りつづいた雪は、丹波地方に40~50センチの積雪をもたらした。ネズミモチの垣根で囲まれた平屋の小さな公務員宿舎の狭い庭の積雪は、それ以上のこんもり感があった。寝坊してそろそろ10時になろうかという頃、角形のスコップを手に玄関先の雪かきに出たところ、雪を被った垣根の小枝の中に、この辺りではめったに見かけることの無かったメジロの群れがチュウチュウと鳴き騒いでいる。子供の頃鹿児島の田舎で、飼育していた懐かしいメジロの来襲であった。久方ぶりにメジロたちを目の当たりにした私は、居間の果物かごに置きっぱなしとなっていた富豊柿を思い出した。ほどよく熟して柔らかくなっていた柿を半分に割って、垣根の内側のこんもりと積もった雪の上に置いて玄関先に後すざりすると間もなくのことであった。10数羽の小さなメジロたちが垣根の中から一目散に熟し柿を急襲し、むしゃぶりつく様に柿の果肉をつつき始めたのである。積雪のために餌にありつけていなかったのであろうか、それはまさしく怖さより食欲が勝っているメジロたちであったが、真っ白の背景に濃い目のオレンジ色、それに加えて濁りのない緑色の彼らが織りなすコントラストは、印象派の巨匠たちが描いた多くの絵画も、この生鮮な総天然色には勝るものではなく、その絶世の美しさに、私は暫し興奮気味に見とれ楽しんだものである。空腹を満たし我が家から飛び去ってしまってからも、彼らの生命維持へのすさましい戦いにも似た様が私の脳裏から離れ去ることもなく、歓喜と興奮の坩堝と化した余韻となって続くのであった。このような鮮烈な余韻の中で、私の思いは何時しか童心に戻っていたのである。強力な生命力を私の前で露わにした彼らと生を共にしたい願望が沸き立ったのである。つづく