AOBATO'S PHOTO

花や鳥たちの美しさや可愛らしい仕草などを写真に修めようと奮闘中です。

最後は興奮のるつぼ

2010-12-02 19:03:01 | 木の葉

 

紅葉を楽しむには、色づきはじめから落葉までの意識が大方の思いであろう。

落ち葉となった大方の木の葉たちはそのまま山懐で朽ちてしまってやがては木々の肥やしとかしていまう。

ところが落葉後に風に飛ばされ、最後は川の流れに静かに静かに流されながら、やがては大海へ落ちてしまう木の葉たちもある。

川に流されるうちに、木の葉たちは水分を含みみずみずしい容姿を取り戻すのである。

その姿は、辻が花を思わせる芸術作品の様相とかして川面に最後の勇姿をちりばめているのである。

ファインダーを覗く私は、様変わりした木の葉たちの状景にひれ伏し、魔界をさまよっている様な心地となり、興奮のるつぼからさめやらない。

 


落葉の造形美

2010-12-01 00:20:17 | 木の葉

 

京都市左京区にあり、長谷川東伯の壁画などの展示で知られる智積院の境内で見かけた落葉の

風景である。

日頃から参拝者の多い寺院ならではの光景でもある。

落葉の様こそが最後の見納めと決め込んでいたが、智積院のそれはさすがに文化の施しがなさ

れ、落葉後の紅の造形模様が紅葉の美しさの余韻が醸し出されていた。

内堀外堀様の落葉が吹き飛ばされないような施しがなされ、心憎い配慮である。

あごの疲れもなく、華麗な紅葉であったであろうと、足下のうずくまった落ち葉から思いを巡らせな

がらの散策であった。

 


美しさに感涙

2010-11-25 23:19:58 | 木の葉

 

桜の時もそうであったが、色鮮やかな楓の林立する名所に立てば、良くもこんなに赤々と色づい

てくれたものだと、感激のあまり感涙にむせびそうになる。

この素晴らしいロケーションに佇めば、暫しこの場から離れがたい気がしてならない。

寒風などどこ吹く風である。

1週間もすれば、この美しさの状景は、木枯らしの訪ずれがもとで落葉して真っ赤な絨毯とかして

一面を染めてしまう。

踏みしめがたい絨毯の上に立つと、思わずそっと「ありがとう」の言葉を連呼したくなる。

 

 


最後のインパクト

2010-11-24 22:55:51 | 木の葉

 

蝋燭が燃え尽きる直前は炎が大きくなる。

燃えさかる紅葉も落葉直前の光景である。

このような現象は自然界の現実の光景である。

私が永久の眠りにつく前には、このような残照がごとき光を放せるだろうか。

それには、今日の学びを積み重ねるしかないのであろう。

 

 


紅葉まつり

2010-11-23 13:01:34 | 木の葉

 

紅葉の名所では「もみじ祭」の幟を立てて、観客を呼び込もうとしています。

日本では昔から、春の「桜祭り」に晩秋の「もみじ祭」として、いずれも植物の季節的な営みの風情を人々は自らの楽しみとしてきています。

本来は、楓など紅葉する樹木自体の祭りなのです。

話は脱線しますが、春に海から遡上して成魚に育った鮎たちは、秋になると一斉に河口近くへ下り産卵を始めます。

1尾の雌鮎に20尾ほどの雄鮎たちが新たな生命の誕生のために、壮絶な営みを繰り返し、産卵を終えるとともに死に絶えてしまうのです。

鮎たちにとってこの営みの姿こそが、まさしく祭りなのです。

木々の紅葉もまさしく鮎のそれと同じで、春の芽吹きから光合成で樹木本体の成長を支え、やがて低温とともに光合成が止まり、木の葉に残った色素た

ちが赤々と燃えさかる紅葉こそは、つまり木の葉たちのまつりなのです。

だから私は紅葉を愛で感動するのです。

 

 


今年の紅葉は素晴らしい

2010-11-14 17:29:40 | 木の葉

夏が猛暑で、急冷で晩秋が訪れる年の紅葉は鮮やかで美しいと言われています。
今年の紅葉はどこに愛でても、まさしく鮮やかさの見本みたいに素晴らしい彩色を醸し出しています。
華麗な紅葉を楽しませてくれる樹木たちにとって、今年は良い年であったであろうと、私までうれしくなります。
色鮮やかであることは、色づく頃までの葉っぱが健康で傷がなかったからです。
今年はいつもより10日位い色づきが早いようですが、まだ緑鮮やかなモミジもあります。
今月いっぱいは、私の心を弾ませてくれること請け合いです。
人は動植物、万物によって生かされていることを実感せずにはおられません。

紅葉に寄せて(7)

2009-12-04 23:59:15 | 木の葉







紅葉のシーズンが終わろうとしています。
今年の紅葉は、実に鮮やかであり、例年になく私たちを癒してくれました。
後は、来秋に期待することになります。
最後の写真は、後ろ髪引かれながら写したものです。
紅葉のシーズンに至るまでは、何の変哲もない通りすがりの国道なのに、自然界はあっという間に、様変わりさせてくれました。
うっとりするような鮮やかな紅葉によって、国道の景観は見応えのある風景に彩られ、ドライバー達を心ゆくまで幸せな空間へと誘ってくれています。
私もその一人であり車を止めて、暫し散策することで、まさしく至福のひとときを味わうことが出来ました。
暫くすると木々は、落葉して辺りは冬景色に様変わりします。

紅葉に寄せて(6)

2009-12-03 17:08:32 | 木の葉








先達という表現をしていますが、この意味は学問の先輩のことを言うそうですが、その時代において修行をなして後世の人たちに深く拘わりを持つ人たちのことでもあると解釈しています。
京都や奈良は歴史の町として余りにも有名であります。
何故、有名になったのでしょうか。
今から1500~1600年以前に建てられた荘厳なる寺社仏閣の数々、それらの建物に収蔵されている国宝級の仏像や絵画の数々、これらが、京都や奈良を今日歴史的観光の都として崇められています。
しかし、それだけではないのです。
これらの名所には必ずと言っていいほど、春の桜、夏の杉苔、秋のもみじが愛でる人々をその美しさで心ゆくまで癒してくれているのです。
これらの様々な背景を今に残しているのが、優れた先達達の技であり、夢やロマンを実現させた名工達であります。
これらの歴史的な観光資源は、その建立の目的は様々でも、その技は現代人には望めそうにありません。
それだけに優れた人々の行いがあったことをしみじみと感じながら、この地での観光を楽しめる不二の幸せを味わっております。

紅葉に寄せて(5)

2009-12-01 19:37:12 | 木の葉








綺麗で可愛らしいとなれば、見るからに食べたくなるものです。
もみじとて例外ではないようです。
もみじの名所京都高尾の神護寺は、国道から急な下り坂を下りて清滝川に架かる赤い欄干の高野橋を渡り、そこから国道からは川向かいの神護寺に向かって急な階段の長い登り坂をふうふう言いながらやっとの思いで登ったところに数軒の茶店があります。
神護寺は、其処からもっともっと登ったところにあります。
私の感じでは、寺の境内よりも、その茶店辺りが紅葉が綺麗な感じがします。
その茶店では、もみじを天ぷらにして珍味だと勧めてくれます。
何でも若葉を塩漬けしていて、それを揚げているのだそうです。
お世辞にも美味しい感じはありませんでしたが、つまりは珍味だそうです。
もみじはその美しさを見て癒されるに限ります。

紅葉に寄せて(4)

2009-11-30 19:14:08 | 木の葉








紅葉の名所と言われているところは、何処もいつもの年よりもみじ狩りで大賑わいだったようです。
京都の高雄を日本海に抜ける国道へ車を飛ばしたら、急カーブのために、市バスや観光バスがカーブを塞いでマイカーが止められたり、神護寺へ通じる茶店が連なる辺りでは、駐車場へ出入りする車や客引きや徒歩で散策する人たちもあって、車が停滞するなど大混乱で、こんな所に来なければ良かったと愚痴ばかり。
しかし、この道々の紅葉と里山の風景が旨くマッチしていて、来た甲斐があったなどと心変わりするほどでした。
暫く田舎道を走ったところで、餅つきの様子に目が留まり、小豆あん入りのヨモギ餅の出来立てが小腹を満たしてくれました。