AOBATO'S PHOTO

花や鳥たちの美しさや可愛らしい仕草などを写真に修めようと奮闘中です。

寒がり猫様の特別席

2010-12-19 22:16:45 | 

我らがためのストーブであるが、常に猫様が特別席を占有している。

このように近接して暖を取るなんぞは、人には熱すぎて出来ない。

このようなときの猫の体温はかなり高いはずである。

暖を取るより猫を抱いている方が心地よいのはそのせいのようである。

 

 


猫君ハンティング中にゴメン

2010-12-16 18:23:26 | 

 

写真の猫ちゃんは、かなり不快感で私を睨んでいる。

草の陰に隠れてじーっと静かに堪えて獲物が近づくのを待っているのに、その前に獲物が真っ先に逃げかねない人影が現れたことに、憤慨しているのである。

私が猫に気づいたときは、前屈みであったが、姿勢を変えた。

猫の気迫に悪い悪いと声かけながらその場を引き返えざるを得ない私が屈したのである。

 

 


お世話になり感謝

2010-12-14 23:50:14 | 

人は時に病になる。

そのようなときに、手助けしてくれるのが、医師であり、ナースであり、家族である。

彼女はナースであり、臓器移植担当のコーディネーターである。

病院と患者会とのつなぎ役として常に適切な活動で、患者会から感謝されているが、この度かかる職場を辞する旨の連絡を受けた。

突然のことで大変意外であったが、これからの彼女にとって佳き人生が確約されているであろうと、「おめでとう」の意を込めて感謝の念でいっぱいである。

そこでおこがましい限りであるが、花の写真を貼り付け、お礼としたい。

 

 

 


懸崖に目を回す

2010-12-08 00:18:11 | 

 

役所の玄関に見事な菊の懸崖が飾られていた。

おそらくかなり年配の作者の作品であろうと勝手に想像を巡らしながら、数枚の写真を撮らせて貰ったがその一枚である。

作者がこの懸崖を咲かせるために夏場は、毎日欠かさずに手入れをしなから形を整えてこられたであろう。

用土作りから苗作り、順調に生育させるために、肥やしや水やりなど手塩にかけた労作でもあろう。

この美しさを拝見していると、作者のそうした菊への気配りが手に取るように浮かんでくる。

愛情をかけねば、このように美しくは咲いてくれまい。

この懸崖の全景はとてもバランスにも富み、ほぼ同時開花が実に素晴らしい。

個々の花弁の形は、風車のようでなかなか目を離せないが、仕舞いには目を回しそうになった。

こんなにも咲かせてくれた作者に感謝感謝である。


寒風に負けじと皇帝ダリア

2010-12-07 00:21:26 | 

 

紅葉真っ盛りの初冬に草丈3mもある皇帝ダリア(木立ダリア)の優しい花に出会った。

直径が20cmもある大輪で、見応えがある。

郊外の農家で道ばたに沿ったところにこの花は咲いていた。

春から夏にかけて咲くダリアとは草丈も花弁の大きさも桁違いに大型である。

花色からは春咲き種をイメージさせるだけに、花たちの多様性を再認識させられた。

これまでも霜に打たれ、さらに凍結のシーズンとなるのに、花は咲き始めで蕾を沢山付けている。

雪に見舞われることを想像すると、何となく哀感を覚えるのである。

 


最後は興奮のるつぼ

2010-12-02 19:03:01 | 木の葉

 

紅葉を楽しむには、色づきはじめから落葉までの意識が大方の思いであろう。

落ち葉となった大方の木の葉たちはそのまま山懐で朽ちてしまってやがては木々の肥やしとかしていまう。

ところが落葉後に風に飛ばされ、最後は川の流れに静かに静かに流されながら、やがては大海へ落ちてしまう木の葉たちもある。

川に流されるうちに、木の葉たちは水分を含みみずみずしい容姿を取り戻すのである。

その姿は、辻が花を思わせる芸術作品の様相とかして川面に最後の勇姿をちりばめているのである。

ファインダーを覗く私は、様変わりした木の葉たちの状景にひれ伏し、魔界をさまよっている様な心地となり、興奮のるつぼからさめやらない。

 


落葉の造形美

2010-12-01 00:20:17 | 木の葉

 

京都市左京区にあり、長谷川東伯の壁画などの展示で知られる智積院の境内で見かけた落葉の

風景である。

日頃から参拝者の多い寺院ならではの光景でもある。

落葉の様こそが最後の見納めと決め込んでいたが、智積院のそれはさすがに文化の施しがなさ

れ、落葉後の紅の造形模様が紅葉の美しさの余韻が醸し出されていた。

内堀外堀様の落葉が吹き飛ばされないような施しがなされ、心憎い配慮である。

あごの疲れもなく、華麗な紅葉であったであろうと、足下のうずくまった落ち葉から思いを巡らせな

がらの散策であった。