AOBATO'S PHOTO

花や鳥たちの美しさや可愛らしい仕草などを写真に修めようと奮闘中です。

猫の心意気

2013-07-11 17:18:05 | 

 

24.グッドラック

 人生って、色々あると良く聞くことがあるけれども、猫の一生も、あたいみたいに野良の場合は、とくに色々な経験をして、様々な事柄を勉強出来たと思っている。

 あたいらには、生きる目標がはっきりしているのよ。自分らの種を未来永劫に守り抜くという使命感は徹底しているのよ。そうでないと猫族はこの世界から消滅してしまうことは、あたいらの合い言葉でもあるのよ。そうならないために、生ある限り生命維持のための食料調達を日夜欠かすことは許されないのよね。野良社会では自然界、野生でそれぞれ自らで調達しなければならないのよ。おじんが難しいこと言っていたが、食物連鎖などと、そうなのよ、あたいらはいつもそのことを意識して食うか食われるかの生活を末代永劫に続けなくてはならないのよ。そのために、前にも言ったけど、野良社会はおかんから受け継いだ、ライフワークの基本を忠実に守っていれば心配はないの。

 おじんは、わしらは生きる基本が支離滅裂だと、心配していたっけ。あたいは良く思うんだけれど、おじんらは、あたいらとは脳の構造が違っていて、IQと言うのが比較にならないくらい高いらしいけれど、だったら、あたいらのとは比較にならないくらい、充実した理念が人社会に浸透しているはずだと単純に思ってしまうけどね。余計なお世話だけど。

 あたいらには、はっきりした使命感があるから、雄どもは種を残したとして勝手に見知らぬ猫になりさがるのよ。仕方ないと思っている。あたいなんかは人様みたいに贅沢や自分だけ良ければと言う社会じゃないから、人様の世界が滅亡しても、あたいらはこの世に生き残れると思っているのよ。      

 おじんがよく言っていたよ。食糧難の時代の到来とともに、我らは生存競争が激化すると。何故ならば、人様の世界は金持ちになることを使命感と勘違いしていて、質素でも良いから千年万年先の子孫のことを考えた生き方をするための守り事が、何にもなく、自分らが幸せであれば、将来も子孫も幸せだと勘違いしている。だから、外国のように千年先の環境を今から守るという考えなんかは、全く眼中になくて、近代化近代化などと目先のことばかり考えていると。

 あたいは、4年の俳諧暮らしを終えて、O牧場でお産して、時折おじんところへ出掛けるようになり、あたいの子らが、おじんちをテリトリーにし始めたものだから、ミーコらは野良の仁義を重く見て、いつの間にかおじんちを去ってしまったの。それから暫くして子らが餌取りをマスターした97年の秋の気配がする頃のことだったけれど、おじんらの様子がなんだかおかしいと思っていたら、案の定、おじんらがどこかへ転居して行ってしまったのよ。あたいらは家族と思っていたのに。おじんとおばんはその朝、生のかしわの切り身や唐揚げといつもの乳入りの猫まんまをあたいらに出してくれたのよ。おばんらもあたいらのことを、家族と思ってはいてくれたんだと思いながら、いつもは子らだけに食べさせていたけれど、かしわの切り身だけはあたいが平らげることにしたのよ。初めてのご馳走だったので、美味しかったわ。でもね、でもね、その後は残念ながら、おじんらとの付き合いは途絶えてしまったのよ。

 その後、おじんらも、なじみのないところでどんな暮らしをしているのやら、気がかりだけど。縁が有れば徘徊の途で再開できることを願っているところなのよ。それにしてもおばんの猫まんまは元気の素だったのになぁ。了

                            


猫の心意気

2013-07-10 19:11:28 | 

 

23.我慢暮らし

どこかで聞くことがあったけれど、人の世界ではシングルマザーとかバツ1やバツ2などと父親のいないうちが増えているそうだけど、あたいらはそれが当たり前なのよ。一人での子育ては、苦労が付きものだけれど、初手から旦那のいない暮らしが当たり前のあたいらは、子育てが暮らしを脅かすことは無いけれど、人はそうはいかないのよね。それはね、あたいらが暮らすのにお金がいらないということよ。そんなややこしいことあたいらには、縁がないのよね。やったり貰ったりする風習などいらないから野良暮らしが出来るのよ。やったり貰ったりは、あたいらの場合はルールを守って愛有る子育てをすることなのよ。それ以上のことなど有りようがないのよ。

 でもいいよね、シングルマザーのお母ちゃんたちは。だって鼻付き合わせて相手を確認する必要もなく、太郎君とか花子などと名前を呼んで、自分の意志を確実に告げられるんだものね。言葉があるんだから。それに年々生活環境は、ライフラインであったり福祉や教育など充実しているし、生活し易くなっていると聞くことがあるのよね。

あたいらみたいに、欲を出さず、普通に暮らせるなら、楽な生き方出来ると思うわ。大体近頃は、一寸したことでも我慢が出来ないらしいね。我慢したら、時代に遅れるなんて、大きな勘違いをしているらしいのよね。我慢することで、経費を節減できたり、我慢した末の大願成就などは、人生を左右するくらいの喜びを味わえるのにね。何にもマイナスのことなどないのよ。

おじんが子供の頃の話しをしてくれたが、隣の子が子供自転車買って貰ったので、自分にも買ってほしてと親父にねだると、「よしわかった。今度子牛を売ったら買ってやるからね」と言われ、仕方ないとそれまで待つことにしたというの。ところが、子牛はまだ母牛のお腹に宿っていなくて、それから妊娠させて、子牛が生まれるのは10ヶ月後、やっとの思いで生まれても、子牛を市場に出すには、それからまだ10ヶ月後のことであったというのよ。おじんらはそんな我慢をしながら育ったそうなのよ。自転車買って貰った時は、それはうれしかったそうなの。あたいにもよくわかるわ。

 あたいの我慢と言えば、生んだ子らに野良社会での生活力を付けてやるんだけど、そのカリキュラムの全てを習熟してくれるまで、繰り返し繰り返し鍛錬させることなのよ。やがて全部の子らに合格証を授与した時は、あたいも子らも、それまでの苦労など素晴らしい達成感が得られ、それはもう興奮のるつぼにはまっちゃのよ。


猫の心意気

2013-07-09 18:18:33 | 

 

22.人と猫、どちらが生き残れる? 

あたいは考えたこともなかったけれど、おじんはね「この世に最後まで生き残れるのは、おまえら野良猫だろうか。それともわしら人間だろうかな」と自信無さそうに言いながら、「わしが思うに、答えはおまえらだよ」と言うのよ。

今ね、人間社会は食糧難の時代になっていて、飢えに苦しんでいる国々があるらしいのよ。世界には72億の人がいて、毎年1億人ずつ増えているらしいの。30年経たないうちに100億人になると言うのよ。凄い人口だよね。人口が増えれば、食べるだけの人が増えて、食べ物を作る人の割合は減ると言うから気になるのが食糧だよね。

 世界中の食糧基地と言われている多くの大国は、車なんかが開発されたお陰で、温暖化というのに悩まされているらしいのよ。人類は工業化など科学技術を発展させたと喜んでいるようだけれど、おじんの言う「つけ」が温暖化を招いてしまっていて、言うならば、自分らで自分の首を絞めているようなものだと、おじんは言っていたよ。それらの国々では、砂漠化が広がったり、過去になかったような気象異変ででかい台風や豪雨、それに竜巻などが起こり、食糧を作付けする面積がかなりの速度で減少しているそうなのよ。

 日本の人らは、アメリカやロシアや中国などは食糧大国だと思いこんでいて、何も心配していないらしいけれど、この様な国々も実は、食糧の輸入国らしいのよ。 

 景気が悪いの、株価がどうのと世界中で空騒ぎしているようだけど、おじんの話を聞くうちに、日本は大丈夫なのかなぁと心配になってきたよ。おじんが言うように、30年後には餓死者が出るようになると言うことも、まんざら絵空事ではないのではと、あたいでさえ胸騒ぎがしてきたの。そうなったら、チャペル君らどうなっちゃうんだろう。人ごと、いや猫ごとではないわ。人さんらがいなくなれば、環境が変わったり、身近な問題として残飯が無くなるのよね。そうなったら、あたいらにも大きな問題なのよ。

 でもね、そんなことにならない国だって有ると、おじんは言っていたよ。フランスという国らしいのよ。フランスはね、日本と違って、何事でも100年先や1,000年先のこと、つまり、そんな先の時代の人々が安心して豊に暮らせるような手だてを、国が国民と一緒になって考えて、具体的に備えているというのよ。おじんのいる国は何かが起きてから慌てているらしいけれど、フランスなどは、それが起こらないように備えているというの。だからね、パリという華やかな文化都市があるらしいが、そのパリから少しだけ郊外へ向かうと、あっと驚いてしまうほど、その辺りは見渡す限りの小麦畑が広がっているというの。国中にこの様な畑が広がり、フランスの食糧自給率とかいうのは140%だというのよ。これが国力というものだとおじんは言っていたよ。日本はね、それが僅かに38%位いで、近いうちにはT??何とかという外国との協定が結ばれれば、さらに低くなって25%に下がると、国の役所自信が言っているそうなのよ。そうなれば次第に国力は乏しくなり、穴のあいたバケツみたいになり、見ていられない状況だとも言っていたけど、フランスとは偉い違いよね。

 こんな深刻な状況がすぐそこに迫っているというのに、日本人は、人受けしたいがために、安心安全で豊かな社会を作ると言っているようだけれど、そんな話しをし始めて、もう何十年経ってしまったか。つまり未来どころか不確実さが増していて、何時まで経っても、出るご意見通りにはならないは、火を見るよりも明かと、おじんは言っていたよ。おじんは、生きて行かなくてはならないから、委員らが唱えてる目先のことを否定する訳じゃないけれど、1,000年先のことも同時に考えないと、日本沈没という映画があったけど、地震が起こる前に「つけ」は忘れることなくやってくると思うのよ。おじんの話を聞いているうちに、人様の将来のことが、はっきりやばくなる様な気がするのよ。

 あたいは算数は習っていないけれど、こんな将来が見えてきたからには、おじんが言う通り、あたいらの世界が生き残れるか、人の世界が生き残れるかは、考えるまでもなく、あたいらの勝利というものよ。「わが野良猫軍団は、永久に不滅です」これぞあたいらだけに言える名言だよね。にゃん。


猫の心意気

2013-07-08 23:39:43 | 

 

21.人社会、日本も大変らしい

 あたいら野良猫は、まず飢え死にすることはない、つまり餓死することはないのよね。この世に生まれたあたいらは、衣食住に困ることもないのよ。前にも言ったことがあるけれど、人様、つまり人類には生きていくのには、お金というものがあって、お金をどれだけ稼ぐかでランク付けされるらしく、生きることが複雑でややこしいらしいのよね。その点、あたいらは、野生味豊かで新鮮な食材を、無償で頂けているの。猫社会には地位向上だの電気がどうのこうのというようなややこしい社会問題を気にかける必要はないし、食糧確保という連帯責任を果たす必要もないのよ。ただ食っちゃ寝食っちゃ寝を繰り返すことで、体力が維持出来ているの。あたいらの責任というのは、子らを生んで子育てをすることぐらいなものなの。だから超単純な暮らしが続けられると言うことが最高な暮らしというものなのよ。

 おじんが時折こぼしていたけれど「わしらは賢くないと暮らしていけない」とか「複雑怪奇な世の中だ」とも言っていた。学級委員みたいな人が国を動かしているらしいけれど、その人らが素直で賢ければ、みんなの暮らしが良くなったり、将来生まれてくる子供たちも安心して豊に暮らせる社会を作ってくれるらしいけれど、選挙目当てとか、お金持ちになりたいために学級委員になっている人が国を動かせば、国は消えて終うとも言っていたものよ。

 おじんが超心配していたことがあったのよ。学級委員みたいな人らが、今は世の中の暮らしを良くするためだと言って、車やカメラや携帯などを次から次に作って、国の内外に売ることが国への貢献だと大口を並べていると言うの。そして僅か2~3%の生産額の農業は見捨てて、食糧は海外からなんとでもなるという政策を、輸出産業界と結託して進めているというの。そのために諸外国と仲良くしていく方針らしいのよね。

ところがね、おじんが言うには、こんなんは、目先の考えであって、少なくとも100年や1,000年先のことは何にも念頭になく、難しい言葉だけど、自己中心的な発想だと言うんよ。あたいには全く理解できない考えだけれど、おじんは眼を真っ赤にして言うんよ。そんな様子を見ていると、おじんがいい加減なことを言っているようには思えないのよね。そしておじんは、日本人は30年もしないうちに、餓死する人が増え始めるというのよ。


猫の心意気

2013-07-07 12:46:45 | 

 

20.危険 

 孫らが事故にあって、猫社会のことを知らないうちに逝ってしまったことは、親のミコやあたいの性なのよね。野生で生きているいろいろな連中だって、そう言うことを起こさないための学習を、いやという程受けているはずなのに、事故は不意に起きてしまうのよね。

 あたいらは、野良の生き方を学ぶ傍らで、おじんやおばんのような動物好きの人らとも関わらなければならないのよ。二つの社会を理解して生きていかなければならないのも事実なのよ。考えようによっては、その分、あたいらは賢く生きていけることでもあるのよ。あたいらの日常生活の中では、油断しても良い時と出来ない時の切り替えが非常に重要なのよ。例えば、おじんらと遊んでいても、極端な猫嫌いの人がやってくると、いきなり石ぶっつけられたりするのよ。それが命中すれば、あたいは即死するかもしれないのよ。人間社会はそんな危険をはらんでいるのよね。人を見たら猫殺しと思えと教えられたもんよ。だから、見知らぬ人や動物に遭遇したら、まず100%身構えることにしているのよ。あたいらには生き死にの問題だからね。生まれて漸く目が見えた頃、人に触られたら、子猫は必ず、威嚇して逃げようとするのよ。それでも手に取られたら、死にものぐるいで、抵抗して爪を立てて相手に傷を負わせることだってするのよ。それがあたいらの護身術だから。こんな具合で、あたいらは危険を未然に察知できるように、おかんから野外学習で実践しながら教えられるの。この様にしてあたいらは、巣立っていくまで、親子が離ればなれにならないように、いつでもおかんに見守られているのよ。おかんはあたいらの性格や行動能力や危険を回避する能力をしっかりと把握しながら、落ち度が有れば、それを身につけるまで、繰り返し繰り返し教えてくれるのよ。

 おじんらの社会は文明社会というらしいけれど、学校という、あたいらにはうらやましい学舎があって、みんなでいろんなことを学習していると聞いたことがあるの。そんな学校で、あたいらには想像だに出来ない、いじめや自殺というのがあるらしいのね。あたいに言わせれば、親子だったり、学校の教える人と教えられる人とのコミニュケーションの欠如というもんよ。おかんもそうだったけれど、あたいも子らが何を悩んでいるかどうかは、顔色見れば即座にわかるのよ。だって毎日毎日会話しながら様子を把握していたら理解できない方が問題だものね。おかんから子のハートが見抜けられないなら親の資格無いと言われたもんよ。そう言われれば、あたいも真剣に子らの身になって、話を聞いてやったり、怒ったり褒めてやったり一生懸命だったのよ。自分のこともあるけれど、子らの幸せのために様々な危険を予見して守ることにしているのよ。


猫の心意気

2013-07-06 11:06:39 | 

 

19.不手際

 4年ぶりに帰ってきたら、ミーコらが未だ居着いていたことが、何か不手際だったと始めに話したけれど、そのことをここで触れておきたいの。

 実は、あたいがおじんちを出てから、ミーコは4匹を抱えて必死に子育てをしていたの。おじんらの住む草畑の先には、大きな国道があって、その向こう側には、ある食品会社があって、出汁を作っている工場があるの。東からの風がある日には決まったように、そこから鰹節の美味しい匂いがしてくるのよ。その夜も、その匂いが漂っていたが、子らを独り立ちさせようと、ミーコはみんなを引き連れて、その匂いに誘われるように工場に向かって出て行ったの。そして、夜の10時頃のことだった。たまたま釣りに出かけたおじんが帰宅直前で、国道から右折しようとした瞬間のことだったらしいの。右折しようとする左側にその食品工場があり、その国道上で次々に事故にあった子猫に気付いたのよ。そのまま右折したところに車を止めて、事故現場の国道に引き返してみると、もう何の形をも成していない3匹の子猫の悲惨な姿が国道上に横たわっていて、ミーコがガタガタと体を震わせ左右にうろたえながら、近くで見守っていたらしいの。国道を渡っていた一家が、何者かの車の犠牲になったというの。おじんは、痛々しい姿になった3匹の遺体を手にとった。その時、彼らは既に体温を無くし、事故から暫く時間が経っていたと、おばんに話したという。おじんはその様子に声を荒立てながら、「何でこんな危ないところに子猫らを連れ出したんだ」とミーコを責めたという。理由のわからないミーコも被害者なのに、おじんの嘆きも一筋縄ではなかったのよね。そのような思いをしながらおじんは、ミーコとどこかに避難している子猫を置いたまま、自宅近くに連れ帰ってきた。生き延びた1匹の子猫は少し離れた畑の中に逃げ延びていたらしいの。ミーコも生き残った子猫もそれは放心状態だったそうなの。おじんは、ミーコらが帰り着くまでに、畑近くの空き地に、スコップで穴を掘って、ワラを敷いてその上に形を成さない3匹を一緒にして丁重に置いて、上からワラで覆い、その上から土を40センチくらい被せて、外部から匂いがわからないように、お墓を作ってやったの。浅く埋めれば、狐や野良犬らが匂いを嗅ぎつけて掘り出してしまうから、深く埋めてやったそうなの。おじんもおばんも、ミーコ一家もそれはショックの出来事が起きてしまったの。これは、ミーコの不手際だった。国道の怖さをミーコは甘く見ていたのかもしれないの。危険をはらんでいたことはわかっていたはずなのに。生まれて2ヶ月程度の子猫には、この怖さを理解させようにも不可能なことだったのよね。そのような判断能力と俊敏さは、まだ備わっていなかったはずなのよ。ミーコは子育てを焦ったのだろうけど、後の祭りだった。

 暗い夜道に慣れない猫らは、危険が起きても対処の方法は会得できないはずなのよ。暗い夜道に車の明るいライトが近づくと、目の焦点を失って、身動きが出来なくなるのよ。だから、狸や鹿なんかも、同じような被害を受けているの。あたいには、孫の悲劇であったけれど、それを知ったのは4年後のことだったの。

あたいはその工場に行ったことはなかったのよ。あたいが徘徊の旅に出てから出来た工場だったから。世の中が日に日に変化して、あたいらのルールになかった環境の変化が起きているのよね。危険と言えば、それもこれも含めて教えるべきだったのかもしれない。悔いが残ってしかたないの。この出来事が遭ってから、ミーコもショックから暫く立ち上がれず、ショックを受けたシロの教育にも徹底できなかったことが想像できるのよ。あたいもショックだけど、今は、娘と孫の親子が生き延びてくれたことを由として、あげなければとつくづく思っているの。野良の世界のルールも、環境の変化とともに、知識を広めていかなければ、生き残れない時代になった気がしているの。このことは、生き物の全てに言えることなのかもしれないとあたいは思っているのよ。あたいの身内にこんなことが起きることなど、想像もしていなかったけれど、これが現実なのよね。


猫の心意気

2013-07-05 19:26:07 | 

 

18.おかんのルール

 それにしてもあたいのおかんは、しつけが厳しかった。あたいら4匹に平等に心をかけてくれたのよ。おかんのオッパイの数は、沢山あったけれど、あたい達は始めから決まった一つのオッパイだけ与えられていたんよ。他のオッパイを吸うと、おかんは直ぐに起きあがってオッパイを飲ませてくれないの。だから自然に自分だけのオッパイが決まっていたの。これが自分のおっぱいだとすぐわかるのは、しつこくおかんに位置関係を教えられたのよ。まだ子猫なので、よく間違えるのよね。そんな時はしばらく無視して飲ませてくれないのよ。厳しく何回も何回も訓練を受けたお陰で、難なく自分のおっぱいをものに出来たという訳よ。

 お天道様が西の方へ隠れて暗くなると、おかんはあたいらを置いてどこかへ出かけてしまうの。それも毎晩毎晩。何しに出かけるんだろうかと寂しかったものよ。それでも朝目が覚めると、おかんはあたいらを抱えるように眠っていて、あたいらは、眠っているおかんのおっぱいをかってに飲んだものよ。始めはおっぱいだけだったが、おばんちに来てからはいつの間にか、おばんが毎日牛乳をお皿にくれるようになった。

あたいらがミルクをぺろぺろ舐められるようになった頃から、おばん得意の猫まんまのお出まし、出汁のきいた猫まんま、始めは塩味がして変わった味だったけれども、その変わり味が、食欲をそそったもんよ。みんなで初日から全部平らげてしまったの。

おばんが出してくれる猫まんまのことだけど、あたいらはこれを食べるルールがあるんよ。最初は出汁だけをぺろぺろ舐めるんよ。汁ものは飲むんじゃなく、ミルクと同じように舌でぺろぺろと汁がなくなるまで舐めるようにしてたいらげ、次に漸くご飯粒や具をたべるのがルールなんよ。

ところが、おかんは、ミルクや猫まんまを勝手に食べさせてくれなくなったの。4匹同時に食べていたのに、一匹ずつ順に、食べさせられたのよ。そこそこ食べ終えたら、次の順に変わると言うやり方になったの。その翌日は、前の日2番であった兄姉が、1番目となり、1番だったのが4番目になると言う具合となったのよ。おかんに厳しくしつけられたの。それが毎日となると、それが当たり前になったのよ。後で気が付いたことだけど、この交互に食べるやり方は、あたいらへのおかんからの愛のあかしだと言うことがわかったのよ。おかんが生まれた時も、同じようにされたらしく、これは猫社会のルールとでも言うやり方らしいの。あたいらが、みんな同じように育つために、分け隔て無く育てる工夫だというの。あたいもこのことを学習したからには、忘れることなく覚えておいて、自分の子育てに応用しちゃおうと思ったものよ。それからは、おかんが捕ってきてくれる鳩やカエルなども、同じように交互に決まった順番で食べるようになったの。

おかんの教育と言えば、食べ物のことだけではなかった。始めて餌をとるのを覚える時や、木登りを覚える時も、うんちを土で隠すことも、はじめは、おかんがあたいらに見本を見せて、それらを覚えるまでは、常に一緒に教えてくれたり、少し出来るようになれば、あたいらをお腹の上に抱っこして、頬づりしてくれるのよ。それが実にうれしいものだったんよ。そのたびに、あたいらは次の段階へと毎日毎日がんばることが楽しみになったものよ。

お陰であたいもみんなも全員同じように育ったの。あたいらのルールは徹底しているのよ。人間様もこんな厳しいしつけを見習ったら、と言ってやりたいもんよ。このルールこそが、野良特有の生きるためのルールなのよ。考えてみれば、この世にいける者たち全てに通じる極当たり前のルールのような気がするのよね。


猫の心意気

2013-07-04 18:19:04 | 

 

17.おばんとの出合い

 あたいの生い立ちは、前にも言ったけど、おじんが仕事している大きな牛小屋の二階があたい達4匹の生まれた場所だけれど、生まれて20日ぐらい経ってあたいらの目が見え始めたら、おかんに一匹づつ首根っこをくわえられて、見知らぬ家の縁側にあった段ボール箱の中に連れてこられたのよ。その次の日の朝、おかんがどこからか帰ってきたので、おっぱいがほしくてみんなでにゃーにゃーと一斉に鳴いてしまったのよ。そしたらあたい達の泣き声に気づいたおばんに見付かってしまったの。おばんに見付かった時は、それは恐かった。捕って食べられるのではと、直感的に「ぷーぷー」と威嚇して抵抗したもんよ。それなのにおかんは以外と知らん顔で、平気でおばんと仲良くしていたのよ。「赤ちゃん生んでいたのか」とおばんは、皿に牛のミルクを一杯入れて、段ボール箱の横に置いたの。始めはおっかなくってお皿さえも恐い感じがしたれど、そのうちおかんがそのミルクをぺろぺろしながら全部舐めてしまったの。おばんは「ミルクをいっぱい飲んで、子猫らのおっぱいをたくさん出してあげてよ」と言っていたの。この時があたいらとおばんとの出会いだったのよ。それから毎日ミルクを置いてくれるので、おかんは美味しそうにぺろぺろとなめるのよ。そんな時、旨そうな匂いがするものだから、おかんが舐めている時ミルクのお皿を興味深く覗く日が続いたの。おかんの舐めっぷりを見ているうちに、あたいらも舐めるきになったのよ。そして一匹ずつ小さなベロ出して、ぺろぺろと舐め始めると、それがとびっきりの美味しいお乳であることに気がついたのよ。美味しさの余り、つい怖さを忘れて、みんなで舐め始めたんよ。つまりおかんは自分でミルクを舐めるのをあたいらに何回も何回も見せて、あたいらに学習させていたんよ。舐めることを学習したあたいたちは、次第におばんが置いてくれるのを待つようになったんよ。ミルクを運んでくれるおばんのことを、こわいと感じなくなったのよ。そのうちおばんは時折あたい達をそーっと手にとって抱いてくれるようになり、おばんが恐い猫いじめする人ではないことが段々にわかってきたのよ。おじんともその頃からのつき合いになったのよ。


猫の心意気

2013-07-03 18:01:01 | 

 

16.生き方(3)

    おばあちゃんらに飼われていて、明けても暮れても人の言葉で話しかけられるものだから、いつの間にか勝手な名前で呼ばれれば、猫ちゃんらは自分のことを呼ばれていることがわかるようになり、おいでおいでと呼ばれれば、何か良いことがあると言うことがわかるのよね。以前おかんが虫取りする時に、いやちゅうほど見本を見せてくれていたので、虫取りを覚えたが、おばあちゃんらの話しも同じなのよね。犬に人の言葉で訓練していて、結構旨く言うこと聞いているらしいけれど、あたいだって、そんな訓練してくれれば、麻薬だの火薬ぐらい探し当てることぐらいやれるわよ。だーれも教えてくれないからやっていないだけよ!

 おばあちゃんらの気まぐれから、ご飯が無くなる時があるので、そういう猫ちゃんらが時々あたいらの仲間になることもあるんよ。そんな時、結構いい毛並みをした格好いいのがいるものだから、つい気持ちがほんわかしてしまって、仲間以上の間柄になることがあるんよ。時が来ればあたい達は、気持ちより、種の保存の4文字熟語が、脳裏を過ぎり、つい赤ちゃんが欲しいという生理現象が起きるの。そういう時にタイミングが合えば、妊娠ということになってしまう訳なのよ。

  一寸余談になっちゃったけど、これまでもことある事に言っていることだけど、あたいらは世の中を思うように徘徊して生きる方が一番の幸せだと思っている。そんな中で、あたいは人間様や他の生き物達との交流も大事だと思っている。だけど人間様以外は、いわば自然界では、食うか食われるかの世界、他の生き物達と仲間などにはなれないのが正直なところなのよ。それだけ自然界で生き抜くことは辛いことがあるの。でっかい犬や狐に追れて、命からがらということもままあるのよ。でもこんな時は、あたいみたいに自由に世の中を徘徊し知恵を集めているものは、自分の身体の機能を十分に生かして、木や家の屋根に登って難を逃れられるので、差したる心配はないんよ。時たま、人間様の都合で捨て猫にさせられた猫ちゃんなどは、犬に追われたあげく全身血だらけになることをまま見かけることがあるのよ。世の中を知れば知るほど、猫知恵が付くのよ。


猫の心意気

2013-07-02 18:43:02 | 

 

15.生き方(2)

 チャペルの奴、先祖伝来の猟をやらないなんて、猫らしくもない、猫の風上にも置けない奴!と言ってやりたいところだけれど、そんなになってしまったのは、何もチャペルの性じゃないのよね。飼い主に見定められちゃったら、やることなすこと全てが自分では選択できないらしいのよ。人間様が可愛い猫ちゃんには、あてがいぶちさせ、狩りをさせてやらせないことが、猫には一番幸せなんだと勝手に思い違いしているのよ。可哀想なチャペル君。猫類にとっては、由々しきことだと、あたいは思っているんだけどね。

 徘徊しながら、あちこちと回り歩いていると、近頃気になるのが、何処へ行っても一人暮らしのおばあちゃんやおばちゃんが多いのよね。そこには決まったように、猫ちゃん達がいるんよ。おばあちゃん達は猫ちゃん達を自分の子供みたいに、人間様の言葉で話しかけ、時には鯛やヒラメのお刺身まで、ご馳走しているらしいのよ。ところが、旅行好きのおばあちゃんらは、5日いない時も、10日いない時も、同じ量のつぶつぶ餌をまとめてあげて旅に出かけるらしいのよ。ところがあたいらと違って、おばあちゃんらは、日頃与えた餌はその日その日全部食べないと、ご機嫌斜めになり、猫ちゃんらは与えられれば、完食するよう仕込まれているの。だから、5日分も10日分も、いきなり大食いしてしまい、3~4日もしたら全部平らげてしまうのよ。食い過ぎてお腹痛いなんて、にゃんにゃん言っているんよ。えらい目に遭うのよね。結局自分の都合でみんな飼われているのよね。あたいに言わせてもらえれば、人の気持ちがわからん!