13.徘徊暮らし(6)
妊娠がわかったからには、山暮らしは食事が単純なので、あたいの胎児の発育にはあまり良くないと判断して、思い切って山を降りることにしたの。山から東に向かって降りて、川を渡り、国道を渡りながら、休み休みではあっけれど、7~8時間とぼとぼ歩いてたどり着いたのは、おじんちみたいなおうちが、縦にも横にも上にも下にも、それはいーっぱい建ち並んだ団地だったの。こんなところは初めてだったので、家々を通り過ぎるごとに、左見て右見て、そして前見て注意深く警戒しながら、団地の中を周り歩いたの。歩いている内に雨になったので、車が置かれている小屋の中に勝手に入ったら、丸いタイヤが4段重ねてあったので、その上に乗って雨宿りすることにしたの。何とかの高上がりと言って、人の世界では余りよくは言われていないようだけど、あたいらの世界は高いところに居座ることは、群れのボスの座なのよ。高い位置は、危険が迫った時にいち早く気付けるし、いち早くとんずら出来る位置なのよ。それを意識した訳じゃないけれど、あたいには偶然、お気に入りの良い場所に有り付けたと言う訳よ。
そしたら又、睡魔にやられて眠っちゃったのよ。暫くしたら、そこのおばちゃんが入ってきたの。「あら珍しい。黒ねこが来ているわ」といって立ち止まっているの。あたい、どうしょう、逃げるべきか、ちょっと甘えてみるかと一瞬迷ったけれど、つい「にやーん」と鳴いてしまったのよ。
そしたら、おばちゃん「あら、人なつこいねこなのね」と言いながら追い払う気配がなかったのよ。おばんみたいな性格のおばちゃんだったみたいなの。おばちゃんはそのまま家の中へ入っちゃったので、あたいはそのままそこに居着いてみようと、餌取りだけに出かけて、昼間寝るためにこの車庫をねぐらとしたの。あたいがいつもいるものだから、おばちゃんがタイヤの後ろ側に段ボールの箱を置いてくれたのよ。あたいうれしかったわ。だけどね、タイヤの上だったから、危険を感じたら、一瞬に逃げられたけれど、箱の中にすっぽり入っていたら、なんだかは知らないけれど、危険を予測するのが手遅れになるんじゃないかと、あたいの直感で不安を感じたのよ。だって、あたいらの危険は命に関わるんだから。野良暮らしの知恵というか習性というか、あたいらは常に危険を感じているため、この危険対策があたいらの憲法みたいなものなのよ。このおばちゃんの行為を無視出来ないことはわかっている。これまでの暮らしの体験から、この箱をねぐらにするのは昼間だし、睡眠時間を少しだけ減らすことにして、この段ボール箱の中で、実験的に注意深く暮らすことにしたの。暫く暮らすうちに、段ボール暮らしは、あたいが案じた危険は何もなく快適な暮らしが出来たのよ。慣れることは安心感を増して、とうとうあたいは、ここでお産してしまったの。
子らを覗きに来たおばちゃんらに家族みたいに喜んでもらえたの。ところがあたいが餌取りに出かけている間に、おばちゃんはあたいの3匹の子猫を家の中に連れて行ってしまったのよ。帰ってきて思わぬ出来事に、困ったにゃん困ったにゃんと、家の周りを探し回りながら泣きまくったのよ。そしたらあたいに気付いて、この子らにお乳あげてやりなよ、とあたいの子らを段ボール箱に返してくれたのよ。
子らを家の中に入れられては、あたいは大変困るのよ。あたいらは多少毛並みが良くても、野良は野良なのよ。将来、子らが野良暮らしを全うできるには、野良のための教育が必要なのに、家暮らしでは、それが出来ないのよ。あて飼いぶちになっては、あたいの言うこと何にも聞いてくれなくなるの。そこで大変悩んだけれど、あたいは、思い切った手に出てしまったのよ。この辺りの家並のいろいろな配置がわかっていたので、めぼしい場所をあたいの頭の中にインプットしておいて、おばちゃんが買い物に出かける機会を見て、子らの頚を1匹ずつくわえこんで、取りあえず200㍍くらい離れた公会堂みたいなところの人気のない場所へ移してしまったの。これは、あたいら家族のための究極の英断だったのよ。子らを人みたいに甘やかすことは、絶対出来ないのよ。将来の子らのために。中途半端な飼われ方は、仕舞いには捨てられるケースが多々あるからね。
よかれと思っての英断ではあったけれど、それからのあたいらの生活は「風と共に去りぬ」同様の試行錯誤の日々が続いたの。あたいらの場合は、予測通り彼はとうとう帰ってこなかった!
引っ越し後の子らには明けても暮れても新たな挑戦で実践的野外活動を経験させることが出来たの。今回の子育てでは始めてねぐらを日々換えたが、意外と苦ではなく、子らにも教育上、貴重な体験だったのよ。必要なことはやらせて覚えさせる、つまり体験学習と言うようなものよ。それからは団地の中や外の空き地や藪の中での生活が殆どだったの。子らのための餌探しに苦労したけれど、野っぱらで虫取りなど野外学習はとても順調に成果を上げて、これまでの3回の子育てより、訓練は順調にいったのよ。子らは自分で餌が取れるようになり、あたいから巣立ったのもこれまでより早かったの。
車庫のおばちゃんには悪かったけれど、あたいは、子らが野良の世界で、生きるための生活力を身に付けさせるために、不義理しちゃったけれど、これで良かったと後悔していないの。