AOBATO'S PHOTO

花や鳥たちの美しさや可愛らしい仕草などを写真に修めようと奮闘中です。

猫の心意気

2013-06-30 10:46:00 | 

 

13.徘徊暮らし(6)

 妊娠がわかったからには、山暮らしは食事が単純なので、あたいの胎児の発育にはあまり良くないと判断して、思い切って山を降りることにしたの。山から東に向かって降りて、川を渡り、国道を渡りながら、休み休みではあっけれど、7~8時間とぼとぼ歩いてたどり着いたのは、おじんちみたいなおうちが、縦にも横にも上にも下にも、それはいーっぱい建ち並んだ団地だったの。こんなところは初めてだったので、家々を通り過ぎるごとに、左見て右見て、そして前見て注意深く警戒しながら、団地の中を周り歩いたの。歩いている内に雨になったので、車が置かれている小屋の中に勝手に入ったら、丸いタイヤが4段重ねてあったので、その上に乗って雨宿りすることにしたの。何とかの高上がりと言って、人の世界では余りよくは言われていないようだけど、あたいらの世界は高いところに居座ることは、群れのボスの座なのよ。高い位置は、危険が迫った時にいち早く気付けるし、いち早くとんずら出来る位置なのよ。それを意識した訳じゃないけれど、あたいには偶然、お気に入りの良い場所に有り付けたと言う訳よ。

 そしたら又、睡魔にやられて眠っちゃったのよ。暫くしたら、そこのおばちゃんが入ってきたの。「あら珍しい。黒ねこが来ているわ」といって立ち止まっているの。あたい、どうしょう、逃げるべきか、ちょっと甘えてみるかと一瞬迷ったけれど、つい「にやーん」と鳴いてしまったのよ。

 そしたら、おばちゃん「あら、人なつこいねこなのね」と言いながら追い払う気配がなかったのよ。おばんみたいな性格のおばちゃんだったみたいなの。おばちゃんはそのまま家の中へ入っちゃったので、あたいはそのままそこに居着いてみようと、餌取りだけに出かけて、昼間寝るためにこの車庫をねぐらとしたの。あたいがいつもいるものだから、おばちゃんがタイヤの後ろ側に段ボールの箱を置いてくれたのよ。あたいうれしかったわ。だけどね、タイヤの上だったから、危険を感じたら、一瞬に逃げられたけれど、箱の中にすっぽり入っていたら、なんだかは知らないけれど、危険を予測するのが手遅れになるんじゃないかと、あたいの直感で不安を感じたのよ。だって、あたいらの危険は命に関わるんだから。野良暮らしの知恵というか習性というか、あたいらは常に危険を感じているため、この危険対策があたいらの憲法みたいなものなのよ。このおばちゃんの行為を無視出来ないことはわかっている。これまでの暮らしの体験から、この箱をねぐらにするのは昼間だし、睡眠時間を少しだけ減らすことにして、この段ボール箱の中で、実験的に注意深く暮らすことにしたの。暫く暮らすうちに、段ボール暮らしは、あたいが案じた危険は何もなく快適な暮らしが出来たのよ。慣れることは安心感を増して、とうとうあたいは、ここでお産してしまったの。

 子らを覗きに来たおばちゃんらに家族みたいに喜んでもらえたの。ところがあたいが餌取りに出かけている間に、おばちゃんはあたいの3匹の子猫を家の中に連れて行ってしまったのよ。帰ってきて思わぬ出来事に、困ったにゃん困ったにゃんと、家の周りを探し回りながら泣きまくったのよ。そしたらあたいに気付いて、この子らにお乳あげてやりなよ、とあたいの子らを段ボール箱に返してくれたのよ。

 子らを家の中に入れられては、あたいは大変困るのよ。あたいらは多少毛並みが良くても、野良は野良なのよ。将来、子らが野良暮らしを全うできるには、野良のための教育が必要なのに、家暮らしでは、それが出来ないのよ。あて飼いぶちになっては、あたいの言うこと何にも聞いてくれなくなるの。そこで大変悩んだけれど、あたいは、思い切った手に出てしまったのよ。この辺りの家並のいろいろな配置がわかっていたので、めぼしい場所をあたいの頭の中にインプットしておいて、おばちゃんが買い物に出かける機会を見て、子らの頚を1匹ずつくわえこんで、取りあえず200㍍くらい離れた公会堂みたいなところの人気のない場所へ移してしまったの。これは、あたいら家族のための究極の英断だったのよ。子らを人みたいに甘やかすことは、絶対出来ないのよ。将来の子らのために。中途半端な飼われ方は、仕舞いには捨てられるケースが多々あるからね。

 よかれと思っての英断ではあったけれど、それからのあたいらの生活は「風と共に去りぬ」同様の試行錯誤の日々が続いたの。あたいらの場合は、予測通り彼はとうとう帰ってこなかった!

 引っ越し後の子らには明けても暮れても新たな挑戦で実践的野外活動を経験させることが出来たの。今回の子育てでは始めてねぐらを日々換えたが、意外と苦ではなく、子らにも教育上、貴重な体験だったのよ。必要なことはやらせて覚えさせる、つまり体験学習と言うようなものよ。それからは団地の中や外の空き地や藪の中での生活が殆どだったの。子らのための餌探しに苦労したけれど、野っぱらで虫取りなど野外学習はとても順調に成果を上げて、これまでの3回の子育てより、訓練は順調にいったのよ。子らは自分で餌が取れるようになり、あたいから巣立ったのもこれまでより早かったの。

 車庫のおばちゃんには悪かったけれど、あたいは、子らが野良の世界で、生きるための生活力を身に付けさせるために、不義理しちゃったけれど、これで良かったと後悔していないの。


猫の心意気

2013-06-29 13:00:05 | 

 

12.徘徊暮らし(5)

 それから、北へ向かったけれど、山ばっかりで、お腹はすくし、まだ少しばかりおっぱいも張ったりして、体力的にも精神的にも少々疲れてしまって、枯れた松の木の根元で寝込んでしまったの。どれぐらい経ったのかわからなかったけれど、目覚めた時はもう辺りはまっ暗くなっていたのよ。すると、耳元で落ち葉の音がガサガサして何かが居るのに気付いたの。寝たふりして静かに様子を見ていたら、野ネズミが2匹でちょろちょろしているの。お腹もすいていたので、反射的に1匹捕まえて頂いちゃったの。山の中にもこんな美味しい連中が居るなんて思いもしなかったので、つい、満腹感と安堵感から満足感に変わっちゃったのよ。そんなに贅沢をする必要もないので、何とか生きていければいいと思って、暫くひとりで山暮らしを始めることにしたのよ。

 山でののんびり暮らしを始めて、すぐのことだったけど、あたいまた妊娠していたのよ。N牧場に時たま顔出ししていた黒い猫で口や鼻の部分とお腹の白い奴がいてね。一晩しっぽり付き合ったことがあったのよ。意外と健康に自信があるあたいなので、こんなことしたら、種の保存というらしいけれど、あたいも確実に結果を出して子孫繁栄に貢献できているのよね。だけどだーれもそんなことを評価してくれないなんて、寂しいものよ。おじんやおばん、牛小屋のおっちゃんやおばちゃんらは、自分らの孫が出来たと言っては、それをネタにワインやお酒飲んで馬鹿騒ぎして、喜んでいたが、やはり住む世界が違うのよね。生まれる命には代わりはないのにと、いつも思っているの。せめて男前のあいつの性なのだから、「良かった」と言ってくれたらと思っても、そんな常識なんて無いのもあたいらの世界だものね。


猫の心意気

2013-06-28 18:21:16 | 

 

11.徘徊暮らし(4)

 今度は公園から西へ向かってみたの。少しばかり川あり山ありだったけど意外とそんなに遠くはないところに、やはり乳を出す牛が沢山いるN牧場があったの。あたいもおばんちで生まれて、おかんに色々教えて貰ったお陰で、いっぱしの大人猫になって2度の妊娠とお産を経験したが、子育てをして子供達を一人立ちさせるまでは、時間が掛かり、半年くらいはかかった。その経験から、妊娠してしまったからには子育てに適した安全な環境とやらがどうしても必要なので、そんなところを探し歩いていたところ、このN牧場にたどり着いたの。今度は久しぶりの子育てで、おじんもおばんも手伝ってくれないから、文字通り徘徊独立という訳なのよ。今度はあたいもうかうかしておれないの。子育ての正念場ということよね。だからこのことをぼさぼさ頭の中にたたき込んで、あたいの子育てのあり方ちゅうもんを確立させようと思っているところなのよ。もう、おかんも生きているのやら、ましてやおとうなんか顔も知らないし、頼るものはなく、子らが生まれれば文字通り正真正銘の母子家庭と言うことになる訳よ。

 おばんが若い頃、お産した時に「案ずるより産むが易し」ということを実感したと聞いたことがあったけれど、あたいのお産も、安産だったのよ。あたいは子供の頃からからだがそんなに大きくなくて、お産はいつも3匹だったけれど、2産目の時は雄の黒ちゃん1匹、雌のミケちゃん2匹だったの。

 N牧場に来てから30回目の朝を迎えた頃だった。その夜になってから急に産気づいて、その夜のうちに、今度は何と5匹生まれたのよ。あたいもそうだけど、あいつもクロネコだったために、可愛い子らはみんな黒ちゃんだったのよ。実はね、人のお姉ちゃんたちも月1でおなかの中に卵が出来るらしいのよ。あたいらも全く同じで、その時が発情なのよ。あたいら野良が発情したら、決まった奴とだけ何することは珍しいのよ。長い時は発情がまるまる1日続くのよ。そしたら、気に入った奴だけじゃなく、貫禄のあるボスみたいなのが、代わる代わる追っかけてくるのよ。もう大変なんだから。おじんが「つけ」が回ってくると言っていたけど、こんなときも案の定、ミケちゃんであったり、黒ちゃんであったり奴らの遺伝子が子らにはっきり出てくるのよ。ちょっぴり恥ずかしいけれど、いろいろな色模様を持つ子を生んじゃうと、奴らとのことがバレちゃうのよ。だけど、生まれてくる子らはみんな同じように超可愛いんだから。

 生まれたからには、今度は頼るのは子供よね。でも実際に頼ることなどある訳じゃないのよ。あたいの生き甲斐が出来たというものよ。おかんがそうだったように、あたいもかなり厳しく育て上げたから、そのお陰で、みんな良く育ち、いい子ぶらないで、しっかりと親離れしてくれたの。みんな独り立ちしていけそうになったので可愛い子猫らを住み慣れたN牧場に置いて、あたいはそっとここを出て、次の新たな暮らしを模索しながら旅に出てしまったの。暫くこんな感情を持ったこと無かったのに、なんか心細く感じたけれど、これであたいも独り立ちできたと自信持っちゃったの。やれば出来るってね。あたいが牛子屋にいたねずみを結構退治してやったから、N牧場の見て見ぬしてくれたおっちゃんたちも悪い人じゃなかった。結構助かったの。感謝の涙の一つも出してお礼しなければと思うんだけど、あたいらその涙が出ることがないのよね。


猫の心意気

2013-06-27 20:29:09 | 

 

10.徘徊暮らし(3)

ご馳走を、それも苦労することもなく、手を伸ばせばいくらでも有り付けるなんて、あたいには夢みたいなのよ。その夢が現実になったの。おばんには悪いと思うけど、おばんちでもご馳走は有ったけど、そんなのレストランのご馳走とは天と地ほどの違いがあったのよ。そんな棚ぼたのくらしにすっかりおぼれてしまった結果が、少し舌がもつれてしまいそうだけれど、まさかメタボリックシンドロームなんてややこしい貫禄が付いてしまうなんて考えもしなかったのよ。よくおじんが言っていたっけ、何かことをなせば、良いに付け悪しきに付け必ず「つけ」が回ってくるもんだよと。おじんは間違ったことは言わないけれど、あたいのレストランでの暮らしぶりには、メタボという「つけ」がちゃーんと回ってきたというわけだよね。そんな姿、おじんに合ったら怒られそうなので、後ろ髪引かれたけれど、泣く泣くレストランを出て行くことにしたの。

レストランからさらに南へ向かったら、昼間は大勢の人らが集まり、わいわい言って走り回っている、もの凄く広い公園があって、その中にあたいが住めそうなところがあったの。あたいにとって、ねぐらは家の中であれば嬉しいが、家の外でも植え込みの下であっても差ほど気にはならないのよ。あたいが一番気にするのは、怖い人や犬らに見つからないところであればいいわけなのよ。良いようでだめな場所は、床下なんよ。時には犬や狐や狸などがいたり、こそこそ回ってくるので、うかうかねぐらなどにはしていられないの。ここの公園は若い人らが、サッカーやランニングが上手になるために泊まりがけでトレーニングしている公園のようなんよ。いろいろ建物があって、その一つに手頃な運道具を納めた倉庫があり、ロックされてはいるが、足下にあたいが出入りするぐらいの隙間があるので、そこに決めたの。公園なので芝生が多く、芝生にはイナゴくらいはいるだろうが、昼間は人らが一杯いるので、のんびりとイナゴ狩りなどはしておられへんのよ。真夏の頃は、植え込みの大きな木には、蝉やカナブンなどがいるので専ら植え込みをターゲットにすることにしていたの。しかし夜になると暇、そこいらを徘徊していると、まーた、バケツの中に食べ物が入っているところがあったの。この前のレストランとは少し違うのよ。人が入れ替わって出入りしてはいない。バケツの中身を見ると牛や豚の肉などは先ず入っていない。美味しいものといえば、魚の骨か鳥の骨ぐらいなもので、他には野菜ばかり。レストランのものとは違って、カルシウムや繊維などで身体にはヘルシーなものばかりなのよ。倉庫からは一寸離れているし、運動不足になることはないので、ここで暫く住むことにしたの。ここは公園だけあって、人間様だけではなく犬や狐なども徘徊してくる。ところがあたいが折角頂戴することにしたバケツの中のヘルシー食を、既に目当てにしていたにゃんこがいたんよ。それが何とハンサムな黒猫君だったのよ。ついあたいもその餌が大事だったものだから、黒猫君と仲良しになってしまった。ここに来て数ヶ月経った頃のことだった。適度の運動とヘルシーな食べ物のお陰で、あたいはおばんところを出る頃のスリムな体型に戻ったのよ。そしてとうとう妊娠しちゃった。それにしても、黒猫の奴、あたいに良いことを、それは一晩中追いかけ回すのよ。あたいもその気なのに、何とかものにしたい様子なのよ。あたいが丁度発情期になっていたものだから、雄どもは、そこを狙って寄ってくるのよね。あたいらは妊娠して子猫を生んで暫くするまで半年ぐらいは、発情はないので、その間は格好いい雄がいてもいいことして遊ぶことなど無いのよ。しかし、雄らは発情した女猫がいれば、一年中追いかけてくるのよ。そんなことしておいて、あたいが妊娠したとなると、あたいが気づかないうちに、何処かへどろんして行ってしまのよ。こんなことは、奴だけではないことは、以前おじんちで妊娠した時も同じだったから、そんなに気にはならないけれどね。だけどお陰で食いぶちは増えて助かったけれどね。若者たちが寝泊まりするところで、まかないをしているおばさんに見つからないように、食いぶちを頂戴したり、芝生を住処にしているネズミやイナゴらを追っかけての暮らしを続けている内に、お腹が大部目立つようになってきたのよ。

 それであたいは、大きくなるお腹をごしごし掻きながら、お産のことや子育てのことを考えてみたのよ。ところがね、ここでお産して子育てするのは無理だと考えたの。ここは子育てには若者が多すぎて、何されるか不安なことばかり。お産するのに、不安な気持ちなどがわだかまっていては、生まれてくるあたいの子らには悪い気がしたのよ。そこで私案の挙げ句、結局充実したそこでの生活を捨てて、再びあたいは新天地を求めて俳諧の途を選択したのよ。あんまりお産の間近になる前に、旅立ちを決行したの。


猫の心意気

2013-06-24 22:24:55 | 

 

9.徘徊くらし(2)

ハイスクールを南に向かって通り過ぎたら、びっくりするくらいたくさんの車が、行き来する道路に突き当たったの。道を渡るには、危なくて命がけだと気が気でならなかったの。何でこんなに車がいっぱい通るんだろうとね。こんな道を横切るなんて初めてのことだし、もう胸がどきどきしたのよ。それでもこんなところでおじけづいては、熊様の女が廃るってもんよ。それから車が通らなくなるまで、それは長いこと道ばたで待って、漸くの思いで挑戦することになったの。車が右にも左にも来なくなったのを見計らって、フライングしないようにスタートしたの。カールルイスなみのペースで走り抜けたら、無事に道を横切れたのよ。でも命がけって、成功してみれば、それはただごとではない達成感をものに出来るのよね。大きく出たけれど、やれやれで胸をなで下ろしたというのが本音だったのよ。

渡りきったところに広場があって、その広場には、おっかなかった車が次から次に入ってきて停まるのよ。止まる車から乗っていた人らが、降りてきては、近くの建物の中へ出入りしていたの。

あたいは、ここに辿り着いたことを実感していたら、急にお腹がすいた感じがしたの。そしたらこの建物の裏に回ってみたら、どこからか空腹を実感させられるような、美味しそうな匂いが漂ってきたのよ。それで、その匂いに向かうと、勝手口があり、薄暗いその中に入り込んだら、そこには何と、牛や豚、それに魚などそれは今までにないご馳走が青いポリバケツの中に、次から次にポイポイと入れられていたの。どうやら人らがご飯を食べるところらしく、そこを出入りする人が「美味しいレストランだ」といっているのを聞いたの。人らが食事するところのようなの。バケツに顔をつっこんで珍しいご馳走を思いっきり頂いたの。おばんちを出てから怖い思いをしてきたけど、やっとここのレストランで楽して過ごせる場所に居着けたの。久しぶりにるんるん気分で過ごせたの。このように苦労することもなく楽する暮らしが暫く続いたの。そしたら案の定、あたいったら貫禄が付いてきちゃった。おばんの栄養のバランスの取れた猫まんまとは違って、お肉ばっかり食べたことと、食っちゃ寝食っちゃ寝で運動不足になってしまって、ぶくぶく肥りだして、息切れしだしたのよ。おまけに、そうこうしていたある夜、深夜になってから、しくしくとお腹が痛くなり、このうちの物置小屋の中で、痛さのため全身転がり込んで、死ぬ思いをしたこともあったのよ。人様よりは鼻も利くはずだし、滅多に悪いものは食べない自信はあったのに、何か悪いもの食べてしまったらしいの。バケツの中にありとあらゆるものが入っているので、色々なニオイがして、どれが悪いのか良いのか、見分けにくいことはあったが、つい飽食という慣れない生活に溺れてしまって、あたいとしたことが一寸へまをしてしまったらしいのよ。人さんらは何が良いのか、たばことか言うものをスパスパ吸って、気分直ししているらしいの。そのかすがバケツに入っていたらしいのよ。魚やお肉はそのままで食べても、言うこと無しに美味しいのに、人は何を思ってか、何が美味しいのか唐辛子だのわさびだの、スパイしいなものをお肉らにたっぷり振りかけて食べているの。そんな辛いものも一緒にバケツの中に入っているのよ。どうやらこれらがあたいのからだに障ったみたいなの。どこかで聞いたことがあったけれど、あたいは始めて、ここでメタボというのになって、仕舞いにはお腹壊してしまうはめになっちゃったの。これからもこんな暮らしを続けるのは「あたい、やばい!」そう思って、例によって一大決心して、又ねぐらを変えることにしたの。


猫の心意気

2013-06-23 12:17:03 | 

 

8.徘徊暮らし(1)

 以前、おばんちで2回お産をして子育てを済ませて、ミーコらを置いてここを出て徘徊の生活に入ったが、それからは、あっちこっちと住処を変えたの。最初はおじんちからそう遠くなく、牛の乳を盗みのみが出来たO牧場に暫くいたけれど、牛の乳をペロペロしているところを見つかってしまって、そこの親父に石ぶっつけられ、殺されそうになったので、慌ててO牧場を飛び出して、南に向かったの。暫くふーらふらと行ったところで、今度は牛じゃなく、多くの若い人らが白黒の縦縞入りの服を着て、大きな手袋や棒を振り回して玉転がしをしているハイスクールというところがあったので、その広い遊び場の脇の草の陰から玉転がしを見ていたんだけど、あんまり面白くなくて、おまけに昼間のことで、ついつい睡魔に襲われて、いつの間にか得意の昼寝してしまったの。

つい寝過ごしてしまい、目が覚めてたら、もう周りは薄暗くなっていたので、このハイスクールのあちらこちらをジョギングしながら見回ったら、ここにも乳を出す牛や始めて出会う豚や鶏やガチョウなどがいたの。ここも面白そうだったので、暫く逗留してしまった。夜になると誰もいなくなったが、寧ろ昼間に乳搾りしているときに、乳搾りする人の目を盗んで、乳、もうあたいは大人だし何時までも乳じゃないよね。格好良くミルクを飲ませて貰っていたの。右や左の様子を気にしながら、一気に飲まないと怖い目に遭うのは、O牧場の牛小屋で経験しているのから、あたいも必死な思いで行動を起こしていたのよ。生きていくことはこういうことなのかともつくづく思ったものよ。ある日、鶏のひよこが群がっていたので、ご馳走になったのよ。それが鳩の味とは違っていて柔らかくて骨まで簡単に食べられて実に美味しかった。つい癖になってしまい、2~3日してからまた狙ったら、薄い紺色の服を着た人らに見つかって、また追っかけられて、もう殺されるかと思うほど怖い目にあったの。この人らは牛や豚や鶏の飼い方を習う人らで、あたいら生き物を飼い慣らして食べようとしている人らのようだった。それはそうと、あたいは悪いことをするために、ひよこやミルクを頂戴している訳じゃないのよね。正直言って生きるためなのよ。だから心ない人らには悪いことに見えるらしく、食うか食われるかの勢いで追っ払われるの。生き死にの崖っぷちを渡るような、危険を冒しながらの日々の生活が、あたいらの徘徊暮らしなの。

それにしても、人の世界はあたいら生き物を飼い慣らして食べられたり、おじんやおばんみたいに、猫まんまを食べさせてくれたり子育てしてくれたり、人の住む世界のことが今一わからないことが多すぎるけれど、徘徊暮らしではいろいろなこと経験するから、人の暮らしのわからないことも、少しずつ理解していきたいと、あたいには人生学習の旅みたいなものなの。

鳥小屋で、「こら! ◇△■▲・・・」と追いかけられ、命からがらで逃げのびたあたいには、ここも心地よい楽園じゃ無さそうだったと判断して、その日の内に、ここからさらに南へ向かうことにして、あたいらが生きる定めの徘徊暮らしの旅へ出立したの。


猫の心意気

2013-06-22 12:10:06 | 

 

7.徘徊猫には故郷は冷たい

おばんはあたいを歓待してくれたけれど、ここはもう、あたいのテリトリーじゃなかったのよ。今は娘のミーコ一家のテリトリーになっていたの。ミーコの息子で一人立ちが出来ない雄のシロがいて、なんとなくあたいを侵入者みたいに出迎えてくれたの。あたいらの挨拶である鼻を突き合わせ、お互いの体臭を確認して敵か味方を区別するのだけど、一応あたいのことを意識はしてくれたけれど、人間様と同じで、その背景には食べ物のことがあるために、テリトリーの仲での順番があり、あたいのように突然やってくると、親も子もないのがあたいらの世界の現実なのよ。ミーコが徘徊に出ないでいるのは、このシロが独り立ち出来ていないことが原因なのだとあたいはぴーんと来ている。けれども、ミーコもシロも不憫でならないけれど、今では仕方ないのよね。

実は今、あたいは妊娠中なの。暫く、おばんちの近くで逗留する積もりなのだけれど、お産したら子育てが待っているから、近くにいて、様子を見ながら、ミーコらのテリトリーを出来るだけ邪魔しないようにしながら、時折おばんに甘えて、お世話になることにしようかなと思案しているところなの。ミーコらには未だ気付かれていないけれど、不思議なもので、お産して子らをぞろぞろ連れて引っ越ししてくれば、今度はあたいらのテリトリーになってしまうのよ。その時がミーコらの徘徊が待っていることになるのよ。

今のあたいの住処は、ここの広い敷地にある牛小屋から、南の方へ山に囲まれた坂道を上がって暫く行ったところに、白と黒の斑のある牛らが50位い飼われているところで、以前にも住み込んでいたことのあるO牧場なの。最近はその二階のわら置き場を寝床にしているの。住処からおばんちまで10分もあれば来れる範囲にあるの。


猫の心意気

2013-06-21 19:25:03 | 

 

6.猫まんま

 そのあくる日もあたいは、再びおじんちに出掛けた。途中おじんが仕事しているでっかい建物の前を通ると、おじんが窓越しに覗き込んでいるのがわかったのよ。おじんのあの顔は、かなりあたいを意識しているなと、すぐにぴーんときたの。それにしてもおじんは大夫白髪が増えてきていた。おじんちで暮らしていた頃、おじんは、あたいのことを娘のように可愛がってくれていて、あたいの頭をゴシゴシ掻いてくれていたが、おじんのあたいへの愛情表現だったみたい。あたいは、自分の体のあちこちが痒い時は、舌で舐めなめして痒みを取るんだけど、頭の周りが痒い時は舌が届かず、誰かが掻いてくれないと満足できないことを、おじんは良くわかってくれていたの。そんな時は自分からおじんに甘えてすり寄って掻いて貰ったものよ。時には耳の付け根の辺りにダニがくっついて、足の爪でダニを捕ろうとするのだけれど、ダニもあたいの赤い血を欲しがり、必死で捕まりにくいカ所に隠れているものだから、かゆくてかゆくて気がおかしくなるときが何度かあったの。子供の頃はおかんが他の兄姉ら全部の体毛を丹念に調べてくれて、ダニやシラミを分け隔てなく良く見つけてくれたものだった。大きくなってからは、そんな時助けてくれるのは、決まっておじんだったのよ。

 余計な話をしちゃったけど、おじんが働いている前を通る時、あたいは2~3回でんぐり返りをしながら通ったので、おじんはあたいのことをとっくに気づいていたはずなの。おじんのいる建物の横を北に向かって通り抜けて、おじんちへ向かったの。前の日にはおじんちの柿の木の下辺りからおばんのところへ行ったけれど、気付かれなかったので、今度はかって知ったる玄関の方へ周ったら、運良く暑い夏の日だったので、玄関が開いていたの。堂々と玄関の中へ入り「にやーにやー」と賑やかに声をかけたのよ。そしたらおばんが顔を出してきて「熊、熊じゃない。どうしていたのよ」と4年ぶりの再開におばんは、優しく出迎えてくれたのよ。前の日とは感じがまったく違ったの。どうやら前の日あたいが、追い払われても、図々しくしていたことをおじんに話したのだろう。それでおじんが「それは『熊だったんだよ』」と気づかせてくれたそうだ。おばんはあの懐かしい4年振りの「ねこまんま」であたいを歓迎してくれたの。おばんはあたいだけの茶碗を準備してくれたのよ。少しばかり色あせてはいたが、輪島塗擬きのお椀を。懐かしい格別な味がしたわ。ご飯、それもコシヒカリで、昨夜の残りのかしわの天ぷらも入っていたのよ。野菜がたっぷり入った味噌汁に、今日は特別に昔のことを覚えていてくれて、あたいが大好物の牛のおっぱい入り猫まんまで、実に懐かしい味で、すっごく感激しちゃった。動物蛋白と炭水化物と今話題の繊維もたっぷり、あちこちで、たまに食べたこともあるが、ここの味噌味が一番美味しいのよ。おばんが使っている味噌は、この辺のではなさそうなのよ。薩摩の産らしく、大豆がたっぷり入って、何より良いのが健康的な減塩タイプらしい。これがおばんの伝統の猫まんまなのよ。おばんの懐かしい味がうれしくて、あっという間に平らげてしまったの。

 その夜、おばんは、興奮した声で、「熊が来て、玄関で鳴いて呼んできたのよ」とおじんに話す声が聞こえていた。その昔、あたいがここを出るとき、一番悩んだのはミーコらのことだったが、おばんの猫まんまを食べられなくなることが二番目の悩みでもあったのよ。でも今日は又、忘れられない気分になっちゃった。


猫の心意気

2013-06-20 19:06:24 | 

 

5.おかんの教え

 一寸自慢話になってしまったけれど、おじんちはこの広い畑の北側にあって、家の前ではおばんが、ちっとばかり野菜を作っているのよ。その野菜畑の横っちょには、余りなったところを見たことがない柿や大きな栗の木が植えてあるの。小さいときは何時もこれらで木登りをおかんから習ったものよ。おかんはミルクを飲ませないで、自分で何回も何回も木登りするの。そして木の上の方で、じっと待っているの。あたいらに木登りするようにそれをいやと言うほど繰り返すのよ。晴れた日には毎日のように。そんなことを繰り返す内に、あたいらも木登りをマスターしたのよ。仕舞いには子らだけで競争するように駆け登ったものよ。

ところが、ここは良いところだけれど、冬には苦労する。寒いの寒くないのと言ってはいられないくらい雪も積もるし、氷も張るの。おじんが花作りの趣味をしているので何時も温度を測るのを置いてあるが、目盛りの0に合わせて赤い線が、暑いとかなり上まで伸び、寒いと0まで上がってこないけれど、おじんちの冬の寒い日には、0からずっと下の10の目盛りのところまで上がってこない日が結構あるのよ。そんなときに毛先を濡らすものなら、あっという間に凍り付くことがあって、それは大変な目に遭うことがあるのよ。

こんな寒い時のことを考えて、おばんちの外縁には、あたいらのために座布団入りの段ボール箱が置かれていたの。段ボールになれてからは、寝心地抜群で、寒い時だけでなく、すっかりマイベッドになったものよ。昼寝暮らししていると、おばんが「子猫の頃は、大きい段ボール箱と思っていたけれど、まだ半年ちゅうのに入りきれないじゃないの」とおかしなイントネーションでこぼしていたっけ。

 昼寝暮らしを専念していた訳じゃないのよ。ミーコらを生んで子育てするには、夜の生き物だけでは子らの餌が偏ってしまうので、昼間に出没する鳩だのスズメを調達しなければならないのよ。前にも話したけれど、鳩などは牛小屋が狩り場だけど、鳥らを上手に捕まえる方法には自信があったの。この狩りの極意を身につけられたのは、おかんにいやと言うほど見本を見せつけられたお陰だと思っているの。まあ学習学習の繰り返しだったのよ。そのお陰で、狩りについてあたいは、いっぱしの名人気取りなのよ。鳩をくわえてミーコらのいるおじんちに持って行くもんだから、おじんが「おまえは鳩捕りの名人じゃ」と言い「時にはわしにも持ってこい」と何度も声かけるのよ。狩りをマスターしたことで、これまで数え切れない鳥やネズミらを捕まえたけれど、実はあたいは、それらを自分では全く食べていないのよ。子供達にそれぞれ順番に平等に分け与えてきたのよ。あたいがまだ乳のみ猫の頃は、おかんが自分は食べないであたいらに食べさせてくれたものよ。これが子育てちゅうものよと、いつもおかんから習った気がするの。おかんは偉かったのよ、教育者顔負けのね。

 子育てするには安全で豊富な食材を、と人さんらが言うのを聞くけれど、あたいらの子育ても全く同じことが言えるのよ。都会の野良と違って、あたいら自然がいっぱいだし、加工品じゃなく、がんばるだけがんばって捕っては即ご馳走という具合だから、とても健康的でラッキーな暮らしが出来ていると満足しているの。


猫の心意気

2013-06-19 19:10:21 | 

 

4.狩り

この牛小屋には黒い牛があたいには数えられないほどたくさんいて、牛らの茶碗は、四角の長い箱でコンクリート製なのよ。牛らはその茶碗に首をつっこんで餌を食べるのだけれど、牛らはその餌を飲み込む時は、長い頚を真っ直ぐ前に伸ばしたまま、口の中でむしゃむしゃしながら飲み込むのだけど、牛らも行儀が悪くて、食べながらぽろぽろと餌の麦やトウモロコシを茶碗の前のフロアにこぼすのよ。それがあたいには超ラッキーなんよ。そのこぼれた餌を鳥らも狙っていて食べに来るの。それを茶碗の両端のどちらかに、鳥らに気付かれないように隠れながらじーっと見ていて、鳥らが脇目もふらずに餌を夢中になって食べるものだから、次第にあたいに近づいてくるの。それを飽きもしないで、1時間も2時間も我慢に我慢を重ねながら待つのよ。やがてやーっとの思いで至近距離に来たら、一瞬のうちにすばやく飛びかかりものにするのよ。なーんにも道具使う訳じゃないので、ハヤブサの如くと言うけど、新幹線なみの早業でないと簡単には成功しないのよ。ここのフロアーの場合、あたいのターゲットは大概キジバトなの。キジバトはあたいの体つきの3分の1くらいはあるので、結構重たいけれど、それがあたいには大漁というもんよ。仕留めた時は、もううれしくて、にゃーにゃーと雄叫びするのだけど、鳥をくわえているので、あたいの喜びの声が、ぎゃーぎゃーとなってしまうのよ。時たま出くわしたおじんがくすくす笑いして通り過ぎたりするの。だってその時が最高に達成感というか、満足感を味わう瞬間なんだもの。ところが、我慢して我慢して、やっとのことで鳥に飛びかかろうとする瞬間に、あたいの苦労など全く知らないおじんの仲間らしいのが、図々しく通りかかるのよ。それで鳥の奴、慌てて羽ばたいて逃げやがるの。鳥の奴は命拾いできてるんるん。あたいはかりかりというわけよ。

おじんちのテリトリーに来れば獲物には全く不自由しないのよ。牛小屋の2階には、干し草や稲わらが一杯あるので、よくねぐらにもしたし、何を言わんかやあたいは、このわらの中で生まれたんよ。人間様の十字架を背負った偉い人も馬小屋で生まれたと聞いたけど、同じ小屋生まれと言うことで、その偉い人の御利益があたいには有るみたい!